始まりは常に終わりに満ちている

ロサンゼルス在住。アクティングトレーナー。俳優たちの学びの場を主宰。

始まりは常に終わりに満ちている

ロサンゼルス在住。アクティングトレーナー。俳優たちの学びの場を主宰。

最近の記事

物怖じ

「物怖じ」 この傾向が強い印象のある日本人 一歩踏み出せば、それまでの世界が崩れてしまうだろうという物怖じ 自分が育ててきた世界から 想像の行き届かない世界へ踏み出すのは誰しも怖い けれど志を持つ者は 然るべき瞬間の為に日々の生活を通して研鑽している それでも怖気づいてしまうのは 自己と外界との現実的な誤差を研鑽の途中で計算に入れていない 乖離を埋めるような稽古を重ねていない為である 相手と自分が同じ尺度をもって向き合うなら怖さは薄れる しかし現実はそれを担保しない いや尺

    • GD

      ハル  「こうしている今もさ、こうしていている今も、きっと大人達は、       ぼくとGDの会話に耳を澄ませているんだろうね。ぼくの邪魔を      するために。でもそれを逆手にとって大人を欺いてやるんだ。     (動かなくなった母親に語り掛ける)・・・母さんもう死んだ?」      ねぇ、GD。この死体、どう処理したらいいかな?」 GD  「心配する必要はない。汚れのない魂をもった肉体は、死んでも腐       敗はしない。 母親という存在は神聖さを帯びている。腐敗する

      • 惑星の時代

        なるほど僕の「人生の中心的時代」は きっと普通よりかなり早めに訪れていた そして僕は今 その中心的時代から少しだけ 「芯を外した軌道」で生きている まるで衛星のように 引力には逆らえない

        • Sensory

          ぼくは教え子たちから演技について、決して少なくない頻度で問いのメールが不定期に届きます。それを喜びとしています。彼らの問いの内容が具体的であればあるほど、こちらもヨシッと身を乗りだします。  先日も、ぼくのセンソリーのレベルについての問いがありました。思考と感覚。ぼくがセンソリーに取り組んでいる時、この二つはどちらの方が強いのかというものでした。  ぼくが学び始めた頃は、全く感覚は作用しませんでした。100%思考です。笑 自分で自分の取り組みを疑っていたのかもしれません。自意

          チャンス

          あなたの器におさまり切らないものが あなたの前に現れる筈がない

          空間の把握と感情

          演出をするときに、ぼくはステージ上の俳優同士の距離感を大切にします。何故なら日常のぼくらの対人関係は、そのまま距離感としてリアルに現われているからです。俳優は自分の感情にばかり意識が向いてしまい、相手との関係的距離を見落としてしまいがちです。そんな時「ちょっとまって。そこに立っていていいの?あなたが今抱えている感情と相手との距離に矛盾はありませんか?」と問いを投げかけます。そこでハッと気づいた俳優は改めて相手俳優との距離を確認し、自分の感情との乖離を埋めるように、距離を縮めた

          セキララ

          本当の自分と向き合うと決めたなら 簡単に飛び出してきちゃダメだよ ある場所へ行きつくまでは 山を下り、里へ下りる資格は 没収されたんだと諦めるんだ ひたすら感覚を研ぎ澄ませてさ そのままでずっと過ごすんだ 自分で決めたこと それは決心だ 決心は大切にしろ 「それ」を手に入れる為 あなたの中の 大きな何かを捧げない限り その大きなものは 手に入らない セキララの勧め

          世界に入り込む

          メソッドアクティングを習い始めた頃、身体運動に頼りすぎる傾向の強かった僕は、周りの俳優達と比べると集中力が欠けていることにコンプレックを感じていました。集中が上手く出来ないときに、無駄に表情や身体を動かしてごまかす演技を続けていたのです。明らかに集中が長く続かない傾向にありました。ところがある時、先生から与えられた課題を一旦無視をして、僕にしか判らない事柄(ぼくが特別に詳しいジャンル)にサブジェクトを置き換えて演じてみました。すると瞬時に集中に対する心配は消え、不思議なほど濃

          シェルブールの雨傘

          その昔、舞台上でカルメンの唄を口ずさむ場面があった。 僕は全くカルメンを知らない無知な俳優だったので、 原曲も知らないまま歌唱指導者の言われるままに舞台上で唄って長い公演を終えた。 数年が経ち、僕の世界が拡大した頃、原曲のカルメンと出会った。素晴らしかった。 あの頃の取り組みを反省した。

          我々は巨人

          貴方が思っているより あなたが生きているこの世界は 際限がないほど広大です 言葉や数字の他にも収集するべきものは多くあります それらはあなたの皮膚に寄り添うように 常に空間を飛び交っていて 深い繋がりを求めています 肉体はこの世界の限界ではなく 精神は肉体を超えて巨大です 我々は精神的巨人のような存在なのです

          「The Wise Man」

          貴方の身体には もう一人の誰かが 貴方より前から その身体に棲みついています 今日は是非 その誰かと握手をしてください 抱擁をしてください 言葉は必要ありません 優しいとか 怖いとか そのような言葉で 表現できる存在ではありません ちなみに僕はその人の事を 「Wise Man」と呼んでいます  明日はTHANKSGIVING !

          A fundamental truth

          あなたが創った世界なのだから 滅びる時はその世界の全てが 貴方を通り過ぎていきます 当然それなりの痛みも伴います 光に似た幸福感も味わえます それが喪失というものです

          走りたくなかった日の走り

          今日は一日中寒くて空も暗く、いつ雨が降り出すかといった天気模様。気分も何故か愚図ついている。今日は走るつもりは無かった。無かったのに何故か着替えを済ませ靴ひもを縛り外に出てしまう。しかたがない、歩くか。それにしても寒いな。今年一番の冷え込みだ。いつものコースへ向かう。いつもの坂道が目の前に出現。いつものように立ち止まってアキレス腱を伸ばしながら、腕時計でタイムを確認する。走り始めた。やっぱり走るんじゃん、と呟く。10分後頂上到着。そこから三分で隣接のトラックフィ―ルドへ移動。

          走りたくなかった日の走り

          俳優が無自覚にしていること

          演じるにあたり、最近強く感じていること。 俳優は「自分の身をたたむ」ということを覚える必要があるということ。それを覚えなければ、貴方は常に、人前に出て、注目を浴びながら、何かを表現している自分が好きなだけ、ということで、俳優の本質とはあまり関係がない取り組みをしている。それはきっと、俳優について僅かな部分しか理解できていないだろうし、最も豊潤で濃厚な部分を知らないということでもある。  「自分の身をたたむ」ことは自分を前に出すことではない。綺麗にさっぱり失くすということ。

          俳優が無自覚にしていること

          米国暮らし

          お前は米国で暮らしているんだから 日本の事はもういいじゃないか そんなふうにはなれない 関わりを失くせば 次の瞬間から どうやって歩いたらいいのか 判らなくなる 米国暮らしが長くなればなるほど 日本への思いは強くなる その理由も重々承知している と言って 日本への過剰な贔屓もしない 個人的な思いと 日本の現状とは 独立した評価である すべては拘りを失くす為 拘っているのだろう

          自分と繋がる

          僕のクラスに初めて参加した俳優には まず最初に自分と繋がる体験をしてもらえるように心がけている 日常生活の中で偶然的に繋がる自分ではなく レッスンを通して意図的に自分と繋がっていく 繋がるだけではなく深い部分に参加していくことです 全ての取り組みはそこから始まります その為のスタート点を創るのです