散りゆく桜

今年は、もう保たないのかな。



平日は、基本的に職場と自宅の往復。
土日は、基本的に休養の為に引きこもり。

公共交通機関で通勤していても、周りの景色を見る余裕が今はない。
TVは自宅にない(敢えてそうしている)。

そんな生活をしているわたしなので、桜がもう咲いているなんて知らなかった。

今日ゆる花見をしないとまずいのではないか…。
偶然、所用で休んだわたしにとって貴重なお花見ができた。

今年は、昨年よりは桜の開花が早かったのだろう。
もう桜が散っていた。

そして、マスク云々がゆるゆるになったこともあるのだろうか。
わたしの行った公園には、沢山の人がお花見を楽しんでいた。

平日なのに暇だねぇ…と思った。
わたしはその後も予定が入っていたから、合間に見たのであえて暇ではないと言う。笑


もっと満開の時に、お花見がしたかった。
けれど、仕事をしだしたらそんなささやかな願いも叶える事が難しいと知った。

お花見はお金を貰えるわけではないし、仕方ない。

わたしの誕生日まで保ってくれたら良かったけれど、それはきっと難しいのかもしれない。
明日くらいまでが見頃なのかな…。


そして、もう1つお花見をしながら昨年とは違う感覚があった。

昨年のお花見は、とても綺麗でこころがキラキラするような…そんな感覚だった。
当時は、次のステップへ進むことが決まっていたし、あの人から気持ち悪いと拒絶されていてもまだ堪えられた。

けれど、今年の桜は…。
ちゃんと目に見える周りの映像は色がある。
けれど、わたしのこころにはモノクロに見えたのだ。

きっとそれは、昨年のお花見からも葛藤していたけれど、元凶の媚び女とあの人の気持ち悪いものを見せつけられ続けたことが原因の1つだ。

あのことが大きな引き金となり、元々他の人間(特に好きな人)から気持ち悪い非人間扱いされてボロボロだったわたしのこころにとどめを刺されたのだから。

そりゃ、どんなに綺麗であっても何処か虚しく、モノクロに写ってしまうのだろう。
得たものより、失うものが大きいと、感情も失せていくものなのかもしれない。

わたしのこころが死んでいることを改めて感じられた、切ないお花見になった。




桜は、ずっとそこに有り続け、毎年綺麗な花を咲かせ人々のこころを魅了する。
けれど、こころの状態によっては、美しくも虚しくも見えるもの。
今後わたしが桜を見て、また色や美しさを感じることをできる日が来るのだろうか。


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