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映画「ガヨとカルマンテスの日々」感想~日本人とキューバのベンチャー精神~

「脚本・監督・撮影:高城剛 原作:芥川龍之介 制作:国立キューバ映画芸術産業研究所」

上記クレジットだけで、ワクワクしていた映画が観れました。お台場のユナイテッドシネマでしか観られない異端作にして、これからの映画スタイルのスタンダードになる(かもしれない)作品の魅力を複数の要素から書いていきたいと思います。

(1)最新撮影技術により映し出される圧倒的ハバナの景色

この要素だけで、観る価値ありです。撮影箇所はハバナを中心としたキューバ各地と思われるますが、何と言っても、街自体が世界遺産登録されているハバナ旧市街の映像が圧倒的です。景色が美しいとか綺麗とか、そういった事を越えて、景色自体が映画を観る私達を飲み込んできます。

カラフルかつ年季の入ったスペインのコロニアル建築やそびえ立つ教会。そんな街中をパワフルに動き回る映画の登場人物、市民。そして全ての上に悠然と佇む青空。

監督こだわりの撮影技術により、細い道も、建物の屋上も、屋内も、あらゆる通りも、映画の舞台として映し出され、迷路のようで底無しの街が、私達の前に多様な表情を見せてくれます。

(ちなみに筆者は2019年にハバナを旅しており、知っている場所がいくつもあったのが嬉しかったです)

(2)雑で知的な俳優たちの会話

映画の中で交わされる会話の中で、全体の半分近く、悪口や雑な言葉が飛び交います。正直他の映画でやられると、筆者としては苦手意識を感じてしまうのですが、この映画では、悪口すら世界情勢や哲学やたとえ話等がふんだんに盛り込まれ、引き込まれました。

俳優たちが雑談するために映画が作られたのではないか、と思ったほどで、情報量の多い会話を不自然にならずリズム良く進め、物語を引き立てるのは、キューバ人俳優のレベルの高さを実感しました。

その背景には、教育水準が高く、世界有数の「閉じた国」にして、実は世界一「開かれた国際主義の国」でもある、キューバの特性があると思います。

(3)分かりやすいテーマ設定と幾重にも「空回る」ストーリー

ストーリーとしては「米国の財政破綻の余波を受ける(多分中南米の)貧しい小国の報われぬ資本主義体制下で、薬物に、盗みに、宗教に、様々な事に生活と救いを求めていた人々が、喪失や悲劇に直面する事で、ある者は更なる不幸に合い、またある者は反新自由主義の政治運動に目覚めて行く」というものです。

混乱しながらも新しい動きが胎動する米国や中南米、そして一部は日本の状況も踏まえて描かれたストーリーとテーマだと思われ、分かりやすさもあります。いかにもキューバ国家の影響下で作られた作品と言えなくも無い。

しかし他のキューバ映画と同様、本作も凡庸なプロパガンダを軽く飛び越える「強さ」を持っています。その「強さ」の秘密は、「資本主義の矛盾の下で、人々の意図が空回り、それが喜悲劇を次から次へと生み出してしまうため、中々世直しに繋がらない」事を丁寧に描いている点にあると思いました。

夢中で会話している内に一番の獲物を逃す。生活のために金を追求して大切なものを失くす。人違いから命に関わる喜悲劇が起きる。宗教的な救いや癒しが逃避や流血に繋がる。

こうした「日々必死に生きているのに一番大切なものを逃してしまう流転状況」の中で、翻弄される登場人物達を否定せず、コミカルに描きながら、徐々に「世直し」の萌芽へと繋げて行く。そして「流転状況」の原因が行き過ぎた資本主義にあるのだと腹落ちできるようになる。脚本や監督の高い手腕を証明するものだと思います。

悲劇的なシーンの直後に軽快なキューバ音楽が流れ、物語が展開するカオスさもまた、脚本の秀逸さを引き立てていると思います。緻密さの中に混沌があり、混沌の中に緻密さがあります。

(4)ICAIC(国立キューバ映画芸術産業研究所)の胆力

本作で描かれているような状況は、中南米始め、広く世界中で見られる事でしょう。革命が起きなかったと仮定した場合のキューバの状況と言えなくも無い。

しかし革命が起きたキューバの現実は、資本主義大国である米国の残忍な政策と、当局自身の抱える問題により、厳しい状況となっています。資本主義の波に押されてきており、本作に出てくる欺瞞の資本主義国家を、今のキューバ政府に当てはめてみるという、多少無理矢理な解釈もできなくはないです。

また、去年に大規模な反政府騒動が起き、最近も不安定な状況が続く中、本作はハバナを舞台にして、デモ行進や爆破シーン、車両の破壊シーンを堂々と描きました。現実の反政府騒動と映画のシーンは、背景を一切無視すれば、非常に似たものに感じます。

しかしICAICは、敢えて微妙な問題からも逃げずに、本作を気鋭の日本人と共に出しました。

その背景には、情報を出さないようで、積極的に公開もし、トップダウンのようで、広く人民から意見を募ったりもする。そして良くも悪くも統制が働くようで、経済を中心に非公式部門が拡大を続けている。以上のような革命体制の美点と矛盾があると思います。

(5)キューバと日本のベンチャースピリット

本作の類似作品を、高城氏が日本を舞台に撮ろうとしても、ここまで素晴らしい作品にはならなかったでしょう。キューバと日本という方向性は異なるが、ある種「おかたい国」に眠るベンチャースピリット同士が化学反応を起こし、実現した作品と言えます。映画チラシの裏には高城氏のこのような言葉がありました。

いままで何度かキューバで撮影をしてきて、いつか一緒に長編映画を作ろうと話してきました。カリブ海の自然光の下、社会主義ならではの製作体制と日本のハイテク技術の融合が、この映画を生み出したのです。(強調部分筆者)

インタビュー等を読むと分かりますが、高城氏は資本主義に強く疑問を抱いている一方、企画や仕事の進め方はベンチャー的で、スタートアップの方法に近いものを感じます。日本的な忖度やお世辞とも無縁そうで、そんな高城氏が認めるような実力が、キューバの社会主義にはあった訳です。

コロナワクチンの開発と感染対策、災害時の体制構築と復旧スピード、(時間はかかりましたが)同性婚含めた新家族法の当局自身の反省、是正から進歩への人民も参画した決定プロセス等は、本作の製作同様、「停滞した社会主義」というステレオに当てはまらない、高い「生産性」を実現してきた実例だと思います。

しかし逆に考えてしまうのは「多岐に渡る事柄で高いパフォーマンスを発揮してきた事実があるのなら、経済状況をもう少し何とかできないのだろうか」ということです。

もちろんこの考え自体「数十年に渡る米国の経済制裁や体制破壊工作を視野に入れない甘っちょろい考え」なのは分かります。しかし、せめて食料自給率を格段に上げて制裁に対抗するとか、広く民間の創意工夫を活かしながら、根幹での社会主義は守り、経済活性化に繋げる等、超人的な事も成し遂げて来た国だからこそできるのではないかと、圧倒的なクオリティの映画を観た後だからこそ、考えてしまいました。

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