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短編小説:ある日の路上ライブ

暑い。暑すぎる。
バス停横の薄汚れたベンチに腰掛け、僕は汗を拭った。
近くに大きな木が生えているおかげで日陰はあるけれど、暑いものは暑い。それに、木に止まったセミの鳴き声がうるさい。

先ほどまで行われていた「スキルアップのための研修」の資料が入ったカバンを抱えて、バスを待つ。こんなに暑いんだし、強制的に受けさせるなら職場で開いてくれれば良いのに、それかオンラインでやってくれれば良いのに、と思う。が、出張扱いで直帰できる方がありがたいか、とすぐに考え直す。ついでに、スキルアップって何なんだろう?と、さほど興味のないことを考えてみる。
何か思い付く前にバスが来た。思ったよりもガラガラだ。この時間、高校生が多いんじゃなかったのか?いや、今は夏休みか。
高校生、いいなぁ、と不毛なことを思ってしまう。高校生の頃は早く社会人になりたかったのにな。

シートに座り、ぼんやりと景色を眺める。
なんとなく就職して、なんとなく働いて、なんとなく研修を受けて。そんなことをしているうちに、じわりじわりと30代が近付いてくる。
「いいか、人生はな、30代がいちばん楽しいんだぞ」
月島さんの声がよみがえる。月島さんは、僕が大学生の時にバイトしていた施設の社員さんだ。確か干支ふたまわりぶん年上だった。月島さんは、口癖のようにそう言っていた。あのときもじゅうぶん楽しそうだったけれど。

ねえ、月島さん。僕の30代も楽しいでしょうか。
今は全然楽しくないんですけど。
楽しくなりそうな気配がないんですけど。

「このままここに就職すれば良いのに」
社員さんやパートさんに言われつつも、せっかく手にした内定を蹴る勇気もなく、大学卒業と同時に辞めたバイト先が恋しい。本当にあのまま就職すればよかった?僕の人生楽しくなっていた?
わからない。

ぼんやり外を見ていると、病院が見えた。医者になった高校の同級生を思い出す。
車屋が見えた。SNSのアイコンが、高級外車とのツーショットになっていた友人を思い出す。
結婚式場が見えた。結婚して、子どもがふたりいる中学校の同級生を思い出す。
いつのまにか起業していた後輩。大手有名企業に転職した先輩。何の仕事をしているか知らないけど、いつもSNSの投稿が楽しそうな同級生。次々と思い出す。
みんな楽しそうだ。まだ30代じゃないのに。僕はちっとも楽しくないのに。

僕は、一体何をしてるんだ。
何度呟いたかわからない言葉。
僕の人生、こんなはずじゃなかった。
いつの間にか口癖になっていた言葉。

じゃあ、どうなれば良かった?
そんなのわからない。
今の仕事に満足はしていない。
でも、他の場所で働ける自信もない。勇気もない。やりたいことも、目標もない。楽しくもない。

ねえ、月島さん。  
僕、このまま30代になっちゃうんですか?

「それはお前次第だろ」とか言うのかな。僕次第なのは僕がいちばんわかってるんだ。

バスが目的地に着く。
暑い。
買い物でもして帰ろう。近くのスーパーに向かって歩いていると、何かが聞こえてきた。
…音楽? 
目を向けると、若い男性がマイクを持って立っている。小さな人だかりができていた。路上ライブのようだ。
暑いのに、頑張るなぁ。
背を向けて歩き始める。いや、歩き始めたはずだった。
彼の歌が聞こえてくると、どういうわけか僕は足を止めていた。
そして、気がつくと僕は、人だかりのはしっこで彼の歌を聴いていた。
「どうもー!聴いてくれてありがとーう!」
曲が終わり、彼は元気よく喋り始める。
「いつもは関西で活動してるんですが、昨日思い付いてここまで来ちゃいましたー!」
わざわざこんな田舎に?なんて行動力だ!
「次に歌うのは、俺が大学生のときに作った歌です!」
見た目から、大学生くらいだと思っていたが、それよりも年上らしい。もしかしたら僕と同じくらいなのかもしれない。
彼は、元気な、でも荒くない、綺麗な声で歌う。

「ありがとう!まだまだ楽しんでいってねー!次の曲は…、」
いつのまにか、二曲目も聴いてしまっていた。
ずっと聴いているわけにもいかないか、と歩き出す。
なんだか、胸がざわざわする。

彼の歌声が胸に染みたわけじゃない。
ありふれた失恋ソングが刺さったわけじゃない。

自分でもよくわからない。
でも、僕と同じくらいの年齢の彼が、路上で歌っていた。それも、とても楽しそうに。

そういえば。
「いいか、人生はな、30代がいちばん楽しいんだぞ」
その後、月島さんは付け加えていた。
「楽しもうと思えば、どんなことも楽しくなるから!」
なんすか、それ、と僕は笑ったけど。

ねえ、月島さん。
当たり前のように言ってたけど、それってすごく難しいんですよ。

まだ耳に、さっきの路上ライブの曲が残っている。
僕だって楽しみたい。変わりたい。
でも、そう簡単にはいかない。ちょっと路上ライブを聴いたくらいじゃ、僕の人生は変わらないんだ。

でも、いつかは。
いつか、変わるためのきっかけのひとつになってくれないかな、なんて。不毛なことを考えてみる。他力本願すぎて笑ってしまう。

さっきの曲が、まだ頭の中で流れている。しつこいな。
彼はまだ歌っているのだろうか。

誰にも聞こえないように、こっそり、口ずさんでみた。






※ノンフィクションを織り交ぜつつも、フィクションです。
 人生って難しい。

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