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『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』 メンタルクリニックの映画館

『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』 山田洋次、1976年

ご存じ「寅さん」シリーズ17作目。ロケ地は播州龍野。
マドンナは、太地喜和子。
ロッキード事件を背景に製作された本作は、”お金”に翻弄される寅さんたち庶民の姿を通して、鋭く社会を風刺する。
私見ではシリーズ最高傑作。異論歓迎。


【前口上】

 今日は、『男はつらいよ』シリーズから一本とりあげまして、シリーズ第17作目の『―寅次郎夕焼け小焼けー』をご覧いただきます。1976年の夏に公開された作品です。

 タイトルの “夕焼け小焼け” は、この映画のロケ地となった播州(岡山県)龍野出身の詩人、三木露風の「赤とんぼ」の唄にちなんでおります。
 ♪夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か♪ というあれですね。

 マドンナは太地喜和子です。

 テキヤ稼業の流れ者、車寅次郎は、粗野で、無教養で、直情径行で、おっちょこちょい。かなりはた迷惑な人物ですが、情にもろくて、他人に親切で、どこか憎めない風来坊。 “寅さん” は多くの日本人に愛されたキャラクターです。

 1969年の第1作以来、監督 山田洋次・主演 渥美 清(第3・4作は別監督)のコンビで、シリーズとしては世界最長記録だそうです。2019年末に第50作が公開されました。それだけ熱心なファンにいまも愛され続けているということでしょう。
 但し、私は、第48作が公開されて渥美 清が亡くなった時点でシリーズは終わった (寅は愛するリリーと加計呂麻島で所帯をもち、そこで骨をうずめた)、と思っているんですが…。

 先ずは映画をお楽しみ下さい。

 マドンナの太地喜和子のほかに、共演者は「とらや」のいつもの面々のほか、宇野重吉、岡田嘉子、クレージーキャッツの桜井センリ、寺尾 聡(宇野重吉と親子競演)、大滝秀治、佐野浅夫といった名優たちがワキを固めております。



【上映後】

 『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』をご覧いただきました。如何でしたか?

 爽やかな幕切れでしたね。芸者ぼたんは、青観先生が贈ってくれた絵を売らない限り生活の苦労は解消しないんだけれども、いま、金銭の額に換算できないものを、しっかり抱きしめています。お金に換算できないものとは、 “人のなさけ”と言ってもいいし、 “まごころ” “隣人愛” もっとシンプルに “愛” と呼んでもいいかもしれません。彼女は、そこから生きる勇気をもらった。

 寅さんの役回りも、いつもの片想い・失恋パターンとはちょっと違っています。柴又に帰ってくれば、おいちゃん・おばちゃん・さくら夫婦に甘えたり、すねたり、タコ社長とケンカはするわで、はた迷惑なキャラクターは相変わらずなんですが、この作品では、 “お金”というものに翻弄される庶民の代表、主役というよりは狂言回しという役回りだと思います。


製作と同時並行で大事件が進行―ロッキード事件

 ところで、この映画が製作・公開された1976年という年は、日本の政治を揺るがす大事件が起こった年でした。ロッキード事件です。

 この年の2月、アメリカ議会で、ロッキード社の日本にたいする航空機の売り込みで1200万ドル(36億円)の工作資金が賄賂として右翼の児玉誉士夫や輸入代理店の丸紅などに渡り、一部が日本政府の高官に流れたことが明るみに出ます。日本でも国会で野党が追及を始め、予算委員会で、国際興業の小佐野賢治や全日空、丸紅などの幹部が証人喚問される。その一部始終はTV中継されて大問題になりました。

 『寅次郎夕焼け小焼け』が公開されたのは7月24日ですが、三日後の7月27日、前首相の田中角栄が秘書とともに東京地検に逮捕されます。エアバス・トライスターを全日空に売り込んだ成功報酬としてロッキード社から5億円を受け取った疑いでした。
(但し、工作資金36億円のうち、明らかにされたのは5億円の流れのみ。他に次期対潜哨戒機P3C、次期主力戦闘機F15のための金の流れは未解明に終わる。)

