マガジンのカバー画像

SFショート

113
黄瀬が書いた、空想科学のショートストーリー
運営しているクリエイター

2020年7月の記事一覧

詩の中

目を落とすノートには、夏が踊っているんだけれど、 窓の外、目を向けたら、梅雨。 厳然とそびえ立つ六甲の山に、希薄な雲がのしかかる、梅雨。 快晴に眩しさを感じたのは随分と前で、 入道雲のかけらは、沖縄の空で見たっきり。 反射する、光輝な陽光もさえぎられて久しくて、 蝉の音より、雨が散じる音が舞う。 だけれど、 じめっぽい夜と、からから音がする夜のコントラスト。 アスファルトに落ちる黒斑と、刺さるほどくっきりとした、 木々とビルの影のコントラスト。 案外、夏に想

キュリオシティ

火星探査ほどわくわくした気持ちを持てるものは、今の私に他に無い。 あの荒れた赤土の地表を駆け抜けるローバーたちは、生まれ故郷を去り、 全くの新天地で、自分たちの足跡を大地に刻む快感を感じているのだろうか。 信じられないくらい、平たくてずっと続く平原。 系内でいちばんの、高々とそびえ立つ巨山。 ぱっくりと大地を分かつ暗黒の渓谷。 私たちがいけないばかりに、彼らが代わりに見つけてきてくれる、新しい発見。 その新情報に、私は胸を高鳴らせて、待つのです。

思いがけず

「件の未来人が死んだんだって」 そんな会話を午後のカフェで耳に挟みました。 店内はエメラルドグリーンで統一されていたので、 その未来人のイメージも、 皮膚がエメラルドグリーンで、左右の目玉の色もそれでした。 遠く離れた過去の地で、いや、もしかするとそれ程に遠くはないのかもしれないけれど、 自分の祖先が住む刻時で命を落とすのは、 さてはて、一体どういう気分なのでしょうか。

海底

言葉の可能性を考えるなんて大それたことはわたしにはできない。 今日だって、君が沈んでいった街の上を船で行ったり来たりして、 昨日からの間に崩れた瓦の数とか、 くっきりと残る、あの日走らせた自転車のわだちをなぞったりして、 ただ、偸安に、一日を浪費した。 「ぼく、夢があるんだ」 なんて、あの日の君は自転車を漕ぎながら、 風に流される言葉を必死に紡いでそう云ったけれど、 その夢がなんだったか、わたし、もう忘れ始めている。 言葉って、案外、脆かったよ。 言葉って

混浴

「あめがひどい」 君が、水の滴る服をしぼる。 わたしは、君から受け取った傘をかわかしている。 最近住み始めたアパートの玄関で、ふたりでぬれねずみだ。 扉の向こう側の豪雨は、音だけになっても、そこに確かに厳存する。 「あなたがどうしてもというのなら……」 君が服を脱ぎながら云う。 てらてらと濡れた地肌があらわになって、艶めく。 「あたためあうのもいいと思うんだけれど」 君があくまで憮然と云いはなつ。 わたしは君の胸奥を透かし見ることができるので、 君が求め

鳥になる

風を感じる夜に、わたしは鳥になる。 校舎の屋上からとびたって、夜空を疾駆する。 今日は新月だ。わたしを照らすものはない。 誰もわたしに気がつかない。 夜のじめっぽい空気を切り裂く翼の音だけが、わたしの存在証明だ。 ビルを縫い、塔を超え、星を目指す。 イカロスは太陽に焼かれた。今は夜だ、わたしは何に焼かれよう。 今宵、わたしは鳥になる。

落下

傘を穿つように、激しく振り付ける雨が、胸に響く。 道の縁に生える紫陽花も、雨にあてられて、幾度も首を上下させている。 眼下の水面にわたしの全身が映る。 真下からの姿見も悪くない。 自分が、梅雨の曇天に落下するように感じる。 傘をクッションにすれば、安全に雲の上に降りたてるだろうか。 もしうまくいけば、雲の上で、残りわずかの梅雨の間を過ごそうか。 そうしたら、梅雨の節が終わる頃、雲が霧散すると同時に、 わたしは快晴の空に生まれる。 愛しい夏に生まれる。

イコール夏

君がいれば、それだけで夏だ。 夏は君で、君が夏。 今日だってわたしは、君しか見えないんです。 入道雲とおんなじ色の、まっしろなワンピースをきて、 天道様を形どった麦わら帽子をかぶって、 蝉の音と、風の音色をバックミュージックに、 暑さと朗らかさをたっぷりと湛えて笑う君。 腰掛ける、柵の向こうには、ずうっと平面の海原が広がっていて、 そのまま、誰にも知られず空とつながっているんだ。 君の笑顔が、そのまま反映されて、 夏が生く。 夏を生く。

夏休み

「夏と恋は、セットじゃなきゃ」  そう云う君は、後ろ手に鞄を下げて、アスファルトを歩く。 「暑さがなんだか、駆り立てるんだ。私の両脚を」  そう云う君は、後ろ手の鞄を放って、突き当たりまで走る。 「歯止めが効かなくなってしまう前に!」  そう叫ぶ君は、私を目掛けてダッシュする。  疾い接吻。舞う君の香りと、髪の波。 「あなたで、堰き止めておくよ。私の夏」  君にかかる影と、斜陽。  私にかかる、淡い夏の息。  君と夏と恋。

背表紙

選ばれなくてもいいので、目で追ってください。 ただ、整然と並べられた、背を、 目で撫でてくださればそれで結構です。 できれば、ゆっくりと、ゆっくりと。 開いて見なくてもいいので、思い描いてください。 あなたが、読みたい物語を、 丁寧に想像して、味わって見てください。 タイトルを覚えてくださればそれで結構です。 できれば、たっぷりと、たっぷりと。

雲夜憂哀

ああ、雲よ。このまま私を連れ去って。 ああ、夜よ。そのまま明けることなく眠って。 ああ、憂よ。私の心を締め付けるのはやめて、 どこか遠い国の空目掛けて飛んで。 ああ、哀よ。そのままでいいから、 私を食べ尽くしてしまって。

快晴と傘

昨日は、夕方からすっかり晴れてしまったので、 傘を忘れて帰った。 今日も呆れ果てるほどに、快晴だ。 木々の影と、黄金色の地面の境界線が、 目に刺さりそうなほど、はっきりと刻まれる。 眩しさ、影をつくって紛らわせたくて、 手持ち無沙汰の傘を、拡げた。 少し薄くて、儚い影が、地面に落ちた。

屋上

屋上には、簡単な手すりがついてあって、 これより先は、落下する。 ということを教えてくれる。 わたしは、相棒のコントラバスを抱えて、 手すりぎわに、小さな席を用意して、 弓を取る。 日暮れはまだもう少し先。 君が好きだった時間。お気に入りの屋上端っこ。 わたしは今日もこうして、 君の形見をしっかりと支えて、弾いて、 忘れられないように、 自分のゆびに弦を食い込ませて遊ぶ。

空挺降下

 夏の莫大な白を追い越すくらいまで、  高く上がった凧。 「そろそろころあい」  君が勢いよく云って、  くん、  と糸をかるく引く。  ばらばらと小さな紙切れが、一斉に降下する。  すきとおる青に、茫漠な白が舞うように飛んでいるのだ。 「いい景色」  とわたしが云う。