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元教授、大阪駅でヨーロッパの鉄道旅を思い出す(その2、ドイツと化学):定年退職18日目

ドイツを訪れる機会は、国際学会もしくは大学や化学会社との共同研究がメインでした。化学の世界では、ドイツは日本にとって特別な存在(親も同然)で、昔から多くのことを学ばせてくれた国です(日本で武士が刀を差して歩いていた頃、ドイツではすでに有機化学の研究が盛んでした)。そのためドイツを訪れることは、われわれ化学者にとって、(アメリカとはまた違った)特別な夢でした。


日本の化学物質のカタカナ表記は、今でもドイツ語読みです。たとえば、高校でも習う化合物「ベンゼン」や「トルエン」は、日本語のカタカナを読んでもドイツ人には通じますが、アメリカでは通じません(「ベンジーン」、「トユイーン」です)。私が大学で化学を学んでいた頃はドイツ語が必修で、「化学外国語演習」の授業は(英語ではなく)ドイツ語の演習でした。さらに、大学院入試もドイツ語が必須科目でした。


ドイツに行ってみて感じたことの一つは、社会全体が科学技術に理解を示しており、科学者を尊敬していることでした(日本は?)。科学関連の切手が多く存在し、私が訪れた(昨日書きました)「蚤の市」でもたくさん販売されていました。私は、ベンゼン、尿素、各種高分子などが描かれたものを見つけ(タイトル写真(左))、思わず涙が出そうになりました。さらに、それらが使用済みで格安だったので、何冊ものコレクションを冊子ごと購入してしまいました(帰りは荷物が重くなりましたw)。


その切手コレクションは後に、私の化学の授業で日本の学生たちに見せてドイツの化学事情を説明したところ、大変喜んで聞いてくれました(うれしくなって、ほとんどの切手を彼らに配ってしまいましたw)。彼らがこのようなことがきっかけで世界への興味が広がってくれれば、私にとってそれが本望です。


ドイツには、化学に関する記念碑や展示品も多くありました。案内してもらったハイデルベルク大学(ドイツで最古の大学、ノーベル賞受賞者も30人以上)には、化学の分野だけでもブンゼン、バイルシュタイン、ハーバー、ウィッティヒなどの大教授(卒業生)が過去におられ、それだけで有機化学の本が書けるほどです。また、ハーバー・ボッシュの初期プラントの一部(窒素からアンモニアを合成する、化学肥料合成の源)や昔のリービッヒ(蒸留に使用する冷却管)なども見ることができ(写真右、大学とは他の場所で)、化学の歴史が感じられた幸せな時間でした。


ハイデルベルクの街には、ドイツでも有名なハイデルベルク城もありましたし、(クリスマスシーズンに訪問したので)クリスマスマーケットも素晴らしかったのですが、個人的にはこれら化学遺産のおかげで全て飛んでしまいました。今考えると至極もったいないことで、次回は“化学を忘れて”ゆっくりと訪れてみたいと思います。

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