 田中角栄と言えば『日本列島改造論』で、とくに過疎地に「開発」の夢をばらまいたことで知られています。 “庶民宰相” と呼ばれ “今太閤” とも呼ばれて、それなりに人気の高かった総理大臣でしたが、その政治手法がとんでもない金権政治だったことが総理在任期間中から次第に明らかになってゆき、ロッキード疑獄という戦後最大の汚職事件で逮捕されたことで、その人気は地に堕ちました。

 私は、山田洋次監督が、 “お金に翻弄される庶民” という古くて新しいテーマをこの作品で敢えて選んだのは、そういう大事件が製作と同時並行で進行中だったという背景があったからだと思っています。

 映画の冒頭シークェンスで、さくらの

「お兄ちゃんはね、ウソをついたり、人をだましたりしたことは一度だってないんだもの。誰にも後ろ指なんかさされることないのよ。
博さんもね、言ってたわよ。
総理大臣がエラくてお兄ちゃんがエラくないなんて、誰が決めたんだ、同じ人間じゃないかって…」

というせりふがありましたけれども、なかなか効いていますね。



七万円狂騒曲

 さて、葛飾柴又にひさびさに帰ってきた寅は、上野駅前の焼鳥屋で飲んでいたみすぼらしい老人が無銭飲食を咎められるのを見て、かわいそうに思い、「とらや」に連れて帰ります。
 「とらや」を宿屋と勘違いした老人は、翌朝、遅く起きてきて、茶を出せの、風呂に入りたいだの言っておいちゃん・おばちゃんに横柄な態度をとったり、外出して鰻を食べてきた代金を「とらや」に付けたりして、皆の大ひんしゅくを買います。

 この老人が、実は日本画の大家、池ノ内青観画伯だということは、後で判るわけですけれども、「とらや」が宿屋じゃないことを悟った青観先生は、迷惑はかけたし、さりとて自分は普段金を持ち歩かないので、すっかり困ってしまう。困った挙句、寅に紙と筆を持ってこさせて、玉ねぎのようなニンニクのような不思議な図をちょろちょろと描く。「これを神田のある古本屋の主人あるじに見せてくれ、幾らか用立ててくれるはずだ」と言う。

 「宝珠ほうじゅ」とか「宝珠の玉」という縁起ものなんだそうですね。上の方が尖り、火炎が燃えている様子を表している。仏教で、これによって思うことが叶えられると説かれるものです。


 寅が画用紙に描かれた宝珠をもって、神保町の古本屋の店主と掛け合うシーンは、なかなか秀逸です。

 店主は、署名を見たとたん、ぷっと吹き出して、「青観…、人もあろうに青観の名をかたるとは…」と最初相手にしようともしなかったのが、筆跡を見ているうちに半信半疑になり、やがて…

店主 「あんた、これ、売るんだね? いくら? え? いくら?
   断っておくけど、そんな高い金は出せないよ。
   落書きみたいなものなんだから…
   いくら? 早く言いなさいよ。」
寅  「それじゃ電車賃使って来たことだし…(人差し指を一本立てる)」
店主 「そりゃ高い! 冗談じゃない。
   いくらなんでも、そんな高い金出せないよ。
   … これで‥どうだ?(手のひらを広げて)これなら買う。」
寅  「半分か…」

寅も店主も商売人どうし。あ・うんの呼吸で駆け引きが展開しているように見えますが、お互い思い描いている数字の桁が全然違うんですよね。寅の人差し指一本は、常識的に考えれば、鰻代6000円に幾らか乗せて1万円でしょうけれど、寅の日頃の金銭感覚から推すと、もう一桁少ないんじゃないか。

