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【ADHD先延ばしの困り感】一たび手を付けると集中するのに、手が付けられない。その訳は…

 何かの作業があって、〆切間際になって手を付けて、ああ、もっと早く手を付けておけば…っていつも思う。もっと早く手を付けておけば、相応しい人に余裕を持って仕事を振って自分の負担も軽くできたかもしれないし、あちらに負担をかけずに済んだだろうし、全体像が見えて作業も少しずつ進めることができたのではないか

 これはADHDの特性がある人ならばあるあるだと思いますが、そうとははっきり言いきれない人でも、経験したことがあることなのではないでしょうか?

 しかしね、第一段落の最後のところまで考えて、ADHD社会人歴10年余りの私は、ふとこの問いに足を止めるのです:


―早く手を付ければ、全体像が見えて、作業を少しずつ進めただろうか?―


 …答えは、恐らく、そうじゃない(笑) 

 早く手を付けたとしたら、一度手を付けたら、細部までやり抜いて終わらせないと、気が済まなくなるのだ。そもそも、全体像なんてよく見えない(涙)全体像を見て仕事の見積もりをして見通しを付けるのが苦手(これは時間感覚の何かで、一つの作業に対する必要時間のイメージが上手くできない)である。だから大枠を決めてそれから細部を加えていくやり方じゃなく、細部まで詰めて、一つ一つ、あくまで線的に、こなして完了させて一本の線を完成させる。それまでは他のことは目にも耳にも入れたくない。ノイズになってしまう。だから、他のことが手につかなくなる。

 これを知っているから、そうして日々のプライオリティ、今の私の場合、子どものあれこれや学業の〆切や、そういうこともそっちのけで、始めたタスクを完遂しないと気が済まなくなってしまうのを恐れて、直前に確保された必要時間が迫るまで、手を付けない。

 そういう理由で、早めに、少しだけ、手を付ける、というのが、思えば学生の頃から苦手で損ばかりしてきた(夏目さん風)(白目に涙目)。

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 …そんなぁ、融通がきかないなぁ!そう言ってても早くやろうと思えばできるんでしょ?小分けにしようとすれば、できないこともないでしょう?何でそうしないで、人に迷惑かけるんだよ、、

 …と、上記で自分で書いているこの集中特性を見ていて、言い訳みたいだなあと自分でも突っ込みたくなる位ですので(泣)、定型発達の周囲の人がそう思うのも無理ないと思います。

 でもね、確かに「それ」――つまり、一つのことにただひたすら集中したいという特性――は、あるのです。あることは、ちゃんとあることにした方が良い。

 発達障害全般に言えることですが、自分の脳特性について知るのは、それを言い訳にそこに留まるためじゃなくて、そういう自分を知ってじゃあどう自分が対処するか、または周囲の環境の方に調整をお願いするか、の次のアクションを取るためだと思うのです。

 「知る」はスタート、でも現状を把握して自分を「知」って、そうなんだなーふんふん、と自分で受け止めるというステップ抜きには、次の新しい自分の在り方に移れないと思うのです。だから、そこは、ありのままに、見る。

 私も、長年の報われない勤め人生活でおかしいなと思っていたことが公私で弾けて、大学に戻って発達障害について学んだことが、大きな転機になりました。知は力なり。

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 じゃあ、そうして先延ばしする自分に、どう対処して行くのか。大学で1年間とちょっと発達障害と特別支援教育の基礎知識を学んでADHDコーチングを1カ月受けて、そしてタイムウォーリアーという時間の本を訳していて、見つけた方法について、次回は書きたいと思います。

おやすみなさい。


2020年7月4日 23時記





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