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超短編小説:シャンプーとアイライナー

 目を覚ますと、いつもと違うシャンプーの香りがした。ベッドのなかで伸びをして、ゆっくりあたりを見渡す。そこは、いつもと同じ、私の部屋。
 いつもと違うシャンプーの香りというものは、いつもと違う部屋とセットになっているイメージだったから、なんだか新鮮だ。

 いつもの部屋で、いつものモーニングルーティン。コスメを入れたポーチを開いて、アイライナーがないことに気付いた。
 そうだ、彼の部屋に忘れたんだった。
 違う。置いてきたんだ。洗面所のどこかに、適当に突っ込んだ気がする。今日一日くらい、アイラインが引けなくても問題ない。

 いつものように朝を過ごして、いつもの講義室に向かう間も、いつもと違うシャンプーの香りはずっと漂っていた。

 違う香り。
 彼の香り。

 飲んで、のこのこ家まで行って、シャワーまで浴びたところで「やっぱり帰る」と言った私を彼は引き留めなかった。
 その顔はがっかりしたようにも、ほっとしたようにも見えた。
 きっと、彼にもまだ良心が残っているのかもしれない。

 講義室に入り、友人と挨拶を交わす。
 シャンプーの香りにも、アイラインを引いていないことにも、誰も気付かない。
 あの子を除いて。
 あの子は、ハッとしたようにこちらを振り向いた。何か言いたげだが、言葉が見つからないのだろう。
 あなたもときどき、この香りを漂わせてるもんね。

 結局あの子は何も言わなかった。あの子は今日、彼の家に行くのかな。
 私のアイライナーは、彼とあの子、どちらが先に気付くのだろうか。彼は優しいから、気付けばすぐに「忘れてるよ」と連絡をくれるはずだ。連絡はまだない。

 もしもあの子が先に気付いたら。
 彼は、自分のものだと言い張るかもしれない。でも、彼がいつも使っているアイライナーはペンシルタイプ。私が置いていったのは、リキッドタイプ。
 そんな嘘、彼のことをよくわかっていれば簡単に見破れる。

 あの子は疑うような視線を何度か投げかけてきた。疑うのも無理はないが、疑ったところで、私と彼の間に事実は存在しない。
 事実が存在しないのだから、罪も存在しない。

 今夜、彼とあの子は、ありもしない事実で争うかもしれないけどね。







※フィクションです。
 ホテルのシャンプーって、ホテル以外で見たことがない気がする。どこのメーカーなんだろう。





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