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301 is...

はじめまして。301 です。

わたしたちは、デザインを軸にクリエイティブ面のパートナーとしてプロジェクトに携わってきました。創業5年目を迎えた現在は、様々な事業の立ち上げ段階から参加することが増え、全体の8割が新規事業案件となり、クリエイティブの領域すら超えつつあります。

その背景には 、301 という場がクリエイティブを提供する会社である以前に、ここに集まる一人ひとりの「やりたい」という想いが産声をあげる場所であった、というルーツがあるのです。今回は、そんな301の成り立ちをご紹介するイントロダクションとして “301“ が歩き出すまでのストーリーを、弊社CEOの大谷からお話させていただきます。

今後、このnoteでは、誰かの「やりたい」を支え続けている301が培った、個人の人生の大切な時間を注ぐに値する “本当にやりたい仕事“ をつくるためのアイディアをお届けしていく予定です。

301号室という奇跡

〈ベランダにカヌーが見えるマンション〉
JR恵比寿駅の西口を出て商店街を抜け、一階にスーパーが入っているマンションの階段を三階まで上がると、すぐ左手に301号室がある。2011年から2013年頃にかけて、この2LDKの部屋には総勢300人以上の人々が出入りし、20人以上の人々が合鍵を持っていた。家を借りて住んでいたのは、生年月日が1984年9月13日でピタリと一致していながら性格は真逆の、金融業界で働いていた友人と、広告業界で働いていた自分の二人だった。

301号室は、家という形態をとりながらも、自分たちのコミュニティにとってのパブリックスペースのように使われていた。平日の夜は、この場から生まれたプロジェクトに関わる様々な人たちが打合せに訪れ、休日は住人である自分たち以外の誰かが企画したイベントが毎週のように開催され、ベランダではカナディアン・カヌーの制作が日夜進行し、よく誰かが誰かを「ちょっと寄ってく?」と言って意味もなく連れてきたりしていた。時代は、シェアハウスやコワーキングスペースという言葉が社会に知られる少し前くらいだった。


〈人生の28.5%を考える〉
今思えば、自分は仲間が集う “場“ をつくることが好きなのだと思う。その “場“ には、 “ともに何かを生み出す“ という “共有可能な楽しみ“ がいつも存在していた。多様な人たちが集えば集うほど出来ることの可能性は広がり、より難易度の高い目標に向かうことで集う人の幅が広がっていく。そんなループを繰り返すうちに、301号室から生まれるプロジェクトのいくつかは、雑誌・新聞・TV・ラジオに取り上げられ、企業とのコラボレーションも生まれていった。すべてのプロジェクトは、301号室に集う人々が、仕事以外の時間で生み出したものだった。「土日だけでも人生の28.5%を締める。平日の夜を含めるともっとある。その時間をどう使うかが人生を大きく左右する」よくそんなことをみんなに話していた。

広告業界で働いていた自分は、忙しい時期は土日もなく深夜三時、四時まで仕事をし、仕事終わりにコンビニのハイカロリーな弁当で栄養補給し、毎日タクシーで意識朦朧としながら家に帰り、たまにストレスで夜中に過呼吸で目を覚ますような生活をしていた。第一志望だった会社に入り、業界第一線の人々と仕事をしていたはずなのに、たびたび「死にたい」と思うことがあった。「自分たちは影響力のある仕事をしているから、死ぬほど忙しいのはその代償だ」と、ある先輩は語っていた。301号室という会社以外のオルタナティブなコミュニティを持っていた自分は、忙しいながらも現実をどこか俯瞰して見ていたところがあり、その現実に対して「何かおかしい」という違和感を抱いていた。


〈場、コミュニティ、ときどきチーム〉
301号室は、いつしか “301“ と通称で呼ばれるようになっていた。301は、いつでも行ける “場“ であり、100人くらいの多様な人たちが出入りする境界のない “コミュニティ“ であり、新しい文化の発端となるようなプロジェクトを生み出す “チーム“ でもあった。それぞれがやりたいことを持ち込み、必要であれば必要な才能をどこかから誰かが探してきて、気付けば何かが生み出され、メディアを通して発信され、さらに仲間が増え、また新しい何かが起こっていく。そういうエコシステムができていた。そんな都合のいい話があるのかと思うかもしれないけれども、そんな奇跡のような現実が、そこでは確かに起こっていた。

2014年に立ち上げて現在に至る “301“ という会社は、そこで起きていた荒削りな奇跡を、社会というスケールに拡張することをミッションとしている。そして現在の301が持っているDNAのほとんどすべては、その当時に生まれたものを引き継いでいる。利害関係を持ち込まないフラットな関係性であること。ひとつひとつのプロジェクトに人々を巻き込めるだけのビジョンを描くこと。とにかくやってみること。何かを一緒につくることを通してコミュニティを拡大していくこと。入るのも出るのも自由であること。オープンであること。やりたいことをやるということ。ピュアであること。ルールはないこと。常識にはまらないこと。そうした価値観が、今も301の中に確実に息づいてる。


〈未来を選択可能に変える〉
301というコミュニティを通して何かプロジェクトを実行するとき、基本的には自分たちの「やりたい」という気持ちが起点となっていた。自然と、それを実現する上でコラボレーションする相手に、極めてピュアな気持ちで向き合うことになる。そういうスタンスで色々なプロジェクトをやる中で気付いたことがあった。301を通して出会う人々は、決して大きな市場を動かしている訳ではないけれど、自分たちがやりたいことに対してリスクを追って、自分の人生として向き合い、何にも縛られることなく、当然のように未来を見て仕事をしているということ。当たり前のように聞こえるかもしれないけれど、広告という強固なヒエラルキー構造がある業界で仕事をしていた自分からしたら、自由に生きる人たちやスタートアップ界隈の人たちに出会う機会がなかったこともあり、とてつもない衝撃であり気付きであった。直感的に、そこに未来と可能性を感じた。

ちょうど時代は、リーマンショックと3.11の影響を受けていた頃で、広告の表現と予算は確実に保守的な方向へと向かっていた。そんな中、FacebookやTwitterが日本でも盛り上がり、CAMPFIREがスタートし、社会を変革するための方法論がマスメディアからインターネットへ、市場から市民へと、移り変わっていく気配を感じ始めていた。301は、人生の大きな挑戦や決断をする上での、とても心強いセーフティーネットにもなっていた。自分が何のアテもなく独立の決断をすぐにできたのも、「どんな失敗があったとしても、301のみんなという味方がいてくれるなら、なんとかなる気がする」と思えたからだと言える。301が、未来を選択可能なものに変えてくれた。


〈そして301へ〉
かくして時代と偶然が重なり、大きな市場のゲームを抜け出すことにし、301を会社として新たにスタートさせた。当時の仲間たちは、今では301の社員になっていたり、301に仕事を相談する人になっていたり、301から仕事を相談する人になっていたり、その関係性がときに入れ替わったりもしている。

設立から四年、混沌とした創業期を乗り越え、301は “チーム“ としての機能を中心にクリエイティブ・サービスを提供することで会社として成長してきた。そしてここからはもともと大切にしていた “場“ と “コミュニティ“ の機能にも改めて立ち返り、301という仕組みを社会化するための新しい挑戦と革新をガシガシ進めていく。この連載では、その裏側にどのような試行錯誤があるのかをお伝えしていこうと思う。記事を通じて、301で仕事したい人や、301と仕事したい人、そして301というコミュニティに参加してくれる人が増えることを願って。



301 CCOの宮崎が書いた301の成り立ちはこちら↓


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