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自己紹介①内定辞退からの公務員

ブログの更新がすっかり3日坊主に。いや、3日どころではない、一ヶ月坊主になってしまいました。いかんいかん!!

はじめに断っておきます。
今日のブログは、有益な話は一切ございません。
これまでの人生を整理するつもりで、


○古橋香織ってどういう人??
○なんでイメージコンサルタントになったの??


という部分について、書きたいと思います。
明日誰かに話したくなるネタは何も含まれていませんが、
私の来歴が分かるよう、なるべく記憶を手繰り寄せて書きたいと思いますので、興味ある人だけ、読んでください☆


私は高校時代、ずば抜けて成績も良いわけでもなく、
ラッキーパンチで早稲田大学社会科学部に入学しました。
中学からずっと合唱やミュージカル、声楽をやっていて、大学時代は歌のレッスンやミュージカルの稽古、さらにはアルバイトに明け暮れまっったくといっていいほど勉強していませんでした。

その上、当時の早稲田社学は夜間学部時代の名残で、授業は全部3限(1時から)という夜型人間になり、かなーーーーり堕落した大学生活を送っていました笑
いいとも見てから大学行ってましたもの。
挙げ句の果てに5限の授業にも寝坊するという始末。色々舐めてますね。
そんな舐めた大学生活を送っていたのですが、ついにアレに向き合わなければならない時期がやってきました。


そう。就活。


当時の私は特にやりたいこともなく、周りに流される形でとりあえず髪を黒くしスーツを買い、就職活動を始めました。
「なんでみんな同じ格好をして、金太郎飴みたいなことを言わなきゃいけないんだろう」
と疑問に思いながら。。。。


私たちの学年が就職活動を始める少し前に、リーマンショックがあり、
これまで割とすんなり内定が出てきた就活戦線も、かなり厳しくなりました。
4月から面接が開始され、ゴールデンウィーク前には内定がもらえるだろうとたかをくくっていたものの、それがなかなか出ません。


なんで??
なんで??


私面接受けた中で誰よりも話せてるのになんで??と焦る日々。
今考えてみると、そりゃあでないです。だって、明らかに会社研究不足。そして生意気。他のみんなよりも話せてる、というのはハッタリをかましてるだけです。


今の私が面接官だったら、即効で落とします。しかも、受けたのは総合職ではなく転勤したくないという理由で一般職でした。もうやる気ないのバレバレですね。。。

しかし、そんな就職活動も5月中旬にようやく内定をもらえ、ひとまず終了したのです。


最終面接に何度も落とされ、
心身ともにボロボロになり、
しばらく就職活動のことなんて考えないようにしていました。


でも、ふと落ち着いた時、ちょっと思ってしまったのです。


「違う。こういうことじゃない。」と。


大学4年の集大成とも言える就職活動。こんな投げやりな形で終わってしまっていいのか。不完全燃焼な自分の存在に気づいた私は、このままの気持ちで働くのは失礼だと思い、内定を辞退しました。内定辞退した私は、自分のやりたいことについて一生懸命考えたのですが、結局自分のやりたいことはよく分かりませんでした。


そこで、
「いろんな仕事がある公務員なら、自分のやりたいことが見つかるかもしれない!」と、公務員試験を受けることにしたのです。


そして公務員試験の勉強を始めた翌年の3月。東日本大震災がありました。
そこで、住民のために命をも捧げて働く、たくさんの公務員がいることを知りました。


今まで、やりたいことがよく分からないからとか、転勤がないからという、今考えてみればすごく軽率だし、失礼な理由で公務員になりたいと思っていたのですが、
東日本大震災が今まで惰性でしか物事を進めてこなかった私に与えた影響は、計り知れません。


こんな気持ちで公務員になるのは失礼だし、なるからにはずっと頑張りたい。
と思い、猛勉強の末、めでたく東京都庁に合格したのです。


実は筆記は他にもいくつか受かっていたのですが、
官庁訪問した文部科学省は早々にエレオク(エレベーター送り。公務員試験業界での不合格を意味する言葉)され、裁判所事務官では圧迫面接された上に落とされ(10年くらい前の話ですよ。今は圧迫は禁止されてるかと)、国税専門官ではそもそも税の話に興味を持てず、、、(今自営業で税金関係ものすごく勉強してるのにw)終始優しく楽しく明るい面接で、私を拾ってくれたのが都庁だったんです。


というわけで、
内定辞退→大学卒業→フリーター
を経て、都に採用され、今後およそ9年弱に及ぶ公務員時代がスタートするのでした。

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