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完璧主義を破壊したいな〜。

完璧主義が自分をくるしめる。何事もやり遂げなければ、完璧にやらなければ、という無意識な気持ちにいつもやられる。
それは、自分が不完全だと思い知っているからで、そこがだめだと思っているからで、人の不完全に寛容であれても、自分に厳しいのはやはり、幼少期の家庭で怒鳴られた経験が頭の中に残るからっていうのも大いにある。

この私の偏りにより、被害を被ったのはふたりの息子だと思う。
たくさんたくさん、感情的に怒鳴って育ててしまった。

思春期になっている彼らを見ていると、動き出すために完璧を求めているように見える。完璧じゃないと動いてはいけないんだよね、と思っているように見えてしまう。いい塩梅で人生何とかなるんだから、適当でいいからやることやればいいよ、なんてことを今から言っても、過去に押し付けた高い理想のしっぺ返しのように、その反対のことさえも完璧に遂行している。

完璧なことなんて幻想なんだよ、などと私がのたまえば、どの口が言えたものかと息子たちに糾弾されそうだけれど、私はもうすっかり完璧主義に白旗を振って歩き出していることを、息子たちは暮らしの中に感じているかもしれない。

完璧に生きようとすればするほどおかしなことになることを知った。




言葉で息子たちに一方的に伝えることはもう出来ない。もう、しつけとか、そういう時期は過ぎてるから、一人のプレ大人として、場面場面で対等にありたいな、と。しかしこれがとても至難のわざ。



これからどう歩きだすのか、不登校の経験をどう活かすのか、息子たちを何にも縛られずフレキシブルに見守る私にはやはり、完璧なものは完璧にいらない。




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