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わたしのこころのなかのさざなみ

「違います、オカメインコじゃありません。・・・・インコです!」

とその男の子は言った。オカメじゃない、「・・・・」のところが、どうも昨日一日中、思い出せなかった。

脳の探査路に転がるあれこれ

脳の検索機能がうまく働かないことが、ままにある。私の脳は常に目の前、この身を取り囲む刺激に波立って、肝心の意識がつかみたい情報への経路が、見つからない。取っ散らかってしまうのだ、要は。「人の名前」など、ある情報にたどり着きたい、でも、眼前の刺激にオート反応する「判断」とそれによって引き起こされるリアクションの数々が、その経路をふんだんにじゃまをする。よって、肝心の情報にたどりつかない。

この傾向をご自身に自閉傾向のあるニキリンコさんは「全画面表示になる脳」と言っているけれど、的を得たり、と感心した。ある、たとえば3メートル先の目的物にたどりつくために、私の脳は足元の一つひとつを全写しにしながらしか進むことができず、全写しの品々と戯れているうちに当初の目的を忘れ、結果、目的物のことを忘れ、そいつに手が届くことがない、なんてことがままにある。

ジェンダー役割と、この脳特性

「洗濯物がある、たたまなくちゃ」「何でこんなとこにお菓子のカラが!?」「小学校の夏休みのプリントの山だ、うぇえまだ消化してないや」等々、「おかーさん」という職業はこうした脳傾向をもつ女子にとって、大小の差こそあれ難あり、だと思う。そんなん無視して、自分のやりたいことに一心に向かえる男親である夫が羨ましく、それがひねて怒りのような感情として表れる程。

それもこれも、「子どもをもつ女親」というジェンダー役割として世間一般に流通している意識を、わたしも無意識のうちに内在化しているからなんだろう。

↑ここに書いているような「おかーさんたるものこれをせねば」的な条項を一つ一つ点検しながら、気づいたときにこれちがうよね、あれちがうよね、と再学習している途上だ。

もし、縄文の昔に生まれていたとしたら?

「ショッピングが趣味なの」と豪語する義理の妹は、正直私からは驚嘆に値する。私の場合、ショッピングに行こうものなら、見るもの見るもの、アンテナに引っかかったら最後、それを購入して自分のモノにしたときの妄想を膨らませて、そのウィンドウが重ねて開き、私の脳の比較的小さなRAM領域・ワーキングメモリを最大限に食い、最後にはフリーズ寸前、疲れ果ててしまうからだ。ちなみに間違いなく別の注意力の持ち主である義妹は、そうじも得意だ。(心底うらやましい)

こうして書いていると自閉傾向をもった自分の脳特性が、絶望的な感じがしてくるが、そうではないんだと、思う。

要は、現代のメジャーな社会と、合っていないだけなのだ。

もし、縄文の昔に生まれていたとしたら?――わたしは想像する。農耕をしておらず食料ストックなんてなく、かつ常に管理しておくモノも最大級にミニマム。狩猟採集が主な産業だから、計画性は必要ない。目の前に表れたものを、最大限に活用する知恵が自動的に降りてくる、こんな脳は有難く、きっと仲間から重宝されるだろう。手も器用で、設計図もそこそこに、一心に試行錯誤しながら何かを創れる。歌って踊れる。

サイコーやん!

神がかってるyo!――きっとわらわは、巫女かなんか、ありがたい身分になれたに違いない。

既にあるものをどうにかする、脳じゃないのだ。

そういうふうにできてない。だから、既にあるものを身に付け、既にあるきまりにことごとく従って、すでにある組織で、人からのオーダーを間違いなく遂行する、そういうことには向いてない。向いてないのに、「がっこう」で「それがいいことだ」と言われたから、超絶な素直さも併せ持つ脳は、そういうアプリを搭載して、頑張った。学校にいるうちはどうにかなったけど、社会に出たらポンコツだった。

何なん?わたしがんばってるし、こんなにがんばってきたのに?

他人や世間の言うことなんて、やすやすと信じちゃいけないのかもしれないね。自分の核の訴えてくることに、従順な方がよっぽどいいし、その小さな声を聞き取り、汲み取り、それを一から具現化する練習をするのが、同じような脳傾向をもつ子どもたちには、助けになるんじゃないか、って思うんだ。

わたしのこころのなかのさざなみ

「違います、オカメインコじゃありません。・・・・インコです!」

とその男の子は言った。オカメじゃない、「・・・・」のところが、どうも昨日一日中、思い出せなかった。

今朝、ゴールデンスランバー、床の中の金のまどろみのなか、あらゆる外界からの情報がしんと静まり返った中、ようやく「検索」が機能し、降りてきた(バックグラウンドでずっと、細い検索は走っていたのだ)。

「サザナミ」インコだ!!!!!!!


わたしは、現代にあって、わたしのこころのなかのさざなみが最小限になり、目の前のことに淡々と取り組めるような暮らしができる、そういう村をつくりたい。そこで、似たような人やそうでないけれど理解のある人と一緒に、蚕や綿を育て、糸を紡ぎ、布を織り、染め、着物にするようなことで生計を立てたい。またその過程を伝承しながら、「ゼロから何かをつくる」ことを得意とした子どもたちが、その過程を学び、同胞のなかで人への信頼を育てるような代替的な学び舎としたい。生活ときょういくは、本来切っても切り離せないものであると思うから。


似たような人、どうぞ出会って、いっしょに何かやりませんか?

「発達おかーさんの家出庵」を作りました。

キャプチャ

今度は、体面やzoomで出会っていける場にしたいと思っています。月末に、月一で開催、次回は8月末の週末、を予定しています。今、サークルプラン申請中なので、数日後から入会できると思います。似たような方、どうぞご参加して、出会ってください💛




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