見出し画像

和歌よたれぞ 〜万葉の時代とADHDという才能〜


 それが推古天皇の治世だったか、女性天皇であったことだけをどこかの古墳群のミュージアムショップでふと手に取った冊子体で読んだであろうことしか記憶していないのだけれど、とにかく、その時代、日本のあちこちで戦火が上がる動乱の世に片足プラス0.5本位突っ込んだような状態になって、それを重く憂慮したかの天皇の政策が秀逸で天晴れとしか言いようがなくって、それが「和歌を推奨すること」だったそうな。

女性天皇と動乱の世と和歌政策

 その時代、日本のあちこちで戦火が上がる動乱の世に片足プラス0.5本位突っ込んだような状態になって、それを重く憂慮したかの天皇の政策が秀逸で天晴れとしか言いようがなくって、それが「和歌を推奨すること」だったそうな。

ーーなんて根源的で、何てピースフル…!(もう、座布団もチャージャー村もあげちゃいなさい山田君、レベル。を遥かに凌ぐよっ…!@20年程前の笑点.)

戦と男性性

 戦は理性の左脳のはたらきーーものごとを碁盤の目のように、切り分け、整理し、効率化させ、適度に発露すれば心地よい秩序の源となるーーしかし度を越せば分断を生み、所有物をめぐって争うようなはたらきになる。それは男性性のはたらきと、言い換えても、良い。

和歌と女性性

 一方、和歌は右脳のはたらきーーものごとをありのまま包含し、その姿を決して同じかたちに留めおこうと意図しない。波は波のまま、風は風のまま。不実な美女のように不意を突く、自然の摂理そのもの。女性性とも換言できるそれは、リズムと押韻にこそ、何事にも捉われない人間の感情を託す。定型詩の五七五…の細胞壁のなかにだけ、ただ、浸出可能な想念を活けようと試みる。切り花のように。

和歌政策の効用

つまり、だから、その女系天皇は、男性性の行き過ぎて陽極まり人々が争い陥しめあう世(ん…あれれどこかで聞いたぞ🧐)に際して、和歌で女性性を意識のレベルで拡げることで、陰陽のバランスを取ったのだ。ーー真の意味で。(じっちゃん、すげぇヤツがいた、級で、お手合わせ願いたいレベル。何をどう考えてどのような君主教育を受けたりしたら、国レベルでそんなことを想い実行できるのか、メルケルさんやニュージーランドの首相にも円卓に着いてもらって彼女の講釈に頭を垂れたい。時空を超えて。)

 実際、人々は和歌を詠み合い、恋をして愛を紡ぎ、世は平定されたそうな。いとめでたし。

U.S.A!!! A.D.H.D!!!!

 さて、話を副題の発達障害――ADHDに、つなげて行こう。俗に言う現在ADHDと呼ばれる脳特性がまともに発露すると、時間という区切りは意味を成さず、大海原に漂う小舟のように、スケジュールに伸ばすこの手は雲をつかむように.心許ない。当事者だから、それは、痛いほどに、よく、わかる。(そして、その特性が、理詰めで時間と空間を区切る現代主流文明と、親和しないことがもたらし得る、悲壮も。)

 一方で、ADHD脳のリズムへの親和性|《・・・・・・・・》は、ピカイチだ。七五調が刻む定型リズムは宇宙のそれとリンクする。音階も然り。加えて押韻の遊び心は地球のこどもとしてやってきたこの地上の、何よりのエンターテイメント。即興ラップの如く、許されれば止めどなく生産してつぶやいて遊んじゃうYO。

 想像してみて欲しい。この、法則性に従順でそのパターンをこの上なく愛することのできる美しい脳特性が、万葉の世で、どれだけ魅力的だったか…( ´艸`)《←笑ウトコデス!!》韻と感性を駆使して、大モテですよ、そこの奥さん、お兄さん。

 …てね(笑)※1


この特性、如何にして保持せむ

 こうした特性は、ともすると、効率性の名の下に、排除されることが横行している。とても哀しく、また勿体ないことに…!

 学校教育やメインストリーム社会の価値観がどっちかっていうと全体的にそうだから、半ば禁止されるように、押し留められ、罪悪感を抱いたり、無価値観を抱いたり、しやすいんだ。(そもそも、「発達障害|《・・》」って名前からして、バイアスが入っているよねぇ…!そのままで居ては、不完全なような。

 能力の不自由さ以前に、精神が不自由な人なんてごまんといて、そっちの方がよっぽど病気だと思う。そこは目隠しだよねぇ…!

 真の意味で、そうした遊び心が押し止められ切ることは、ないのだろう。短歌や俳句やラップやJポップに、そういうものが発露の道を見出す限り。だがしかし、万民がそういう「いみじくもものくるおしけれ」的な心の機微を愛でる土壌は、推古天皇の時のそれとは比べものにならない程、痩せ衰えている、とは言えまいか。そして、分断が人々を孤立させあちこちから狼煙が臭ってくるような現在は、彼女が憂いた世のそれに、酷似している。

おわりに:

【和歌を愛でる散文】

和歌を愛でるのです。本質を、肥すのです。
音楽と、文学を、放棄しちゃ、いけない。

存分に、思考を散らし、想念を広げ、
それを体という楽器媒体を使って、顕すのです。

そう、あなたはあなたで、いい。
リズムも押韻もオヤジギャグも、心満たされるまで、やっていい。
勉強なんて二の次だよ、そんなのAIがやってける。

ADHDーーひと所に落ち着かず、
喜びと失望の落差激しく翻弄され、
大衆に理解されることなく孤独を覚えるあなたのそれが、
才能であり、福音なのです。

「神様は何も禁止なんかしてない」から。
※2

あなたが、あなたを生きることで、
時代がバランスを模索しようとしている。
受け皿は、同胞たちの村は、あちこちで開村している。
安心して、
あなたは一人じゃない。

あなたの希望と絶望は明日の虹であり、
それを共に分かち合うことを、
わたしたちはできるから。

おいで
「海へ」

おいで
「海へ」
※3

令和三年九月二十六日
智未

18年前のわたしへ。

 


🍏注釈兼・omake ~feed for your soul~🍏

※1. 「韻を好む人は光源氏に…」この人なんて、和歌の名手すぎて光源氏もびっくりになれるだろうな。娘たちとすっかり沼にハマらせていただいている、井上涼さんの「びじゅちゅ~ん」。まだまだ終われないあなたに、起死回生の「オフィーリア」をどうぞ❤
※2 「神様は何も禁止なんかしてない」 川本真琴「1/2」
※3 「海へ」 「ピアノの森」アニメ版 前期op: "Chopin 12 Etudes, op. 10 - Allegro"


🍎タイムウォーリアー『いのちのじかんのまもりびと』🍎
翻訳出版プロジェクト

 よろしければ、応援してください♪


投げ銭は、翻訳の糧になります。