超短編小説:卒業
「まさか、あんただったとはねぇ」
冷えたホームの隅にあるベンチ。さっきコンビニで買ったクリームパンをむしゃむしゃ食べているルビーちゃんを横目で見つつ、私はつぶやいた。
「私だってびっくりしたよ。まさか、タニシがあんただったなんて」
ルビーちゃんも、ちらりと私を見て言う。
「気付かないもんだね」
「そうね。ある意味私たちはネットリテラシーが完璧なのかもね」
くすっと笑って、ルビーちゃんは再びクリームパンをむしゃむしゃした。
私とルビーちゃんは、オンラインゲームで知り合った。同い年で、プレイの息もばっちり合っていた私たちは、すぐに仲良くなり、連絡を取り合うようになった。顔も知らないし、本名も知らない。お互いに「ルビーちゃん」「タニシ」という、ゲーム内の名前で呼び合う関係。でも、知らないこと以上に、私たちにはたくさんの共通点があった。
年齢、性別、住んでいる県、好きな食べ物、好きな曲、好きなテレビ番組、嫌いな食べ物、嫌いなこと。
そして、いちばん大切な共通点。
この世界に、何の未練もないってこと。
だから、決めたのだ。
高校の卒業式の次の日に、ぜんぶのことから卒業しちゃおう、って。
私たちは丁寧に計画を立てた。場所も、時間も、方法も。
実行の日を、そして、初めてルビーちゃんに会う日を心待ちにしていた。
すべてが完璧だった。
待ち合わせ場所に、幼馴染の石井紅が現れるまでは。
「ルビーちゃんが紅だったなんて、やっぱり信じられない」
「私だって。タニシが真知だなんて、全然思ってなかった」
「なんか、拍子抜けだね」
「そうね」
クリームパンを食べ終えたルビーちゃん…、紅は、くしゃっと袋を丸めた。
「そういえば紅、昔からクリームパン好きだったよね」
「うん。ラストはクリームパン、って決めてたんだけどね。クリーム少なかったから、ちょっとがっかり」
「そっか」
会話が途切れる。私も紅も、どうして良いかわからないのだ。
「苗字が西田だから、タニシなの?」
なんとか会話をしたいのか、紅が尋ねてきた。
「まあ、そうだけど」
「ふうん」
そして、再び沈黙。手の中で、特急券を弄ぶ。紅も同じものを持っている。できるだけ遠いところに行きたかったのだ。
「なんかさあ、雰囲気出ないよね」
ぼそっと紅がつぶやいた。
「まあ、そうだよね」
「予定が狂っちゃったっていうか…」
「思ってたのと違うよね」
「なんか…、これで大丈夫?」
「大丈夫?って聞かれても…。イメージとはだいぶ違うけど」
その時、ホームに特急列車が滑り込んできた。
私たちが乗る予定の、特急列車。静かに扉が開く。
ゆっくりと紅が立ち上がったので、私も続いた。
これに乗ってしまえば、後は…。
紅が、そっと私の手を握った。少し背の低い彼女を見下ろすと、しっかりと私の目を見ていた。
扉が閉まり、特急列車は動き始めた。
手をつないだまま、私たちは特急を見送った。
「やっぱりさあ、真知だと雰囲気出ないんだわ」
少しうつむいた紅は、口をとがらせている。懐かしいその表情に思わず笑ってしまった。
「私も。紅じゃだめだった」
「また、出直しますか」
「そうだね」
「クリームパンも、いまいちだったし…」
言い訳をするように、紅はもごもご言った。
「確かに、もっとおいしいもの食べてからでも良いよね」
「そうだよね!」
私の言葉に、紅はぱっと顔をあげて笑った。
ゆっくりとつないでいた手をはなして、私たちは歩き始める。
きっと今日は、タイミングじゃなかったんだ。
次は、もっとふさわしいタイミングで、ふさわしい人と。
でもちょっとだけ、そのタイミングはまだ来なくて良いかも、と思ってしまった。
※フィクションです。
昨日、やけに電車が空いてるなーと思ったら、県内の多くの学校が卒業式だったようです。卒業生の皆さん、おめでとうございます。
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