店主 「じゃ、もう一本色を付けよう」 
寅  「ん、じゃ、しょうがねぇな」
店主 「オイ! 6万円の領収書かいて!」
寅  「おじさん、今、何ていった? ろ、6万円?」
店主 「気に入らないか? よし、じゃあ、もう一本色を付けよう。
   これで決まり。
   オイ! 7万円だ、7万円!」

古書店のあるじ(大滝秀治)と寅の駆け引き

1976年の7万円は、今だったら、14万円*ぐらいでしょうか?(*消費者物価指数を元に計算するアプリを使いましたが、もうちょっと高い気がします。)

 宝珠というものは、ただの縁起ものの図案にすぎない。もらった人が記念にちょっと額縁か何かに入れて壁に飾っておく。その程度の役にしか立たないものです。
 ところが、それが〈商品〉として市場に投げ入れられるやいなや、それが高名な画家の描いたものだというだけで高い値がつく。

 人間というものは、不思議なもので、こういうことを目にすると、あの玉ねぎだかニンニクだか判らないイタズラ描きが、7万円に見えてきちゃう。

 同じことをマルクスが『資本論』のなかで、それが〈商品〉というものの呪物的性格なのだ、それは一種の妄想のようなものだ、と書いています。

 寅の妄想は、こうです。

「さくら、お前もう暮らしの心配なんかすることないよ。博のヤツは裏の工場こうばを辞めさせちまえ!
おいちゃん、お前も団子なんか作るのやめろ!
明日からな、家中そろって面白おかしく、ホカホカホカホカ暮らすんだよ。
かば焼きだろうと天ぷらだろうと、食いたいものどんどん食っちゃうんだ。
それでもし、金がなくなったら、二階のジジイの尻ひっぱたいて、ちょろちょろっと描かせりゃ…7万円だよ」

タコ社長が嘆き節をこぼします。

「ハァーッ、俺もう働くのがやんなっちゃった。そうだろ? あのじいさん、ちょこちょこっと絵を描いて、7万円だ。それだけの金をかせぐにゃ、俺たちは、どんだけ働かなきゃなんねぇか…」

 そこへ、小学校に上がったばかりの満男が、「おじいちゃんに描いてもらった」と、画用紙をもってくる。見ると、ちょっと鳥獣戯画みたいな動物の絵が描いてある。
 これまたイタズラ描きのようなもので、世間的には―つまり商品としては―「宝珠」の方により価値があるのかも知れませんけど、眺める分には、こっちの方が楽しいんじゃないか、素人にはちょっとそんな気もします。が、いずれにしても、一座の人びとには、この絵が7万円に見える。

 それを寅とタコ社長が互いに引っ張り合ってやぶいてしまいます。

「お前、これ幾らだと思ってんだよ!! ‥ベンショウできんのか⁈」
「工場売ってでも払ってやるよ!」
「よく見ろ、お前。あれが工場か? あれが7万円で売れんのか⁈」

 タコ社長の工場は、団子屋の裏手の小さな印刷工場ですよね。

 まじめに働くことが、まともに評価されにくい世の中で、始終金策に走り回らなければならないような小企業経営の苦労やら、うっ憤やらが積もり積もっているところへ、寅に馬鹿にされたくやしさで、またまたケンカになる。タコ社長は泣きながら、「コンチクショウ、コンチクショウ」と画用紙をびりびりに破いてしまいます。…



そうめん(揖保乃糸)は播州龍野の名物。寅と、謹厳実直だがいざとなると宴会芸の達者な観光課長(桜井センリ)と、”無芸大食”を絵に描いたようなその部下(寺尾 聡)
龍野の夕焼け空
芸者ぼたん(太地喜和子)


芸者ぼたんの苦悩

 が、 “お金” に振り回されているのは「とらや」のひとびとだけではないですね。

 物語の後半、播州龍野で寅と懇意になった芸者ぼたんが、柴又の「とらや」を訪ねて来ます。また、寅が好きになった女の人が寅を訪ねて来たのかのかと、「とらや」のひとびとは色めきたちますが、ぼたんが上京した理由は、実は金の工面のためだった。

