見出し画像

ショートショート:煮物を渡す女

 もし、私と卓ちゃんの素晴らしい恋を何かに邪魔されるとしたら。

 何がいいかな。
 女のアクセサリーが部屋に落ちてる。卓ちゃんのものじゃないメイク用品がある。そして私がそれを見つける。うん、いいね。
 卓ちゃんのシャツに口紅がついてる。何時代?って感じだけど、それもあり。
 なんなら、卓ちゃんのクローゼットに下着姿の女が隠れてるとか。待って、それ最高。どうせなら派手な美人が良いな。そして私は
「私の卓ちゃんに手を出さないで!」
 ってヒステリックに怒鳴って平手打ちを食らわすの。
 で、なんやかんやあって、仲直りした私と卓ちゃんはハグして、キスして、そして…、うふふふふ。

 そんな妄想ができていたのは、私と卓ちゃんの関係が良好だから。良好すぎて退屈なくらいに。
 お洒落で派手なトラブルがあってもむしろ楽しそう、なんて思っていた。

 そして今、本当にトラブルが起ころうとしている。
 アクセサリーでも、メイク用品でも、裸の女でもなく。

 たったひとつの、タッパーのせいで。

 今日、卓ちゃんは朝から夕方までバイトだ。昨日会ってないし、晩ごはんでも作って待っておこうと卓ちゃんの家に行った。
 卓ちゃんは家事が苦手だ。
 案の定、シンクには洗い物が残っていた。
 コップ、ご飯茶碗、味噌汁碗、そして、タッパー。
 キッチンには、パックご飯のカラと、インスタント味噌汁の袋が置きっぱなしだから、茶碗類はこれに使ったんだろう。
 問題はタッパーだ。
 汚れの感じからして、煮物か何かが入っていたようだ。レンジで温めてそのままタッパーから食べたのかな。

 卓ちゃんは料理をしない。

 料理をしない人間が作り置きをすることなどない。

 料理も作り置きもしない人間である卓ちゃんは、タッパーを持っていない。

 卓ちゃんが急に思い立って、煮物を作って、タッパーを買って入れておいたのか。
 違う。このタッパーは、3つセット110円で売っているものだ。他のふたつは見当たらない。3つセットのタッパーをひとつだけ持っているなんて不自然だ。

 ましてや、料理をしない人間の家に、3つセットのタッパーのうちひとつだけがあり、そこに煮物が入っているなど本来なら有り得ない。

 ということは。
 誰かが煮物を作って、タッパーに入れて、卓ちゃんに渡したのではないか。

 誰が?

「ただいま、来てたんだ」
 その時、卓ちゃんが帰ってきた。私を見て、にっこりと笑う。素敵な笑顔!

 さすがにタッパーひとつで考えすぎか。
 どうせ母親が来てたとか、友だちから差し入れをもらったとかそんなもんだろう。
「おかえり!ねえ、こんなタッパー、持ってたっけ?」

 だから、何気なく尋ねた。
「あー、昨日母さんが来てさぁ」
「そうなんだ、何か作ってもらったの?」
「肉じゃが」
「いいな、私も食べたい!」
 こんな会話を、後に続けるつもりで。

 それなのに。

「あっ」
 卓ちゃんは、顔をひきつらせ、黙ってしまった。
「え、何?」
「いや、その、えっと…」

 嘘でしょ?
 卓ちゃんは完全に狼狽えている。これくらいのこと、テキトーな嘘で誤魔化しなさいよ。そしたら見逃すつもりだったのに。

「何?どうしたの?」
 えーっと、えーっと、と口ごもる卓ちゃんを問い詰めつつも、頭はどこか冷静だ。
 煮物を渡す女なんて、なかなか強気ね。タッパーひとつで、こんなに不快にしてくれて。
 あーあ、アクセサリーとかメイク用品とか、裸の女だったらよかったのになぁ。





※フィクションです。
 筑前煮食べたいなぁ。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?