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おすすめの曲㉗:ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」

 (きょうは、もうnoteの更新はしないかと思っていましたが、します。これは、私がときどき書くクラシック音楽オタクネタです。もっとマシなネタがなくてすみません。いろいろなアイデアはあるのですが、なかなか言葉にならなくて…。本日もクラシックオタクネタです。それでもよろしいと思うかたは、どうぞお読みください。おもしろいのが書けるかどうかはわかりません。あと、この曲は、それほどマニアックではないですね。どちらかというとこの曲は通俗名曲ですね。)

 ショスタコーヴィチは15曲の交響曲を書きました。20世紀の「大作曲家」としては、かなり多いです。ほかに、ホヴァネスとか、ミヤスコフスキーとか、ブライアンのような、ものすごい数の交響曲を書いた20世紀の作曲家もいますが、ショスタコーヴィチの15曲は有名な作曲家のなかではかなり多いほうです。そのうちでも、本日、取り上げるのは、第5番です。最も演奏頻度の高い曲です。

 最初に、ショスタコーヴィチの交響曲について過去に書いた記事をはります。いちいち読まなくてだいじょうぶですよ。長いですし。おもしろそうと思ったかただけお読みください。外山雄三指揮神奈川フィルによる第5番(今回の曲)の演奏会の話、ロストロポーヴィチ指揮新日本フィルによる第10番の演奏会の話、そして、バルシャイ指揮西ドイツ放送交響楽団による交響曲全曲録音の話、の3つです。



 はじめてショスタコーヴィチの曲を知ったのが、この交響曲第5番でした。家に、シルヴェストリ指揮ウィーン・フィルのCDがあったのです(いまでもあるはずです)。当時、すでにオケをやっていた私は、素直に「かっこいい曲だなあ」と思いました。同じころ、この曲をラジオで聴きました(若杉弘指揮N響だったと思います)。当時、私は高校3年生でした。9月の文化祭で部活をやめて(つまり、高3の夏休みは、部活づけでした。よく現役で東大に受かるなあと言われることもあるのですが、とにかく田舎の学校だった私の母校ではこれは当たり前のようなことでした。いまではどうだか知りませんが)、受験勉強に励んでいたころの話です。自室で勉強しながら、しているふりをしつつ、息抜きに、こっそり楽譜を書いて楽しんでいました。親に見つからないように…。それがこのショスタコーヴィチの5番だったのです。この曲の第4楽章のスコアを見ながら、ピアノ連弾用に編曲していました。いろいろな発見があったものです。もちろん使われることなくどこかに消えていった楽譜です。純粋に私の受験勉強の息抜きでした。

 それから、シルヴェストリ盤だけでなく、自分でもこの曲のCDが欲しくなりました。とにかくCDを買わないと音楽が聴けない時代でしたから(いまから30年前の話です)。お店に行き、ストコフスキー指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団のショスタコーヴィチ5番のCDを買って聴きました。正直、ちょっと期待はずれでした。これなら、みんながいいと言っているバーンスタイン盤を買うべきだったかな、と思ったことを覚えています。でもこのCDを繰り返し聴きました。いっしょに入っているスクリャービンの「法悦の詩」(ストコフスキー指揮ヒューストン交響楽団)も気に入りました。このスクリャービンの「法悦の詩」にかんしては、日を改めて書きたいと思います。じつは、さっきこのCDを聴いたのです。買ってから30年、まだかかりました。よく無くさずに持っていたものです。それで、この記事を書くことにしました。

 さて、大学に受かりました。東京はたくさんCDが売っていて地方とは情報量が違います。また、マニアックな友人ともたくさん知り合いました。オーケストラの友人でもショスタコーヴィチのマニアは弦楽器、管楽器、打楽器を問わずいまして、さかんにマニアックな話をしており、いなかから出てきた私はついていくことができないほどでした。じつは、いま、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の記事を書いているのは、私としてはかなり思い切っています。なぜなら、ショスタコーヴィチは、私にとって、「その深みにはハマることのできない」作曲家だからです。交響曲15曲のなかでも「なぞ」の曲はかなり多く、協奏曲でもなぞの曲はあり、弦楽四重奏曲だのヴィオラ・ソナタだのというのは、かなりのなぞの曲です。それにしても、この「交響曲第5番」は、かなり「わかりやすい」曲なので、こうして記事を書いているのです。ショスタコーヴィチの好きな人にはかないません。ほんとうはこんな記事を書く資格さえないものです。それでも書いているわけです。ごめんなさいね。