 ぼたんは、ある男に自分のなけなしの財産200万円を騙し取られたと言う。その男は幽霊会社を設立し、集めた金を持ってドロンしてしまった。やっと居場所を探し当てたその男は、東京でのうのうと暮らしている。しかも、キャバレーやら中華料理店やら、店をいくつも持ち、高級マンションに住んでいるらしい。

 同情した「とらや」のひとびとは、会社経営にくわしいからという理由で、タコ社長をぼたんに付き添わせます。ところが、やっと会えたその男は、平然と「会社はつぶれて、あたしは一文無しだ。店は弟のものだし、マンションは家内のものだ。アンタには気の毒なことをしたが、あたしを信用して金を出したのが間違いだった」と言い放ちます。

 男に法的に財産がないとなれば、資産を持っている男の妻や兄弟に200万の金を融通してくれるように男から頼んでもらえないか、としか言うことができない。男の妻や兄弟は、ぼたんに対して債務はなにもないわけですからね。

 近代の市民社会(資本主義)を支える法律は、個人の財産に対する所有を “高度に私的な所有権” として保護します。

 財産の所有者は、その財産を使用しても良いし、使用しなくとも良いし、譲り渡すのも、担保に入れるのも、壊すのも “自由” なんですが、要するに、男の法的な立場では妻や弟が自分の財産をどうしようと勝手でしょ、貴女には何の関係もないことなんだから。何なら裁判に訴えても結構ですよ、という話になる。まァ、ひどい男がいるものです。

 

 ガックリしてぼたんとタコ社長が帰ってきたのを見て、義憤にかられた寅は、「さくら、もし警察が俺を捜しに来たら、 “確かにそういう兄はおりましたが、七年前きっぱりと縁を切りました” そう言うんだぞ」と言い残して「とらや」を飛び出して行ってしまいます。男をとっちめてやろうとしたんだが、はた、と考えると男の住所を知らない。



青観のこころ、ぼたんの心意気

 寅は、思い余って、池ノ内青観を屋敷に訪ねます。

「絵、描いてくんねぇかな‥ぼたんを助けるために。俺、それをタタキ売っちゃう。
 この前、ちょろちょろっと描いたヤツで、7万円だからなァ。
 こんだ、でっかい紙に、ていねいに描くんだ‥そうすりゃ、こりゃ高く売れるよ。
 俺、それを、ぼたんに持たせて帰してやりたいんだ。
 なァ先生、ちょろちょろっと描いてくれ…」

青観は、寅のたっての頼みを断って、けんか別れのようになります。が、青観には青観の理由があるんですね。

. 青観は言います。

「僕が絵を描くということはね、これは僕の仕事なんだ。金を稼ぐためじゃない。」

「金を稼ぐため」でなければ、どうして生きてゆけるのか?描いた絵が商品として売れるからです。売れたから、そして日本画の大家として名を成したから、あれだけ立派な屋敷も建つんですけれども。

 けれども、画家が絵を描くということは、「幾らで売れる」ものを描こうとして出来ることじゃない。その意味では、絵画はあらかじめ商品として生産されるものじゃない。

 むしろ、「幾ら、幾らで売れる絵」を描こうと思ったら、芸術作品としては駄目になるでしょう。 

「絵描きが絵を描くということは、これは真剣勝負なんだ」

と青観がいうのは、そのことですね。しかし、どんな血のにじむような、身を削るような精進をしながら描いた絵でも、その価値は、商品経済の世の中では、結局、モノとお金の関係でしか測られない。 “描く” という人間的な営みは、お金の価値のかげに隠されてしまうんですね。逆に言えば、一度名前が売れれば、どこかに “これ見よがし” や “売らんかな” が潜んでいる駄目な絵でも、「あの画家の絵は価値が高い」ということで商品として売り買いされる。

