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じっちゃん、オラ、無理しねえ ――からださまの声を、法と心得よ!

 かねてからの夢だった英語教員の道に、思い切って舵を取って乗り出したのがちょうど3年前。フルタイムだった。

 子どもは、6つと2つ。ちょっといろいろ家庭のこともあって、子ども二人と引っ越しを伴っての転職、講師としての転校が一年に三回あって、年度末を終える頃には、だいぶ体に来ていた。

 もともとの貧血が一桁を記録したし、二十歳の頃から季節の変わり目に思い出したように出る喘息もきつめに出た。仕事と家事育児に必死なあまり養生にまで手が回らず不摂生、当然だった。

 長女が学校で集団行動になんとなく、ついていけないことがあるのがわかったのは、その冬だった。

 実は1年前の受講中に転職と引っ越しで途中になっていたペアレントトレーニングを思い出し、すがる思いで児童相談所に連絡を取り、次の春から受けさせてもらえることになった。

 次の春、わたしは常勤を辞めて、非常勤になった。

 子ども達は7つと3つになっていた。長女は小学校2年生になり、次女はおむつが取れていた。子育ては次第に、いつの間にか、でも確実に、手が離れて行く。

 いつも家庭の事情や仕事で手をかけてやれなかった長女に、向き合う時期にしようと思った。ペアトレのプログラムにそれなりに取り組み、長女に目を向けるうちに、長女はだんだん落ち着いていった。最後には担任の先生にも少し協力してもらい、学校での様子も劇的に、落ち着いた。

 孫悟空なら亀仙人に負荷マックスをオーダーして修行に励むだろうけれど、女性であるわたしにはその設定は無理ゲーだった。

 だからわたしは師匠に言うだろう。

「じっちゃん、オラ、無理しねぇ」

 正確には、できないのだ。無理するとすぐに貧血っぽくなって、クラクラくたくたして動けなくなる。

 ある夕方、動きたいのに動けなくて寝転んでいた。

 最初はくやしくて涙が出た。

 でも次に、過剰な負荷や環境の変化を敏感に察知して、動きすぎないようにセーブをかけてくれるわたしのからだというセンサーが有り難くて、涙が出た。反応するからだは、良いからだなのだ。

 *

今日ももろもろ、思うようにいかずもどかしいことがあるだろう。

教育的なアタマは、もっと働けという声を、からだに真綿の鞭をチクチク浴びせるだろう。

だども、からださまには逆らえない。

からださまの声を、法と心得よ!

と、わたしの中のシヴァガミは行け行けモードの悟空さに言う。


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法と心得、降伏しよう。雨だしね 


わたしのからだはトキメキという天女を追いかけるためにこそ

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