タイムカプセル

過去を変えたいと、思ったことはあるだろうか。
僕はある。
世間だと、おとなと言われる年齢になった今でもある。
でもそれは、いまの自分の我儘なんだとも思う。
説教臭いと思わせてしまっただろうか!
でも、少し待って欲しい。
ページを閉じるのを、少しだけ待って欲しい。
最後までじゃなくていい。
あと少しだけ、読んで欲しい。

僕が小学生の頃に、学校の裏側にある雑木林にタイムカプセルを埋めた。
いつかこれを掘り返そうと言って、クラスの中でも本当に仲の良かった3人組で埋めたものだ。

でも結局、その3人組だってこうしてバラバラになってしまった。
林に生える木の枝は、当時はまだ若々しかったけども、今は枝先が随分と煤けてしまい、幹の部分だって頼りなく地面に突き刺さっているだけだ。

あのタイムカプセルには、当時僕たちの遊んでいた色んな思い出が詰まっている。
それは、ブリキのミニチュアカーであったり、3人で遊び尽くした遊戯王のカードであったり、賞味期限の切れたよっちゃんイカであったり。とにかく、僕達にとっての宝物だった。

でも、それだって樹木と同じように、今はもう土と同化してしまって原型なんて留めていないのだろう。
かつての宝物は、今は僕たちの心の中にしか残っていない。

今の僕は、タール色をしたコーヒーの原液に牛乳を足して、それで苦味を無理やりにでも殺しながら、喉に押し込んでいる。
でも、それが時間なのだと思う。
あのタイムカプセルは、もう掘り返せない。

埋めた時は、将来おとなになったら掘り返そうと本気でそう言い合いながら埋めたものだ。
でも、もうその形は失われてしまった。
後にも先にも、もうどこにもタイムカプセルは見付けられない。

掘り返そうと思えば、多分見付けられる。
そうして、掘り返してみる。

箱を見つけて、掘り返す時に粘土質の土で汚れてしまった手で、目の前に蘇ったボロボロの箱を開けてみれば、沢山のものが溢れてくる。
そこに、今の僕の大切なものを入れる事だって出来る。

でも今の僕には、過去の何もかもを綺麗に出来るだけの力は残されていない。また埋めても、土の中の年月と共に、自然の中で風化していく。
あの時、埋めた時のように。

過去は変えるためにあるのではなく、今の自分を変えるためにあるのだと思う。
だからと言って、いつまでも掘り返せるものでは無い。
雨が降り、葉っぱが腐り、土壌に栄養がいき渡ろうと、いつかは土も腐り果ててしまって、硬く閉ざしてしまう。もうそうなったら、本当に開けることは出来なくなってしまう。

それでも、それまでは自分に対して、生きていても欲しいとも思う。
掘り返そうだなんて、今は思わなかったとしても。
死ぬ時にはきっと、沢山のものが心の中に詰まっているのだと思う。

だから、どうしても死にたくなったとしても、もう少しだけ頑張って生きてみてほしい。

今はどれだけ、自分が汚れてしまっていたとしても。周りの本当に綺麗な人たちさえも、自分が汚してしまったとしても。過去を全部塗り替えてしまいたいと思い、今すべてを台無しにしたとしても。

これからきっと、何かをまた詰めていく事が出来る。

だからせめて、死ぬ時までには、綺麗なものを、見付けていたい。

生きていてください。

汚れてしまったあなたでも、そんな自分であっても、誰かが好きでいてくれます。

タイムカプセルを、ここに遺します。

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