見出し画像

東京地検特捜部「消えた現金10億円の行方」

30年経っても、なんも変わらない日本の司法と行政 悲嘆に暮れても埒も開かない

東京地検特捜部がこだわった「消えた現金10億円の行方」と知られざる水面下の攻防 ~金丸脱税事件から30年(5)~  2023-10-14 07:00 TBS NEWS DIG Powered by JNN

事件の時効が過ぎてしまうと、検事は起訴することができなくなる。 もちろん裁判をひらくこともできず、処罰することは不可能だ。たしかに人々の記憶が古くなると、証拠収集が難しくなり、誤った裁判にもつながりかねないとも言われる。

【写真を見る】


TBSニュース

東京地検特捜部がこだわった「消えた現金10億円の行方」と知られざる水面下の攻防 ~金丸脱税事件から30年(5)~

しかし、時効が成立している事件捜査が、ときに本筋の事件を大きく前進させ、強力な支えの役割を果たすことがある。30年前の金丸脱税事件にもこんなことがあった・・・
<全6回( #1 / #2 / #3 / #4 )のうち第5回、敬称略>

◆プロローグ

捜査は常に「時効」というタイムリミットとの勝負だ。
金丸元副総裁の脱税事件で、特捜部は金丸がゼネコン各社からのヤミ献金などで不正に蓄財していた約30億円に上る現金や割引債券、それに金の延べ板など押収した。
ただし、所得税法違反には刑事訴訟法の5年という「時効の壁」があり、証拠があったとしても、すべてを事件化できるわけではない。特捜部は最終的に時効が成立していない「1987年以降の不正」に限定して立件せざるを得なかった。

このため、第2回で取り上げた「金丸が熊崎検事に現金10億円を金沢の親戚に預けていると打ち明け、これが金丸本人だけが知り得る、秘密の暴露とも言える重要な証拠となった」との部分。実はこの「10億円」、すでに時効が成立している「1986年分の所得」だったため、起訴事実には含まれなかった。

それにもかかわらず、東京地検特捜部がこの「10億円」の解明にこだわり、執着したのはなぜだったのか。また、金丸が石川県の金沢という遠方の民家に巨額の現金を隠したのはなぜなのか。当時の関係者への取材で、水面下で繰り広げられた「10億円をめぐる攻防」を振り返る。

◆きっかけは金丸夫人
この「10億円」の一つのキーワードが「金丸夫人」である。東京地検特捜部は1993年3月6日、金丸元副総裁を電撃逮捕した当日、「パレロワイヤル」の金丸事務所を家宅捜索。このとき押収した金庫には、「日債銀」ルートの「ワリシン」22億8000万円のほか、金丸夫人が絡む「岡三証券」ルートの11億4700万円が保管されていた。

特捜部はゼネコン各社から金丸元副総裁へのヤミ献金の脱税容疑と並行して、亡くなった金丸夫人から金丸本人への遺産相続についても、捜査を進めていた。
金丸夫人は1991年12月にゴルフ場で倒れて急死した。特捜部の調べによると金丸夫人の資産は、ハワイのコンドミニアム3戸、元麻布の自宅土地建物、岡三証券における株式や割引債券など「約58億円」に上った。このうち金丸は「約54億円」を相続していたことがわかり、特捜部は遺産申告などに注目していた。

ある検事は「金丸夫人はかつて夜の赤坂で働いていた経験もあり、抜群に商才に長けていた。金丸の資産管理をすべて任され、不正蓄財を知り尽くしていたのではないか」と振り返る。またTBSの元政治部記者は「金丸番の記者が元麻布の私邸に夜回り取材に行くと、玄関に入っていいかどうかを金丸夫人が決めるなど、やり手で社交的なイメージだった」と語る。

◆金丸本人も「ワリコー」購入
金丸夫人の蓄財のきっかけは、1972年に「岡三証券」新宿支店長だったA役員と取引をはじめたことに遡る。金丸夫人はA役員に資産運用を任せ、不動産取引などで財産を築き、バブル崩壊直前に不動産を処分し、上記の通り「岡三証券」には「ワリコー」、「ワリシン」など多額の割引債券を保有していた。A役員が専務まで出世したのは、金丸夫人を担当して成果を上げたからだと社内では言われていた。1991年12月に金丸夫人が亡くなるまで取引は続いていた。 

そこで特捜部は金丸夫人の担当者であった岡三証券のA役員を取り調べたところ、金丸本人についても、まず「1986年」に初めて「10億3800万円」の「ワリコー」を購入、続いて「1989年」にも「10億3000万円」の「ワリコー」購入が明らかになった。

A役員は「元麻布の金丸邸に出向き、寝室で金丸夫人から購入代金を受け取った」と裁判で証言している。
このうち、金丸逮捕の3月6日、特捜部が捜索で押収した「ワリコー」は「1986年分」ではなく、「1989年分」であることが判明した。

それでは、押収されなかった「1986年分」の約10億分の「ワリコー」はどこへ行ったのか、大きな疑問が残った。これについて岡三証券のA役員は特捜部にこう説明したという。

「金丸さんの長男から『これは父からの指示』と言われ、1992年6月、『ワリコー約10億円分』を現金化した」

さらにA役員の記憶は鮮明だった。

「現金化した『10億円』を部下とともに東京・江東区の本店別館で、段ボール3箱に各3億円、段ボール1箱に1億円を詰め、車に積み込んで、元麻布の金丸邸に持参し、金丸さんの長男に渡した・・・・」

現金10億円は、金丸の指示によって、A役員が元麻布の金丸邸に運び込み、長男に渡していたのである。

◆ワリコーの発覚おそれて現金化
そこで特捜部長の五十嵐紀男(18期)は、東京拘置所で金丸の取り調べに当たっていた主任検事の熊﨑勝彦(24期)に連絡。岡三証券A役員の取調べ結果を伝え、金丸から「現金10億円」の行方を聞き出すよう指示した。

