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赤い三日月

 準備は全て整った。

 姿見の前で頷き、大きめのマスクを着けた。それを見計らったようにインターホンの音が鳴る。時計を見ると予定より五分早い、午後七時二十五分。チカを家に呼ぶのは初めてだけど、相変わらずの五分前行動で少し笑う。
 よし、と小さく呟いて玄関に足を向けた。

「みーちゃん。来たよー」

 玄関のドアを開け、チカを迎え入れた。急いで来たみたいで、いつもと同じ制服とマスク姿のままだ。
 チカは別の中学に通う同級生だ。塾で知り合って、共通の趣味がきっかけで仲良くなった。塾生に同じ学校の知り合いがいない私にとって、放課後の時間を一番共に過ごしているのは彼女で、だから今では一番の友人だ。

「いらっしゃい! 上がって上がって」

 挨拶もそこそこに部屋に案内する。今日はママもお父さんも帰りが遅くなるとのことで、家には私たちだけだ。

「さ、マスクを外してね」

 部屋に着いてすぐ、私はチカにマスクを外すよう促す。
 同じ学校なら素顔を見ることもあるけれど、塾生同士はその機会も少ない。改めて彼女の顔を見てみたいというのが家に呼んだ理由の一つだった。

「なんか照れるやつー」

 チカは恥ずかしげにマスクを外した。小顔で色白美肌な美人が現れ、思わず茶化してしまう。

「美人すぎ」
「いいから! みーちゃんも外してよー」

 今だ。私は神妙な雰囲気で口を開く。
 彼女を呼んだもう一つの理由、それはサプライズのためだ。

「ね、チカに聞きたいことがあるの」

 ゆっくりとマスクを外す。





 頬まで裂けたような口元が露わになったはず。
 そう、私は口裂け女。だから口にするのは定型句。

「チカ。私、綺麗?」

 瞬間、照明が落ちて部屋が真っ暗になる。チカが息を呑んだ。
 付近に街灯のない私の家は、月明かりが射し込まないと夜は真っ暗闇だ。今日が曇り空なのは確認済み。

 少しの間があって、チカの声が響く。




「みーちゃんは、どっちかというと可愛い系」
「えっありがと」

 求めていたリアクションと違う。これはこれで嬉しいけど、私は照明を点けて詰め寄った。

「ちょっとは驚いてよ! 準備大変だったんだから」
「びっくりしたよ。電気消えたし」
「そこ!?」

 気が抜けた私は、渋々種明かしをする。
 ママに頼んでメイクを教わって、口裂け女風に紅を引いた。ただ、じっくり見られるとすぐにバレるので部屋を暗くする必要がある。だから文明の利器を活用した。スマートスピーカーの名前をチカに設定して、「きれい」という言葉で照明が落ちるようにしたのだ。
 チカは「なるほどねぇ」と感心したように頷いていた。

「やっぱり口裂け女は無かったかぁ。時代遅れだしね」

 照れ隠しを口にしながら、メイクを確認するために姿見に向かう。

「確か、夜遊びをさせないように大人が作ったフィクションって説が」




「ねぇ」




 チカの声に遮られる。怒っているような、どこか冷たい声音だ。鏡越しの彼女は俯いていて表情が伺えない。何故か、振り返ることができなかった。
 チカは淡々と話し出す。普段と違う雰囲気に声が出ない。

「時代遅れだとかフィクションだとか言うけど、怪異は今だって日常に溶け込んでいるの」

 背中で言葉を受ける。嫌な汗が背筋を伝う。

「大体、裂けた口はマスク程度じゃ隠せないよ。だって本物は」


 鏡の中のチカは、自分の唇に両手の人差し指を当てて、耳までのラインなぞる。その軌跡が、赤く残って。目を凝らす。凝らしてしまう。
 まるで白い肌に赤い線が引かれていくように、肉が、裂けていく。


「こんな風に、耳まで裂けてるから」

 私はたまらず振り返った。
 信じられない。けど、チカの声と格好をして、にぃと笑う姿はどう見ても本物の口裂け女で。明らかに紛い物とは違う現実感を持っていた。

「チ、チカ……」

 声を絞り出すのがやっと。逃げるなんて絶対ムリだ。得体の知れない寒さと恐怖に身体が震える。
 彼女は私の眼前に歩み寄り、定型句を投げかけた。


「私、綺麗?」


 部屋の照明が落ちる。きれい、という言葉に反応したのか。

 答え方間違えたら、私、死んじゃうのかな。
 どこか他人事みたいに、ぼんやりとした思考がぐるぐると巡る。

 外は変わらず曇っていて月光は入ってこない。暗闇の中にあっても彼女の裂けた真っ赤な口だけが闇に浮かび上がり、自然と視線が吸い寄せられる。その弧線を見て思い出す。今日は三日月だったっけ。

 やがて口をついて出た言葉は、きっと私の本心だった。



「赤い三日月みたいで、きれい」


 それを口にした途端、糸が切れたような感覚があった。思考と一緒に、眼前の赤い月が黒に溶けて薄れていく。このまま気を失うんだと自覚した。
 意識を手放す寸前、囁くような声が聞こえた。

「みーちゃんはやっぱり可愛い系。それに、すごくロマンチストだね」
「あ、私怒ってないよ。ただの仕返しでした」







 私とチカの友人関係はその後も続いている。とりあえず知ったのは、チカはやられたらやり返すタイプだということだ。




 部屋の窓から見た今日の夜空は晴れ渡り、美しい金色の三日月が浮かんでいた。それでも私は、怖くて、鮮明で、強かな赤い三日月に想いを馳せる。




 ――だって、とても綺麗だったから。




加筆修正


つづきました


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