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短編小説:水面に映る

 秋の風が、もみじを揺らす。
 ところどころ赤く色付いているが、紅葉と呼ぶにはずいぶん早い。目の前の湖に映る景色も、紅葉してからの方が美しかっただろう。
「もう少しあとに来た方が良かったかもね」
 私は、隣で身を乗り出して湖を見ているサクちゃんに言った。サクちゃんは、もともと丸くて大きい目をもっと丸くして私を見つめる。
「なんで?」
「だって、今はあんまり紅葉してないでしょ」
「なるほど、でも今もじゅうぶん綺麗だよ!」
 サクちゃんはにこにこして言った。
 そうだ、サクちゃんはそういう子だ。今が楽しければ、昔も、未来も、関係ないのだ。もっとも、紅葉にさほど興味が無いだけかも知れないが。

「ねえ、次は何食べる?」
 さっきまで熱心に湖を見ていたサクちゃんは、もう食べ物のことを考えている。私は思わず笑ってしまった。
「あっちにカフェもあるし、向こうの通りは屋台があるけど、どうする?」
 あきれながら言うと、サクちゃんは驚いたような顔をする。
愛莉あいり、初めて来たのに詳しいね」
 しまった、と思った。あわてて
「ちゃんと調べて来たのよ。どうせサクちゃん、何も知らないだろうから」
 と付け加える。
「へえ、さすが愛莉!」
 サクちゃんは何も疑っていないようだ。私はほっと胸を撫で下ろした。

 私とサクちゃんは、地元の有名な観光地である湖に訪れている。湖だけでなく、カフェや温泉、食べ歩きができる通りもあって、県内に留まらず日本全国、そして海外からの観光客も多い場所だ。
 高校時代からの親友であるサクちゃんに誘われやって来たのだが、私は初めて来た、というサクちゃんに合わせて「私も初めて」と嘘をついたことを後悔し始めていた。実は、私は数年前に当時の恋人とここに来ている。その恋人とはすぐに別れてしまったし、なんとなくタイミングがなくてサクちゃんに恋人の存在を話していなかったので説明が面倒になり、嘘をついたけれど、「家族と来たことがある」くらいにしておけばよかった。
 途中で打ち明けようかと思ったのだが、
「好きな人が昔行ったことあるみたいで、おすすめって言ってたから私も来てみたかったの」
 と目を輝かせるサクちゃんを見ると、今は言わなくて良いかな、とためらってしまう。

「ねえ、何食べる?」
「何にしようか」 
 私はサクちゃんと並んで湖を眺めながらつぶやいた。水面に映る、私とサクちゃん。長身の私と小柄なサクちゃん。真面目で無口な私と天真爛漫なサクちゃん。見た目も性格も違うけれど、なぜか気が合う私とサクちゃん。
 私たちは同時に口を開く。
「コロッケ食べたい!」
「コロッケかな」
 ほらね。
 こういうとき、私たちはぴったり息が合うのだ。
「ここに来る途中にコロッケ屋さんあったよね」
「うん、私も気になってた」
「じゃ、決まりだね!」
「もう行く?」
 尋ねると、サクちゃんはうーん、と考えた。
「もうちょっと、湖見てから行こうかな」
「そうしようか」
 平日だからか、あまり観光客は多くない。
 私とサクちゃんは湖に架かる橋の欄干にもたれた。

「あっ、デカイ鯉」
「私もそれ見てた」
「ねえ愛莉、コロッケの次は何食べる?」
「…りんご飴」
「りんご飴!私も食べたいと思ってた!」
「他に寄りたいお店は?」
「えっと、なんかガラス細工のお店なかったっけ」
「あるよ、私も行きたい」
 わー!一緒だね!とサクちゃんは嬉しそうに笑った。私も黙って笑い返した。

 一緒だね、サクちゃん。
 私たち、一緒なものがたくさんあるね。昔から好みが合うもんね。
 でもね、他にも「一緒」があるんだよ。

 湖の水面越しにサクちゃんを見る。楽しそうなサクちゃん。もちろん私との観光も楽しんでいるのだろうが、きっとサクちゃんの頭のなかのいくらかは「好きな人」が占めているんだろう。
 その「好きな人」おすすめの観光地にいることが、とても嬉しいのだろう。

 サクちゃん、私たち、いろんなものの好みが合うよね。食べ物も、場所も、そして、人も。


 サクちゃんの「好きな人」ね、私の昔の恋人なんだよ。


 私が昔、すごくすごく好きだった人なんだよ。
 サクちゃんにも教えなかったくらい、好きだったの。
 別れてから一度も連絡を取らずに、忘れたつもりだったのに。サクちゃんが「好きな人ができた」って言って彼の写真を見せてきたときは、本当にびっくりしたよ。サクちゃんと同じ職場に彼がいたなんて、全然知らなかった。世界って狭いのね。
 サクちゃんの「好きな人」は数年前に、私と一緒にここに来たんだよ。こうやって、一緒に湖を眺めたんだよ。

 水面に映る、私とサクちゃん。
 あのとき、私の隣にいたのはサクちゃんじゃなくて彼だった。水面に映るサクちゃんに、彼の幻想を乗せようとする。
 上手くいかない。
 何度見ても、サクちゃんしか映らない。明るくてかわいい、恋をした顔のサクちゃん。彼の姿は見えてこない。
 今度は、水面に映る私を彼に置き換えてみた。私と彼は同じくらいの身長だったから、サクちゃんと彼の身長差もこれくらいか。
 さっきと違って、簡単の彼の幻想を見ることができた。

 なぜだろう。
 とてもしっくり来る気がする。

 もしも彼とサクちゃんだったら。私と違って上手くいくのかな。なんとなくそう思う。上手くいってほしいと思う。
 それは本心だ。
 私にとって、サクちゃんも彼もとても大切な存在だから。
 でも、同時に少しだけ悲しみもあるの。
 ずるいけれど、それがきちんと消えるまでは彼とのこと、サクちゃんには黙っていたい。

「ねえ、そろそろコロッケ食べよっか」
 水面に映るサクちゃんが、彼、ではなく、私を見上げた。
「そうだね、そろそろ行こうか」
 私は答えると、そっとサクちゃんの髪を撫でた。サクちゃんはくすぐったそうに笑う。

「サクちゃん」
「んー?」
「好きな人と、上手くいくといいね」

 思わず口をついて出てきた言葉。サクちゃんは一瞬驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに笑ってうなずいた。
 とても綺麗な笑顔だった。

 私のぶんも、愛して、愛されてね。

 そんな願いを込めながら、私はもう一度、サクちゃんの髪を撫でる。
 私は再び、水面に彼の幻想を見た気がした。




※フィクションです。
 画像は 由布市の金鱗湖きんりんこ
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