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発達障害と教育を学びなおして

今年度、筑波大学の科目等履修生として「知的障害学校教育論(指導法)」と「発達障害学校教育論(指導法)」ならびにその基礎科目を履修しました。期末のレポートも期限より1週間前にまとまり(←成長…!)、これでいいのか迷いながら始めたの今年度でしたが、本当に学校に戻ってよかった!

学部時代、教育を専攻していたはずですが、障害のある人への教育という視点から学びなおすことで、人がものを「わかる」分かり方、つまり認知の方法は千差万別なんだなぁということを再認識しました。それと、個々の発達段階と認知スタイルに合わせたプレゼンの仕方があるのだなぁということも。それが教育だと「教え方」になるんですね!

学生生活の収穫とこれからやりたいことをまとめたので、よかったら読んでやってください…☆

(レポートの感想欄から膨らんだのでレポート調w)

☆彡☆彡☆彡☆彡

「知的障害学校教育論」の授業で「たこ焼きを食べさせてから、作り方を教える」というくだりがあり、普通科高校での英語科講師として日頃直面している教育現場への示唆として印象に残った。

知的障害教育においてその比喩は、経験を受け止める素地を自立活動で養い、知識を受け止める素地を不足している経験の補完により養うことだと理解した。そうした指導が知的障害のある児童・生徒に必要なのは、彼らにとりわけ学習の素地となる経験が不足しがちであるとの認識からであるが、果たして普通科に通うすべてに高校生に高校の履修内容を受け止めるための経験が十分あるといえるのだろうか。

普通科に通う生徒の中にも一斉教授のスタイルでは知識が上滑りするか、もしくは受け止めきれない子どもたちが一定数いるように感じてきた。その理由や対応策を知りたくて、今年度科目等履修生で障害科学類の4単位を履修した。そこで理解し得た「受け止めきれない」理由の一つとしては、ADHDや自閉スペクトラム症を含む広範囲発達障害(PDD)に分類される脳機能の特性があることがわかってきた。どう対処するとある脳特性の人がより良くわかるのか、はこれから学びたい分野だ。

一方で腑に落ちないのは、現行の授業と評価のスタイルに合わせることのできる子どもだけが評価され、他方でそうでない子どもは過小評価されすぎ結果的にこれが個々の自信やものごと全般への意欲を多少なりとも左右しているという現状である。その価値体系の一部となって働いて三年が経つが、一人ひとりに援助の手を差し伸べる程の知識・技量・余裕共になくとても不甲斐ない思いをしてきた。

 もちろん、高等教育で扱う内容は抽象度が高く、学習の前に全てを体験していることは難しい。また、高校への進学は制度上あくまで任意であり本人の希望に基づいて行われていることになっている。したがって、学力が向上せず授業の取り組みに意欲を欠いていたとしても、あくまでそれは本人の自己責任という考えが教員間でも主流であるのも無理はない。物質的に恵まれた日本で何不自由なく高等教育を教授しているありがたみが本人達に無自覚であることが要因の一つであることも確かにあるだろう。

しかしながら、彼らがもし、例えば英語という教科を受け止めるためのたこ焼きを食べたことがなかったらどうだろうか。つまり、英語という言語を使用することが必要不可欠な環境に彼らがおかれること・もしくは置かれる可能性が彼らに用意されているだろうか。査定内容も方法も不安定な入学試験以外に用意せずに、その教授内容・教授方法いかんを議論しているのは、絵に描いただけの餅ならぬたこ焼きの作り方のバリエーション・教え方の上手い下手を議論しているのと同格なのではないか。

高校英語という科目は、そうしたレディネスのない子どもたちにとって現実から乖離した知能テストゲームにしか過ぎないという印象を受けることがある。英語が好きで英語を通して多くのギフトを得て来た身からすると、とても悲しい。(一部の英語が必要性が実感できる環境に恵まれて来た生徒は別であり、彼らにはこのままの英語教育でも、どんな環境でも学んでいけるレジリエンスが後天的に備わっている子が多い。それは能力いかんの問題よりも、それを家庭環境を含む社会がどう待遇してきたかであると強く確信している)

私は、そうした「たこ焼きを何らかの理由でよく食べられなかった」が普通学級にいるような不器用な子どもたちが、不足している部分の経験や能力を補うための適切な援助を受け、持てる能力を最大限に発揮することが可能にするために何かをしたい。できるなら英語を媒介として、そうしたいと考えているが、それが何なのかはまだ霧の中である。その方向性に向かって何を身に付けて、何でひとまず稼いでいったらいいだろうか、模索している。

ともあれ、今後の方向性が見え、何より✨そそっかしい女王✨であるわたし自信の自己理解が進んだのが8カ月の学生生活の一番の収穫であった。

知ることで未知の自分を知る、
まさにわたしの名前の通りだ!

未知の旅へ~♪(やっぱりドヤ顔)

気負わず焦らず勇気をもって、進みたいと思っています♡

(長いのに読んでくれた人ありがとうございます!感謝♡♡)

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