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不登校子育ての不安と暮らす。

教室にいるみんなと進路が違うんだ、と我が子の不登校を悲しく受け止めてしまったときは、寄る辺ない苦しみの中にいたけれど、みんなと違うことがいつか強みになるんだ、と上を向いて現実を受け止められたときは、そこに向かう息子たちを応援するだけだ、というシンプルな気持ちになった。
たいてい不登校を見守る私の日々は、この2つの気持ちを行ったり来たりする。

長男は不登校の中でやりたいことを見つけた。
そんな姿を見ていると、どんなにつらい子育ても、息子にやりたいことがあるらしい、というそれだけで尊いことだと身にしみる。
これ以上の、何を望んでいたんだろう、と。

息子が教室に行けなかったことで、大多数の普通からそれてしまったかもしれないけれど、むしろこの経験が強みになるときが来ると、色々な人を見ていて思う。どんなことも、弱みが強みに変わる瞬間を、実際幾度となく見てきたはず。そしてその姿に心強く励まされてきた。だから、不安ばかりにならなくていいと、とても不安になりやすい自分にいつも言う。




子育てがこんなにも難しいと思わなかった。
子育てがこんなにも答えがないものだと思わなかった。
だからこそ、この中に見つけた何かにはいつも意味があって、偏りや生きにくさに気付かされる。

気付くことは、変わるために必要だと思うから、暗闇に見える出来事への感情は、絶望感だけに終わらせたくない。
ここからどう希望を見つけるか、を、試されているのだとしたら。
途方もない天からのクイズに、私は日々へこたれながら、茶碗を洗い、洗濯を畳み、掃除機をかける。

一日一日を何とか明日に繋げればよしとして。






息子たちは今日もマイペースにやっていて、
夫も私も元気に過ごせていて、
ペットも元気で、観葉植物も元気で、
穏やかに時間が流れる。

心地のよい今。








焦っていないし
大丈夫誰も暴れてない。







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