捨てるもの

ものも、思いも、捨てるものがありすぎる。



昨日の投稿に、少しつながりそうな気がするお話。

思いを断ち切る力──【思断力】がわたしには今最も必要なものだと感じている。

ねがうことを断ち切る。
それが、わたしにできていないから、苦しむんだと。
それは、わたしが感じていること。

けれど、今日は1つ何かしらのヒントを得たような気がする。

それは、

「相手は察してくれない」
「相手は分かってくれない」

ということと、

「『分かってもらいたい』という気持ちは捨てること」
「仄めかすだけでは、誰も気付いてはくれない」

ということだった。

思いを断つこととはまた違ってくるのかもしれないけれど、『分かってもらいたい』気持ちを捨てることは重要だなと思った。
それが、わたしにとっては思いを断ち切ることに繋がりそうな気がしているから。


ここに関しては、プライベート面だけで通用することだろうな…と思う。
仕事は、基本的にはチームでおこなうものだから、思いを捨てるだけでは何も解決しない。

上手くまとめることができないけれど、今日は、生きていて良かったと思えた。
わたしのことを分かってくれる人が、この世にはいるのだから。



苦しくて堪らないのは、「わたしの気持ちを分かって欲しい」とねがう気持ちがあるからかもしれない。
その気持ち、ねがいを捨てることができれば、わたしは少しだけ楽に生きられるのかもしれない。

女としての悦びも。
愛される悦びも。
そのねがいを全て捨てられれば、わたしは非人間として楽に生きられるのかもしれない。

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