 私がよく聴くショスタコーヴィチの作品は、交響曲第1番、第5番(今回の曲)、第6番、第7番、第9番、第10番、第11番、ピアノ協奏曲の2曲、といったところです。マニアックなかたからは「情けないやつだな」と思われること必定で書きました。しかし、こういう「わかりやすい」曲しか理解できないのですから、しかたありません。46歳にもなって、ついに開き直ったと言うことができるかもしれません。

 在籍している学生オケが、第9番をやったことがあります。私は降り番でした。とてつもなく難しそうな曲で、よくみなさんあんなものをやるなあ、と言った感じでした。9番を客席で聴いた経験はない気がします。今回の曲である第5番も、学生オケが取り上げたときがあります。これも降り番でした。しかし、この「ショスタコーヴィチの第5番」は、アマチュア、プロを問わず、かなりひんぱんにやる曲です。アマチュアがやる曲の「決まり方」は、ほぼ「編成」と「難易度」です。スコアを見る限り、かなり難しい曲のそろっているショスタコーヴィチの曲のなかで、この「交響曲第5番」は、かなり「やりやすい」ほうの曲なのだろうな、ということがわかります。(それでも私はアマオケの仲間が、ショスタコーヴィチの交響曲第6番、第8番、第11番、第13番をやるのを聴いたことがあります。「やりたい」という気持ちがまさると、難しい曲でもやってしまうらしいですね。)

 いかにこの「ショスタコーヴィチの第5番」がよくやられるか、というのは、人生で何回かこの曲に「当たって」いることからもわかります。まず、ある市民オケで、この曲に当たりました。そのときは、ピッコロパートが当たりました。ショスタコーヴィチのピッコロは「おいしい」ことで有名です。そのころ私はまだ発達障害の二次障害にやられておらず、「うまかった」です。(私は、発達障害の二次障害たる精神障害から、楽器がへたになってしまいました。「精神病で楽器がへたになる」という症状の人に出会ったことがなく、誰とも分かち合えないくやしさですが、とにかく今から20年くらい前に、私は楽器がへたになってしまいました。じつはいま、ちょっとした本番を控えていて、きょうも楽器を練習してきたのですが、かなりひどい調子でした。なさけない。)しかし、そこの首席奏者のおじさん(おじさんと言っても、いまの私よりは若かったことになりますが)は極めて嫌らしい性格の人で、どうしてもウマがあわず、その回は、練習はしたものの、本番を迎えずに退団しましたので、やっていません。そのまたのちに、ある吹奏楽団のエキストラとして行っていたころ、その吹奏楽団が、この曲を、全曲、吹奏楽に編曲してやる、ということがありました。私は弦楽器パートを吹かせてもらいました。さてこれは「ショスタコーヴィチの5番をやったことがある」うちに入るでしょうか?

 この曲のよさは、何度も書いていますが、そのわかりやすさにあります。「やりやすい」だけでなく、「よさがわかりやすい」のも、よく取り上げられる理由のひとつでしょうね。4つの楽章からなり、最後にはりつけるYouTubeの動画(律儀に見なくていいですからね)は、40分21秒。そんなに長くないのです。(クラシック音楽では、このくらいの長さは当たり前の長さです。)最後は、圧倒的なハッピーエンドで終わります。かっこいい!スカッとする!という曲です。

