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元教授、野球名監督の知恵・経験に学ぶ: 定年退職132日目

前回、甲子園の高校野球についてお話ししました。今回は、その続きとして、まずご紹介しきれなかった話から披露したいと思います。

「大阪駅でのことです。地方から出てきた中学生が、高校野球を観るために甲子園球場に向かおうとしていました。しかし、大阪駅の地下は複雑で迷ってしまいます。そこで近くにいたおじさんに『すみません。甲子園への行き方を教えてください』と尋ねました。するとそのおじさんは力強く一言、『練習あるのみだ、がんばれ!』と応えました・・・関西ではよく知られた小噺ですが、ここで紹介できてスッキリしました(笑)」


さて、高校野球の話に戻ります。私の好きな高校野球の監督は、取手二高や常総学園で活躍された木内幸男さんです(タイトル写真、注1)。私の地元である茨城県で、甲子園に22回出場し、40勝(19敗)、全国優勝3回、準優勝2回という素晴らしい成績を収めた名将です。残念ながら木内さんは2020年に亡くなりましたが、茨城弁で愛嬌たっぷりに話し、豪快に笑う姿を覚えている方も多いと思います(下写真)。

木内幸男監督(注1)

私が高校生の頃、茨城県は千葉県と一緒の東関東地区に属しており、甲子園に出場できるのはその中から一校だけでした。当時、千葉県には強豪校が多く、茨城県勢の甲子園出場は至難の業でした。その後一県一代表制が導入され、茨城県からも毎年出場できるようになりましたが、甲子園ではなかなか勝ち進むことはできませんでした。

その時代、長年にわたり取手二高という公立高校の監督を務めていたのが木内さんでした。実は彼自身も高校球児でしたが、あと一歩のところで甲子園に届かず、その心残りからコーチ、監督になったそうです。1984年、取手二高に才能豊かな選手たちが何人か集まりました。ただ、彼らは反発心が強く当初はトラブル続きでした。しかし、木内監督はそんな彼らの個性を認め、選手たちをのびのびとプレーさせたのです。

その頃、全国的にはPL学園の2年生 K・K コンビ(桑田真澄選手・清原和博選手:後に名プロ野球選手)を要するチームが、優勝候補の筆頭として注目を集めていました。それをどこが阻止するのかが話題になっていたのですが、決勝で取手二高が延長の末に破り、見事優勝を果たしたのです(下写真)。木内さんは、後に「木内マジック」と呼ばれた機動力や奇襲策を用いた緻密な攻撃型の采配を展開し、そして選手たちには 「K・K コンビの2年生なんかに負けるな!」と発破をかけ、その檄が効果的だったそうです。高校野球においては、技術指導だけでなく、選手たちの心を掴む人心掌握術が重要であることを学びました。

1984年、夏の甲子園決勝結果(注2)


一方、私が尊敬するプロ野球の監督は、野村克也さんです。野村さんも2020年に惜しまれつつ世を去りましたが、プロ野球屈指の名打者・名捕手として活躍しただけでなく、監督としても歴代2位の試合数を誇ります。

野村さんは、豊富な知識と経験に基づいた野球理論を持ち、特に打者心理の分析に長けていました。そして後にID野球を提唱し、野球界に大きな影響を与えました。私が最も好きな野村さんの言葉は、選手の操縦法に関するものです。野村さんは「無視、賞賛、非難」という3段階を使い分けると言っていました。三流の選手は相手にせず、二流は褒めて伸ばす。そして、一流と認めた選手に初めて厳しく非難(叱責)する、というのです。プロならではの厳しい一面ですが、指導者として必要な姿勢かもしれません。


これらの名将たちの指導者としての知恵と経験は、スポーツの枠を超えて、教育・研究といった分野にも応用できるものだと考えられます。私自身、24年間の教授生活の中で、学生たちの個性を見極め、潜在能力を引き出す際に、大いに参考にさせていただきました。野球と研究では、目指す方向性こそ異なるかもしれませんが、指導者の言葉や行動が若者たちの成長を支える点では共通していると思います。

では、また。

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注1:YouTube: 木内幸男監督追悼展動画(公式土浦市)より
注2:フリー百科事典「ウィキペディア」より

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