【考察】寓話「鳥の親子」から考える恩返し

こんな話があります。

昔、母鳥と三匹のヒナ鳥たちが
一緒に巣で暮らしていました。

ある日、鳥の巣が大嵐に巻き込まれ、
このままでは巣もろとも三匹のヒナが
地上へ落下してしまう危険が迫っていました。

しかし、大雨と強風の中、
一度に三匹のヒナは運べないので、
母親は一羽ずつ運ぶことにしました。

まず、一匹のヒナを咥えて、母親は大雨大風の中を巣から飛び立ちました。

海を渡っている途中で、
母親はヒナに尋ねました。

子供よ。
お母さんは命懸けで
お前を助けようとしているが、
お前はその代わりに
何をしてくれるのかい?

ヒナは答えました。

お母さん、
こんな大嵐の中で、
そんなことを考えている余裕は
ありません。
とにかく私を安全なところへ
運んでください。


その答えを聞いた母鳥は、
そのヒナをパッと海に落としてしまいました。


母親は巣に戻ると、
次のヒナを咥えて、嵐の中、
安全な対岸へと飛び立ちました。

そして、また母鳥は
ヒナに同じことを訊きました。

ヒナはこう答えました。

お母さん、
私を安全なところに運んでください。
そうすれば必ず私は
毎日食物を運んで来て
恩返ししますから。


それを聞いた母鳥は、
そのヒナもパッと海に放してしまいました。

母親は再び巣に戻ると、
最後のヒナを口に咥えて、
安全な対岸へと飛び立ちました。

風雨の舞う海上を飛びながら、
母鳥が同じことを質問します。

そのヒナはこう答えました。

お母さん、
私はお母さんが
私にしてくれたことを、
必ず私の子どもにもするつもりです。


これを聞いた母鳥は、
このヒナを安全な対岸へと
無事に送り届けました。


さて、この寓話はなにを伝えたくて作られたのでしょうか。

いろいろな解釈ができると思います。

僕の場合は、恩返しのあり方について述べた説示のように受けとりました。

この世界観に自分を当てはめた時、
僕は多くの場合、二番目のヒナだと思います。「仮は返す」という言葉があるように、本人に返すのが常識だと思っています。

しかし、この話では、二番目のヒナは海に捨てられます。衝撃です。

最終的には三匹目のヒナだけが生き残ることこらは、「母がしてくれたことと同じことを自分の子供にします」と言ったことが母鳥にとって模範解答だったということでしょう。

しかし、なぜ、母鳥は二番目のヒナを落とし、三番目のヒナを生かしたのでしょうか。

これは僕の勝手な解釈ですが、
母鳥が二番目の子供を落とした理由は、
「恩が母鳥とヒナ鳥の内で完結してしまう」
ことが”正解でない”と判断したからだと思います。

そもそも、恩返しの定義とはなんでしょうか。
辞書によれば
「自分にとってよいことをしてくれた相手に感謝し、それにふさわしい行為をして返すこと」とあります。

良くしてもらったら感謝し、ふさわしい行為をする。
社会の中では当然の行いだと思います。
しかし、この寓話を読むと、
恩返しとは、当人に返す”だけ”が
恩返し(ふさわしい行為)ではないのだと考えさせられます。


次の世代、次の次の世代と恩を繋げることは恩の流動を生み出します。
この母鳥は、そのようなことを意識して、生かすヒナを選んでいたのかもしれません。

僕は、とあるバーにて、
知らない人にお酒を奢ってもらった時に
この寓話を思い出しました。

その時、思いました。

自分もいつか大人になった時、
この人と同じように、
バーで若い人にお酒を奢る。

それが三番目のヒナのやる「ふさわしい行為」なのだろう。

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