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文章をかく その3 触れて分解、時には壊す

 以前、記事を書く際はタイトルを先に決めていました。タイトルから考える、というのは小学校の作文でまず題名を考えて書き出した癖が残っていたのだと思います。このnoteを始めてからは、文章を先に書き、後でタイトルを決めるようにしています。その方が手がすらすら動くことに気がついたからです。
 また、「である」ではなくて「です・ます」にするようにしました。寄り添うような話しているような気持ちになれます。まだ慣れていなくて、書き始めはつい「である」で進めてしまうのですが、途中で気がついて直しています。
 それと、昔に比べて改行を減らしました。見る媒体によって画面の幅が大きく異なることに、ようやく気がついたからです。昔はガラケーかパソコンくらいしかなかったのである程度幅はわかりましたが、今はタブレットもあるし文字サイズも自由に選べるので改行位置がわかりません。

 文章を書く工夫を意識してみると、他の方がいかに普段から気を使って記事を作っているかがわかってきました。noteはもちろんfacebookやTwitterについても、人それぞれ方法は違いますが、読んでもらうために書いているんだなあと。

 さらに気がついたことがあるのですが、私はどうやら物事を分解することに慣れていないようです。文章、音楽、写真、イラスト、全ての物事に言えるのですが「ここが面白い!」と思うポイントはあれど、ではなぜ面白いか?どういった仕組みになっているのか?音楽であればどんな楽器と音程と拍子で成り立っているのか?という分解に慣れていない。「苦手」と書くとイメージが固定されて天井ができてしまいそうだから、敢えて「慣れていない」という表現にしました。

 文章については少し分解することができ始めた気がします。分解できないというのは、壊すのが怖かったり、そもそも何回もやっていない・触れていない証拠です。触れて、なぞって、動かして、匂いを嗅いで、舐めて、味わって、時には壊してみる。比喩表現になりますが、そういった過程をあらゆる物事に実践していくことが、自分の面白さを出していくということなのかもしれませんね。

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