熊﨑の取り調べに対し、金丸は「妻だけでなく、わたし自身も岡三証券と取引があり、わたしがワリコー「10億円分」を現金化するよう、長男を介してA役員に指示して、元麻布の私邸に運ばせた」と現金を届けさせたことを認めた。
しかし、金丸は、これほど多額の現金にもかかわらず、使途や目的については、あいまいな供述を繰り返した。

金丸は当初、「参院選の軍資金として国会議員らに配りました」と主張した。
これに対し熊﨑は「それでは金を受け取った国会議員全員に聞くことになるが、よろしいですか」と尋ねると、金丸はこう答えた。
「台湾政府が金丸文庫という図書館を建設するというのでその資金として台湾に送った」
金丸は荒唐無稽な言い逃れを続けたが、熊﨑も一歩も引かなかった。
「それでは、日本政府を通じて台湾政府に事実を確認しますが、それで先生の名誉に傷がつくことはありませんか」と追及した。  
すると金丸は「そういう話はあったのですが、それに備えて、まだ保管していました。保管先は、長男に任せたので長男に聞いてください」と、やっと正直に打ち明けたのだ。逮捕から11日目の1993年3月17日だった。

◆「現金化しておいたほうがばれない」
また金丸は、岡三証券の「ワリコー10億円」をわざわざ現金化して、自宅に運ばせた理由については、こう供述した。

「1992年、東京佐川急便事件の強制捜査が始まり、私が割引債で資産隠しをしていることがばれるのではないかと心配になった。割引債で持っているより、現金に替えて隠しておいた方がばれないのではないかと思い、長男に命じて現金化し、親戚に預けさせました」

つまり当時、金丸は「東京佐川急便」の社長からヤミ献金を受けており、捜査の過程で、保有する「ワリコー」や「ワリシン」などの割引債券が見つかることを、極度に恐れていたという。

政治資金を流用して割引債券を購入し、脱税していたことが発覚してしまうのではないか・・・

割引債券の形で持っているより、現金化しておいたほうが、「選挙に備えての政治資金だった」と弁解できると考えていたからだ。

◆「車で行けるところではないのです」
一方、東京地検庁舎内で金丸の長男の取り調べに当たっていたのは熊崎班の山本修三検事(28期)だった。五十嵐は、熊崎から「金丸供述」の報告を受けると、山本を部長室に呼んで事情を説明し、長男に「岡三証券から10億円を受け取ったあと、どうしたのか」説明させるよう指示した。

ところが、山本からの報告がなかなか上がってこなかったため、五十嵐が山本の部屋に直接出向いたところ、取り調べ室では、長男が「預かってもらった人に迷惑をかける」と言って10億円の預け先を明かすことを拒否していた。
そこで五十嵐は山本とともに長男の説得に当たり、「金丸先生は10億円については、あなたに聞いてくださいとおっしゃった。金丸先生はもう隠すつもりはないと話している。正直に話してください」と金丸の話を伝えたが、長男はそれでも躊躇していた。

五十嵐は、10億円の預け先は当然東京都内だろうと推測して、山本の立会事務官に「これからYさん(長男)に案内してもらうから、宿直に電話して車の手配をしてください」と命じた。
すると長男が「待ってください。実は、車で行ける場所ではないのです。山梨県の親戚Mに預けました。この人は事情を知らずに預かってもらっただけですので、よろしくお願いします」と言い、ようやく観念して預け先の住所と氏名を明かしたのだ。

◆「現金10億円」は山梨から石川へ
特捜部は、事件の裏付け捜査のために、既に川崎和彦検事(29期)を金丸の地元である甲府地検に派遣していた。
そこで、五十嵐はすぐに川崎と連絡を取り、川崎を山梨の金丸の親戚M宅に向かわせた。

ところが、川崎がその親戚Mから事情を聴いたところ、親戚Mは予想外のことを口にする。
「確かに段ボール4箱を金丸の長男の依頼で預かったが、金丸さんが3月6日に逮捕されたことをニュースで知り、このまま預かっていては自分にも災難が及ぶかもしれないと不安になり、2日後の3月8日、車で金沢市内の親戚Iの家に運んで預かってもらった」と打ち明けた。 

つまり親戚Mは持っているのが怖くなり、金沢の親戚Iに渡したという。預け先の親戚Iの住所と名前も素直に話した。
金丸の長男は、東京から山梨の親戚Mに預ける際に「段ボールの中身は書類が入っているとウソを言って預かってもらった」と親戚を庇うような供述していたが、やはり親戚Mは中身が現金だと認識していたのだ。

「現金10億円」は重さ約100キロだ。段ボール4箱に詰められた100キロの生々しい現金が、遠路はるばる、東京の「元麻布」から「山梨」、そして木曽山脈、飛騨の山を超えて「金沢」へとひそかに隠し場所を変えていたのだ。(つづく)

TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
 岩花 光
情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN


「自宅には記者諸君がいるので返事不要」“政界のドン”金丸信の逮捕 着手前夜、特捜部長が「10分の待機」の裏でかけた電話 ~金丸脱税事件から30年(1)~ 
今から30年前、一つの時代を象徴する空前絶後の事件が起きた。「自民党のキングメーカー」として君臨していた金丸元副総裁が、東京地検特捜部に電撃的に逮捕されたのだ。
2023年9月9日(土) 07:00 TBSニュース
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/700637

ウイキペディア


金丸 信
日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官、副総理、民間活力導入担当大臣、建設大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁などを歴任。
1914年〈大正3年〉9月17日 - 1996年〈平成8年〉3月28日)ウィキペディア



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?