敢えて死にたくもないし生きるのも面倒に感じることありませんか?

こんばんは。

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ゆっくり皆さんの記事を読ませていただきます♪

今日のテーマは「敢えて死にたくもないし生きるのも面倒に感じる」ことを分析します。

①「死」その時にならないと分からない

ホテルなどに泊まって、朝食ビッフェをお腹かがはち切れるまで食べたとします。

「今日はもう昼ごはんは食べなくていいかな?」と思っていても、実際にはお昼過ぎにはお腹が空いてきたりします。

その時はそう思っていたけど、実際食べたくなる。

死に直面する多くの人も、走馬灯のように記憶が溢れ出すようです。

人は死に直面した危機的状況に陥ると、助かりたい一心でなんとか助かる方法を脳から引き出そうとするため記憶が一斉に蘇るんだそうです。

実際、死にそうな経験をしたことが無い人が死に直面すると、「生きたい」と思うかもしれません。また、死に直面したことがある人の方が、なんとなく生きる事が面倒くさいと思っている人は少ないかもしれません。

②成長を感じないから

子供やペットがいると、成長を見る事が出来るのでそれだけで元気の源になるでしょう。

コロナウイルスの影響でクラブの仕事がなく、家に長時間いた時に植物の栽培セットを購入しました。

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だんだん育っていく過程を見て、植物に自己投影したかのように私も成長しているような気がしました。

時間の経過を知るには、時計というのは正確すぎてあてにならないのかもしれません。時計がない世界でも植物は育つと考えれば、前に進んでいる指標の一つになると思います。

③満たされすぎている/ひもじい思いをしすぎている「中庸の徳」

満たされすぎていると、それ以上を望まない事で貪欲さが消える結果、成長を実感しにくくなると思います。それはそれでも本人が満足できればいいんです。

貧しすぎる生活をしていても、働いても働いてもよくならない。疲労で余裕もなくなり考える余力も無くなる。

頑張っても無駄だなんて思ってしまうかもしれません。

中庸が大切ですよね。平凡なことに悩んでいる人も居るとは思いますが、平凡も才能の一つです。

あの孔子も、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ということわざを中庸の徳を説いた言葉として説いています。

平凡の良さも苦境に立たないと分かりませんし、また、がむしゃらに頑張る人が羨ましく見えたりします。

少し話は逸れますが、クラブのお客様で、「生まれ変わったらもう一度同じ人生を歩みたい」と仰っているお客様がおりました。これはとても凄いことだと思いました。

以上せいやちゃんでした(^^)

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