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「感情を味わう」 約30年目の告白 〜未知なるプロ・コーチへの旅 Episode3〜|チャレンジログ #18

チャレンジクリエイター:shuzoです!
今回も、前回に引き続き「僕とコーチングとの出会い(Episode0)」の続編です。運命的な出会いから、今挑戦しているプロコーチの最終トレーニングに至るまでの間にあったことを、3つのEpisodeに分けてお届けするシリーズの最終回。僕自身の少しディープなことにも触れています。

◯対象となる読者さま
・今後コーチングを本格的に学ぼうと考えている方
・自分の人間の幅を広げたいと感じている方
・挑戦することから離れていることに危機感を持っている方
の参考になれば幸いです。

いきなり今回の本題に入る前に、冒頭でお伝えした他のEpisodeのLinkを貼っておきますので、コーチングとの出会いからの流れをみたいという方は下記からチェックしてみてください。

  → 今回はココ(Episode3)←

自分の感情を味わう|約30年目の告白

それではEpisode1、2と同様、まずはコーチングのトレーニングプログラムで「感情」に関するテーマを学んだ際のことを共有します。上記の学びを受けた直後に投稿※していた内容を引用します。
※2018年11月にFacebookにて限定公開

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今まで生きてきた中で3本の指に入る劇的な体験をしました。

6月のスクーリングで、僕はセッション練習の中で涙腺が崩壊する体験を通じて、自分の弱みを人に見せるリミッターが解除されたと思っていました。でもそれは、今回の出来事につながる予兆でしかありませんでした。

自分が無意識に抑え込んでいた部分があまりにエネルギーを持っていて、長い年月をかけて自分のIdentityに滲み出るかたちになっていたようです。

少しだけ、その抑えていた部分について書きます。

僕は、幼少期の出来事の記憶はありますが、感情が思い出せません。
楽しいとか、悲しいとか、+も−も無い平坦な感じです。
理由はおそらく、物心付いた時から両親の対立や、それを受けての兄弟からの今で言うパワハラと武力行使が定常化していたからだと思います。自分から感情を切り離していたのかも知れません。

自分のことで覚えているのは、危険なイタズラなど幾つかの常軌を逸した行動と、ただ、ただ「なんでこの人達はこんな事をするんだろう?」とか「自分の存在ってなんだろう?」という強烈な疑問。

セッションの中でそんな事を思い起こす過程で、気が付いたら感情が謎の状態になっていました。笑顔と涙が同時に表出し、せめぎ合っている状態というのを、初めて体験しました。

こういった深い部分に触れる事は、通常のセッションではやりません。でも、コーチとして、とても大切な事を学びましたし、自分自身が痛みを知っている事と、それに対峙することの勇気、尊さを身をもって知る事ができました。

そして、改めて自分のIdentityの根っこの部分がクリアになり、コーチとしても、一人の人間としても、より芯が通った感覚を得ました。

自分が感情を切り離していた時の唯一の逃げ場だった、ばあちゃん、じいちゃんから貰った、大きな樹のような温もり、優しさを、今度は自分があげる番だと。

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ーーーーーーーーーーーーーーー 引用終了 ーーーーーーーーーーーーーーー

感情の意味|臭いものに蓋をしない

「人生は山あり谷あり」なんていうフレーズを耳にした、目にしたことがあると思います。ただし、このフレーズには、ある1つのバイアス(先入観)がセットになっていると感じています。

そのバイアスというのは、無意識に山=良いもの。谷=悪いものという二者択一の対立構図にして考えてしまうという点です。これは感情にも同じことが言えます。

今、一部で注目を集めている「アンガーマネジメント」という感情をコントロールする技法も世の中には存在しています。この技法自体は、ある課題を解消するために開発されたものであり、ニーズがあるから受け入れられている訳で、その事実はまず認める必要があります。

一方で、物事には必ずメリットとデメリットの2つが存在するのもまた事実です。アンガーマネジメントがどのような哲学(価値観)で行われているものかを深くは知らないため、あくまで仮説として問題提起すると、怒り=悪いもの、喜び=良いものという対立構図を前提にしているようにも思えます。

もし、本当に怒りの感情が悪いものであるならば、なぜ人間や生き物には怒りの感情を持つ機能(特性)が与えられたのでしょうか?
もし、原始的で低俗なもので、生きていくために必要の無いものであるならば、なぜ進化の過程で無くならなかったのでしょうか。

生物学的な知見や、脳科学、心理学といったアカデミックな論証は、専門家の方にお任せするとして、ここでは僕の個人的な考えを問題提起的に書いてみます。それはある意味で、コーチングの問のようなものとも言えるかも知れません。

●負の感情の意味
結論から言うと、生きていくために必要だから備わっているものだと捉えています。
確かに、怒りや悲しみといった負の感情は、あまり積極的には味わいたくないものです。

だからこそ、です。
負の感情が湧いてくるということは、自分がそのことが嫌だというシグナルです。それが自分自身のことでも、誰か他の人との間のことでも。

そのことに自覚的になることは大切で、自分の扱い方をマスターすることにも繋がっていくと思うのです。嫌なことを我慢してやるよりも、喜びや楽しみを感じていた方が成果や能率が上がるということが、ポジティブ心理学という心理学の一分野で研究され、科学的にも立証されていると記憶しています。

また、他者から受け取る怒りの感情も、必ずしも悪いことばかりでは無いと思います。

子どもの頃、僕は色んな人から怒られながら育ちました。親や兄弟、先生や近所の人とか。
人を怒るということは、エネルギーがいることです。何も感じずに怒ることはできませんからね。だから疲れるのです。

でも、そんな労力を使ってでも伝えたいことがあるから怒るのだと思うのです。口で丁寧に言っただけですぐに理解できるような聞き分けの良い子どもばかりではないと思いますし、怒られて初めて、事の重大さに気付く場合もあると思うのです。かつての僕や、あなたがそうだったように。

もちろん、怒りに身を任せて相手を傷付けるのは良くないことです。でも、感情そのものには善も悪も無く、まずはその感情が湧き起こっていることに気付くことが大切だということです。
 その上で、自分の使い方、特性を理解することで、生きやすくなっていくのではと考えています。

ただ、前述したように、多くの人は負の感情に向き合うことはあまり得意では無いと思います。だからこそ、コーチなどの他者の力を借りて、それを体感することは価値があると思います。


ということで、今回は「感情」というテーマで書いてみました。
冒頭で挙げた方々の何かしらの気付きや興味のきっかけになれば幸いです!

そんな僕のコーチングを受けることに興味のある方は下記をチェックしてみてください。

以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
挑戦に幸あれ!

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