赤を食む白 皆既月食の夜に

 下記作品の後日譚になります。本編の方から読んで頂ければ幸いですっ!

↑加筆修正版 ↓原版




「おー。みーちゃん見て見て。月が赤い!」
「え゛」

 塾の帰り道。チカの言葉を聞いた私は、素っ頓狂な相槌を打つハメになった。きっと変な表情になっていると思う。マスクをしていて良かった。


 一ヶ月が経った今でも、私は月を見るたびに思い出している。すぐ隣を歩く親友/口裂け女の、あの三日月のような、綺麗な赤い口を。
 あれを夢だとは思っていない。あの日、チカは間違いなく私の家に来ていた。ベッドで目覚めた私のメイクは落とされていたけれど、紅の付いたマスクが落ちていたのがその証拠だ。……と、問い詰めたところで何になるのだろう。そもそも塾で話せる内容でもないし、結局触れずじまいだ。
 そんな悶々とした日々を過ごしているのに、チカは素知らぬ顔で月が赤いとかいうクリティカルなワードを繰り出してきたのだ。それは変な声も出る。

 私は改めて夜空を見上げた。……いつもの月が薄い赤色で覆われている。そういえば最近ニュースで話題になっていた。今日は皆既月食だ。私たちが塾で勉学に励んでいる間に、白い月はすっかり食べられてしまったみたい。

「本当だ。月食って普通に暗くなるイメージだったけど、赤くなるんだね」
「ねー。綺麗だねぇ」

 目を細めて月を見るチカは、いつ見ても普通の美少女にしか見えない。私は小さく頷いて、一つ提案してみることにした。

「チカ。せっかくだし、寄り道しよ」「いいけど、どこまで?」
「すぐそこの公園。着いてきてくれたらココアをごちそうしちゃおう」
「行くー!」

 チカは意外と現金なところがある。



 向かったのは、住宅街の片隅にひっそりと佇む公園だ。滑り台とジャングルジムが一つずつ、後はベンチがあるくらいの小さな公園。この時間は当然人気がない。私は近くの自販機でホットココアを二本買い、一本をチカに手渡した。冬というにはまだ早い時期だけど、気温は低い。私たちはココアを握って冷えた両手を温めた。
 私たちはマスクを外し、一息ついた。それとなくチカの顔を見るも、裂けていない。やはり普通の美少女だ。彼女はにこにこと、屈託のない笑顔を向けてくる。かわいい。

「みーちゃんありがとー! 今度は私が奢るからね」
「はいはい。まぁそれじゃ……」

 二人揃って缶を開ける。ぷしゅ、と小気味良い音が公園に響いた。

「「おつかれー!」」

 お父さんとママが一緒にお酒を飲むときみたいに、乾杯してみせる。特に示し合わせたわけではないけれど、私たちのタイミングは完璧だった。
 それから、他愛のない雑談が始まった。

 最近コンビニで発売された新作プリンの話や、知り合うきっかけになったソシャゲの話。今日の塾でやった小テストの話から、お互いの学校の話。好きなもの苦手なもの。話題は尽きない。
 思えば、こうして二人で長い間お喋りするのは初めてかもしれない。前回家に呼んだときは、結局ほとんど話せないまま終わってしまったから。

 天気の話になって、私は改めて空を見上げた。思わず声が漏れる。

「あー」

 赤かった月を、白が侵食していく。……本当は逆なんだけど、最初に見た月が赤かったから、私にはそう感じられた。

「月食、終わっちゃうね」

 チカが少し寂しそうな声音で言った。二人のココアはもう空だ。ずいぶんと話し込んでしまった。寂しさからか、私はぽつりと言ってしまった。

「せっかくの赤い月が、白い月に食べられちゃう」
「……やっぱり、みーちゃんはロマンチスト」

 ふふ、と小さく笑ってチカは言う。それは間違いなく、あの日私が気を失う前に聞いたのと同じ言葉だった。全てを見透かすような表情を浮かべるチカに、私は何も返せない。彼女は小さく首を傾げて尋ねてきた。

「そういえばどうしてみーちゃんは、どうして今日誘ってくれたの?」

 迷う。実のところ特別な理由があったわけじゃない。単なる思いつきだ。

「皆既月食で月が赤かったから……じゃだめ?」
「からのー?」「えー」「もう一声!」

 大喜利でもしなければいけないのだろうか。チカが厳しい。
 仕方がない、小芝居を挟むことにしよう。あの日は口裂け女に扮したけれど、今日は……どうしよう。
 とりあえずチカの顎を持ち上げてみる。彼女はびくりと身を震わせた。指先に伝わる体温が温かい。そのまま、じっと目を見つめてみた。戸惑ったように少し彷徨った視線は、やがてぱちりと合う。

「チカの笑顔が赤い三日月みたいに綺麗だった。今日の月を見て、それが思い浮かんだから……っていうのは、理由にならない?」
「……ほぇ」

 沈黙が訪れる。目を丸くしたチカは微動だにしない。やってしまった。というか恥ずかしい本音を言っただけだこれは。
 ゆっくりとチカの目から視線を外して、顎から手を離す。少し、彼女の顔が赤いように見える。私もたぶん赤いと思う。

「えっと……チカ?」

 チカは何も言わず、後ろを向いてしまった。
 深呼吸の音が聞こえる。少しして、彼女の首だけがこちらを向いた。

「みーちゃん」「は、はい」

 さすがに怒られると思い、びくびくしながら返事を返す。

「ほ、他の子にはそれやっちゃだめだよ……?」

 かわいかった。
 と、くるりと振り返ったチカはハッとしたように手を打った。

「……この間はみーちゃんのこと可愛い系って言ったけど、もしかしたらかっこいい系かもしれない」
「恥ずかしいからやめて」




 二人並んで家路を辿る。次の交差点でお別れだ。まぁ、明日また塾で会うんだけど。それでも自然と歩幅は小さくなる。二人とも、もうマスクはしていなかった。
 ぽつりぽつりと、会話が続く。



「ね、みーちゃん」
「んー?」
「聞かないの?」
「話したいなら聞くよ」
「やめとく。怖がらせたくないし」
「たぶんだけど、もう怖くないよ」
「……ん。信じてあげよう」


 そうこうしているうちに、歩みが止まる。交差点に着いてしまった。私たちはお互いの帰路を背にして向かい合う。別れが惜しい。
 ふと、何かを思いついたかのようにチカが言う。白い月光に照らされて、その姿がどこか神秘的に見えた。


「赤い月が私だったら、じゃあ白い月はみーちゃんだ」
「何それ?」

 本当に何なのだろう。

「最初は私が食べちゃうけど、最後はみーちゃんが食べちゃうの」
「……どういうこと?」

 本当にどういうことだろう。

「……私も分かんなくなっちゃった」
「急に天然じゃん!」

 堪えきれず、二人で声を揃えて笑う。
 この関係が心地良い。何があっても、きっと私たちはこうなんだろう。それは絶対の自信を持って言えることだ。今日まで感じていたもやもやは、とっくに晴れていた。


 夜空の月はほとんどが白い輝きを取り戻している。僅かに残った赤い月は、口裂け女の笑顔のように三日月を形作っていた。
 私はそれに負けないくらいの満面の笑みを浮かべてみせて、力強く言う。


「――ほら、やっぱり……すっごく綺麗!」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?