 そういう怖さを青観は熟知しているから、普段、めったなことでは色紙のたぐいを描かないことを自分に課しているわけでしょう。


 その青観は、寅とけんか別れのようになった後、何カ月か経って、ぼたんに大輪の牡丹の花の絵を贈りました。

 びっくりしたぼたんが、贈られた絵を市長に見せると、龍野市のために青観に絵を描いてほしいと思っていた市長は、200万円で譲ってほしいと言った。
 売る・売らないは、ぼたんの自由です。龍野市に200万円で譲って、お金に換えたってかまわないんですよ。ぼたんが、もし、生活に行き詰まっていて、明日のお金に困るようなら売っていいんです。あの絵が、市役所か公民館かのホールの壁に飾られたっていいじゃないですか。青観だって、ぼたんの窮状を知ったうえで、あの絵を描いて贈ったんです。

 けれども、青観が、ぼたんのために絵を描いて贈った、まごころ〈愛〉は、お金に換算できるものじゃない。ぼたんが、

「けど、あたし譲らへん。絶対に譲らへん!1000万円積まれても譲らへん。
 一生、宝物にするんや」

と言い切る姿に、私たち観客が、一種すがすがしさを感じるのは、私たちが常日ごろ、お金が君臨している世の中で、人と人との結びつきをどこかでお金に換算しなければ生きてゆけないことが、身に沁みているからでしょう。


 私たちが、日々働いているのは、もちろん生きるためです。それぞれが自分の職業・仕事をもち、モノやサービスを提供しあい、見ず知らずの人とも結びついている。

 けれども、そこでの人と人との結びつきは、資本主義(市民社会)の世の中では、〈商品〉と〈商品〉の関係として現れてしまって、 “働く” という人間的な営みは、お金の価値のかげに隠されてしまう、ということを鋭く指摘したのは、マルクスです。
 例えば、パートの時給がどうして法定最低賃金以上になかなか上がらないのか、タコ社長の印刷工場はなぜいつまでたっても事業を大きくできないのかといったことも、私たちが働く能力を商品として切り売りしなければ生きてゆけない実態を考えたとき、はじめて解けてくる謎なのですが、そこまで行くと、もちろん、この映画のテーマを越えます。

 けれども、私は、この映画の作り手が、 “お金” に翻弄される庶民の姿を通して、「お金の価値とは何か」を問おうとした。そしてラストの、ぼたんの心意気を通じて、働くことの成果を交換し合ってできる人と人との結びつきを、もう一度、人間の営みとして確かめ合おうじゃないか、と言っているように思えるんですね。

ラストシーンから

…ということを喋っておいて、後は雑談風に進めたいと思っておりますが…


余談

 池ノ内青観役の宇野重吉(1914-88)は、滝沢修(1906-2000)らと、現在の劇団民藝を創立して、戦後の新劇を牽引してきた優れた俳優・演出家ですけれども、青観の故郷、播州龍野で、青観の若き日の恋人を演じた岡田嘉子という女優は、ちょっとすごい人なので、そのことに一言触れておきます。

 岡田嘉子(1902-92)は、年齢は宇野重吉の一回りほど上ですが、日本の新劇の草創期を体験した女優です。17歳で劇作家・中村吉蔵の新芸術座で初舞台を踏み、後、日活や松竹といった映画会社と契約をして、本格的な映画女優としてスターになりました。サイレント期の小津安二郎作品に名演を残しています。

