短編小説:煙の関係

 なぜ人間は、髪を切ることに理由を求めるのか。永遠の謎である。
 昨日、髪を切った。たいした理由はない。伸びたから切っただけだ。いちいち話しかけられるのが嫌なので、美容院にはできるかぎり行きたくない。というわけで、私は結べる長さギリギリまで切って、そのあとは自分が耐えられるところまで放置する、というパターンを繰り返していた。
 そのおかげで美容院に行く回数を年に一、二回に抑えられるのだが、一気に切るのでどうしても「髪を切った」という事実が周囲に気付かれ、「なんで切ったの?」と尋ねられてしまう、というマイナスポイントもあった。
「てっしー、髪切ってる!」
「どうしたの?」
「切ったの?もったいない!」
「なになに、失恋?」
 失恋したら髪を切る、とかいうわけのわからない文化が残っていることに呆れる。
 面倒な質問を曖昧に流していたら、誰かが
「ま、夏だもんね」
 と言った。夏だから髪を切る、というのもよくわからないが、失恋やら何やらよりはマシなので、そういうことにしておいた。

 たかが髪を切る、というだけで、なんでこんなに面倒くさいのか。煙と一緒に、ため息を吐き出す。
 夕方のカフェは案外空いており、喫煙席にかんしては貸切状態だった。いつもの煙草と、アイスコーヒー。ここのコーヒーはそれほど美味しいと思わないが、大学の近くで喫煙可能なカフェはここぐらいしかないのだ。私にとって、このカフェは煙草がメインで、コーヒーは単なるオマケでしかない。

「お疲れ」
 喫煙スペースの自動ドアが空いて、コーヒーを片手に入ってきたのは窪田だった。窪田は同じ学科の同期である。友だちではない。強いていうなら、ヤニ仲間といったところか。
「手嶋、最近はここで吸ってんの」
 窪田は隣に座りながら言った。苗字が手嶋だから、私はみんなから「てっしー」と呼ばれている。大学で「手嶋」と呼ぶのは窪田だけだ。
「ここしか吸えないからね」
 苦笑いして答えた。
 普段は近くのコンビニの喫煙スペースを使っているのだが、この暑い時期に屋外で吸うのはしんどい。大学敷地内はすべて禁煙だし、吸える場所はどんどん減ってきている。

「バッサリ切ったね」
 窪田は私の頭を指差した。
「まあね」
「似合ってるじゃん」
「どうも」
 さらっと言うから、ちょっとびっくりする。窪田が学校で誰かと話しているところはほとんど見たことがないし、私も喫煙中以外に窪田と話したことはない。そんなこと言えるやつだったのか。
「どしたの?失恋?それとも恋か?」
 そして窪田は、せっかく上げた自分の評価を自ら下げていく。
「しょうもないこと聞かないでよ」
「ごめんごめん」
 窪田は笑いながら火をつけた。
「教室でみんなに質問攻めされてたから、僕もやってみたくなって」
「何?聞いてたの?」
「聞こえてきただけ。あんだけ騒いでたら嫌でも聞こえるって。で、夏だから切ったんだって?」
「そういうことにしてるの」
 学校では黙ってるくせに、ここでは強気でよくしゃべるんだから。まあ、私も人のこと言えないか。
「あれ、いつもと違うじゃん」
 ふと、窪田から漂う匂いが違うことに気付いた。煙草が、いつもの黄緑色のパッケージではなく、白と水色の洒落たものに変わっている。
「浮気?珍しいね」
「初心に帰ろうと思ってさ。これ、僕が初めて吸った銘柄」
「へえ。なんで急に?あ、失恋?それとも恋?」
 ちょっとした仕返しのつもりで言ってみる。
「ふふ」
 窪田は否定も肯定もせず、笑って煙を吐き出した。意味ありげな表情があまりにも意外で、胸がざわつく。
 そうか、私が知らないだけで、窪田にもいろいろ事情はあるよな。
 勝手に私がいないと思っているだけで、恋人がいるのかもしれないし。燃えるような恋をしているのかもしれないし。
 そもそも私は、喫煙している時の窪田しかよく知らないのだ。私の喫煙場面を間近で見ているのも、私のことを「手嶋」と呼ぶのも、窪田だけだが、ただそれだけの単なるヤニ仲間でしかないのだ。

「そういえば近くのカラオケ、全室禁煙になったらしいよ」
 窪田が黙っているので気まずくなり、私は話題を変えた。
「そうなの?」
「しかも、喫煙スペースもないんだって」
「嘘、最悪じゃん。吸えるとこどんどん減ってるよね」
「ここも時間の問題かなぁ」
「ここがなくなったら、近くのパチンコ屋くらいしかないな」
「煙草のためにパチンコ始めるの?」
「それはさすがに」
 短くなった煙草の火を消しながら、窪田は苦笑いした。再び会話が途切れた。窪田は二本目に火を付けることなく、コーヒーを口に運んでいる。私はもうすぐ、二本目を吸い終える。これが終わったら帰ろうかな。

「さっきの」
 二本目を終え、火を消していると、窪田が呟いた。
「なんでもないよ」
「何が?」
「煙草、初心に帰るってやつ。手嶋が失恋だの恋だのって聞いてきたけど」
「ああ、あれ」
「あからさまな仕返しで呆れたから、からかってみただけ。恋も失恋もないよ」
「…え、うざ」
 思わず本音が漏れた。なんだ、それ。
 同時に、なんだかほっとしている自分がいる。窪田に「予想外の事情」が存在しなかった、ということに、安心したのかもしれない。
「コンビニ行ったら初めて吸ったやつが目に入って、懐かしくて買っただけ」
「…しょうもな」
「てなわけで、手嶋のやつ、一本くれない?これ全然刺激が足りんわ」
 思わず、笑ってしまった。
「窪田って、このカフェで吸えなくなったら本当にパチンコ行きそう」
「そのときは手嶋も道連れだよ」
 窪田に一本手渡し、私は三本目に火をつけた。
「そのときは仲良く禁煙しようや」
 そんなことを提案しながら、腹の底では、今後も変わらず煙草を吸う仲でありたいと思っている。







※フィクションです。
 煙草もギャンブルもしないのだが、どんなものなのか知識として持っておきたい気持ちはある。でも依存がこわい。葛藤。





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