 はじめてこの曲に出会った演奏は、シルヴェストリ盤だという話を上に書きました。それは、たしかに名演奏でした。第4楽章の冒頭のティンパニのテンポがすごく速いですが、そこまで含めていい演奏です。ウィーン・フィルがうまいですし。そして、ストコフスキー指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団は失敗したと思った話を書きました。じつはそのあと、ストコフスキー指揮のベルリオーズの「幻想交響曲」を聴いた私はストコフスキーにハマりました。私の感性にあう指揮者だったのです。じつはこのショスタコーヴィチの「第5番」を世界初録音したのはストコフスキーです。フィラデルフィア管弦楽団の1939年録音。ほんとうにもう、この曲は新曲だというのに、どうやってこれだけの演奏ができるのだろう?というほど、ストコフスキーはさえています。2021年現在、これが新譜で出ても話題になるのではないかと思われるほどの衝撃的な出来栄えです。そして、和音を聴きとることができる私は、この演奏の第4楽章の、弦楽器による和音のなかで、通常はラのナチュラルであるところが、ラのフラットになっている箇所に気づいています。これを指摘している音楽評論家はいません。評論家のみならず、この意見を「公表」している人が、そもそも私のこの記事が世界初なのではないかと思うほど、みんな気が付かない(ちょっと普通のと和音が違うな、と思って聴いている人はいるでしょうけど、どこがどう違うか、まで言える人はそうそういない)。私が知らないだけかもしれませんが、そういう演奏をほかで聴いたこともありません。ストコフスキーは、この曲は晩年まで得意であり、とくに、よく客演(よそのオーケストラを指揮しに行くこと)のときに持って歩いた曲ですので、いろいろなライヴ録音が残っています。指揮者のビシュコフが、この曲をベルリンフィルで取り上げたのは自分が最初だと言っていました(それまでベルリンフィルのショスタコーヴィチのレパートリーは10番だけだったと言っています。たしかにカラヤンはショスタコーヴィチは10番しか録音しませんでした)が、少し待ってくださいね。ストコフスキーは1959年に、ベルリンフィルで、ショスタコーヴィチの5番を取り上げていますよ!

 この曲をアマチュアがどう略すか。われわれの時代は、9番を「たこきゅう」と略した関係で、この曲は「たこご」と呼ばれていましたが、けっこうな人が「しょすご」と略しています。別にどちらでもいいのですが、私は「タコ5」になじんでいますね。ちなみにある駅の近くに「たこ十」というお店を見つけて、思わず看板を写真に撮ったことがあります。その写真もどこかに行ってしまいましたが(どうでもよい)。

 教員だった時代に、オーケストラ部が、ショスタコーヴィチの「3つの小品」というものを取り上げたことがあります。これはコーチが選曲したもので、なにものかの編曲でした。いったいなにが原曲なのか?私は学生時代のショスタコーヴィチ・マニアにメールで聞いてみました。当時もまだYouTubeなどない時代で、彼は、ネーメ・ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団によるショスタコーヴィチの「バレエ組曲」を集めた2枚組のCDをすすめてきました。私は購入し、聴いてみましたが、どの曲も違う。たしかに、ショスタコーヴィチって、こういう「本気で作ったとは思えない曲」というのがときどきある。しかし、このころ、たまたまある人からもらった、「Duo Petit」という日本人の団体の「おやすみ」というCDのなかに、この曲は入っていた!これの編曲だったのだ!この曲については、私はこれ以上の情報を知りません。この曲についてご存知のかたがいらっしゃいましたら、どうぞコメントでお知らせくださいね。この「本気とは思えない曲」。このときの筆頭顧問は、音楽は詳しいものの、ピアノの人であり、ピアノ以外の曲は詳しくないのでした。オーケストラ曲については詳しくなかった。その筆頭顧問は、この曲をオケがやるのを聴き、精一杯、胸を張って「あの『交響曲第5番』を作った人の作品とは思えない」と言っていましたね。さすがにそれはちょっと恥ずかしい発言ですよ。「あの『交響曲第14番』を作った人の作品とは思えない」と言うのならともかく、「交響曲第5番」は、あくまで通俗名曲ですよ…。

 最後に、YouTubeをはります。これもストコフスキーの指揮であり、アメリカ交響楽団のラストの演奏会のライヴで、ストコフスキーのアメリカでの最後の演奏会のライヴです。そういう節目に取り上げる曲だったということです。現代の演奏と最も違うところは、終結部のテンポですが(当時の西側の演奏は、ソ連での本場の演奏の倍の速さだった)、それを気にしなければ、いまでも通用する、とてもいい演奏だと思います。とはいえ、やはりこの曲の究極の演奏は、さきほど述べた、ストコフスキーによる1939年の「世界発録音」ですけどね。(さきほども書きましたが、律儀に聴かなくていいですよ。40分もかかりますから。)



以上です。とてもつまらない文章でしたね。ごめんなさい。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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