 が、彼女をとりわけ有名にしたのは、演出家の杉本良吉とともに、1938年1月、当時日本領だった樺太(サハリン)の国境を越え、ソ連に亡命した「恋の越境」事件です。

 戦争をはさんで10年ほど消息不明だったのが、戦後の1948年、モスクワ放送の日本語アナウンサーとして健在であることが知られるようになりました。その後、彼女はソ連の国立演劇大学を卒業し、モスクワのマヤコフスキー劇場の演出家になりました。
 1972年、35年ぶりに日本に一時帰国し、以来何度か日本に帰ってきて、演出家・女優として活躍しました。日本の演劇界に復帰するにあたっては、宇野重吉をはじめとする新劇人の尽力があったようです。この映画への出演も、何度目かの帰国の際に実現したものです。

 ところが、この映画に出演した当時、岡田嘉子には政治的理由で公に語れないことがあったんですね。ソ連に亡命してから10年ほどの身の上のことです。

 杉本良吉と雪の樺太の国境を越えてソ連に亡命したのは、日中戦争の本格化で時代の先が見えなくなって絶望的になっていたからです。ソ連に行けば、モスクワ芸術座は演劇のメッカでしたから、本格的な演劇の勉強ができる、そう思った。

 しかし、時代はソ連でも悪かった。ソ連では、スターリンの粛清の嵐が吹き荒れていました。日本では知る由もなかったことなんですが、越境するや、スパイ容疑で杉本とともに逮捕されます。杉本とは、すぐに引き離されて、過酷な取り調べを受け、スパイ罪で服役しました。―という事情を少しおおっぴらに彼女が語れるようになったのは、今日の映画の約10年後のこと、ソ連がペレストロイカの時代を迎えてからです。

 実は、杉本良吉はスパイ罪で処刑されていたのですが、当時、彼女は、病死だと思っていた。真実を知らされたのは、それからさらに数年後のことです。


 そんなわけで、この映画に出演した当時の彼女は、語ることのできない過去を抱えていました。けれども、そんな素振りは全く見せることなく、彼女の語る日本語の美しさは、多くの人を驚かせ魅了しました。

 この映画のなかで、青観の若き日の恋人役(志乃)を演じた彼女は、何十年ぶりかに再会した青観と静かに語らいます。

志乃(岡田嘉子)と青観(宇野重吉)の再会シーン

青観「お志乃さん…僕は、貴方の人生に責任がある…」
志乃「一夫さん、昔とちっとも変わらしまへんなァ その言い方…」
青観「…しかし、僕は後悔してるんだ」
志乃「じゃあ、仮にですよ…あなたがもう一つの生き方をなすっとったら、
  ちっとも後悔しないですんだと、言い切れますか?
  あたし、この頃よく思うの。人生に後悔はつきものじゃないかって…
  ああすりゃ良かったな、という後悔と、もうひとつは
  どうして、あんな事してしまったんだろう、という後悔…」
青観「……(涙ぐんでいる)」

心に残る名せりふですね。

 でも、考えてみれば、岡田嘉子のせりふは、このドラマを越えた重みをもっていて、すごいせりふを言わせたものだ、と思います。この映画の作り手たちが、彼女の公に語れない過去を、本人からどこまで聞かされていたかは、ちょっとわからないのですが…


『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
(松竹大船、1976年、110分)

製作:名島 徹
原作・監督:山田洋次
脚本:山田洋次・朝間義隆
撮影:高羽哲夫
美術:出川三男
音楽:山本直純
出演:渥美 清、太地喜和子、
   倍賞千恵子、下條正巳、三崎千恵子、前田 吟、太宰幸雄、
   佐藤蛾次郎、笠智 衆、
   桜井センリ、寺尾 聡、久米 明、大滝秀治、佐野浅夫、
   岡田嘉子、宇野重吉

下記の本を参照しました

 『世界大百科事典』「ロッキード事件」の項目 平凡社 1988年
 『戦後史大事典』 三省堂 1991年
 カール・マルクス『資本論』第1部 岡崎次郎訳 国民文庫 1972年
 川島武宣『日本人の法意識』 岩波新書 1967年
 升本喜年『女優 岡田嘉子』 文藝春秋 1993年

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