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「M・J・Q」とは新進ベンチャー名か

今朝も、軽快な軽音楽ジャズを聴きながら、書いてます。

と書くと、さぞゆったりした居間の一画に設えた高額なオーデォセット大口径38スピーカーから流れる「ブルーノート」でも聴いている、と勘違いされている方もさぞ多いかと思ったので、昨日の仮想話しの延長で、そんなことを縷々(るる、いちいち面倒なはなし)の説明をしたいとおもいます。

先にネタバレで云ってしまうと「MJQ」というのは、アメリカジャズバンドで1952年、に出来た黒人JAZZBandでした。それを当時、modernJAZZ、と呼んでいたので、タモリにいわせるとそれが「ダンモ」というわけです。

それが時空70年?を超えて、いまスーパー(食品販売)の天井で鳴っているのがそのMJQだったりするわけです。

そんなこと云うと博学をひけらかして、と思う錯誤の弁解を云いますが、そんな話しをすると、その時代を知っていなければ説明できないし、MJQにしてもマイルスにしても、ニューヨークデビューする前のマイルスは、パーカーの「ボーヤ」で、使い走りだったり、薬ヤクの仕入れとか、伝記なんか書いてありました。当時はLSDがなかったので大麻、阿片、コカインなど主流だとありました。私はやってませんが。

そんな音楽が時空の天井を超えて買い物客(主婦層)に聴かせていると云うのは、経済資本主義の中の典型パターンと云えるでしょう。(著作権だってあることだし、その昔アメリカで活躍したプロが日本のスーパー天井で稼げるというのは、まさしく棚から落ちたボタJAZZでした)

で何がモダンかとタキシード姿でJAZZ演奏、というのがモダンでした。それまで黒人ジャズは、音楽界で浸透していなかったので、ハイレベル、ということをアピールするための変装スタイルだったのです。

同じような方法で成功したのが「ビートルズ」で、デビュー当時着ていたユニホームは、プロディユーサーだった「ブライアン・エプスタイン」のプロパガンダでした。

その「レコード」はオワコン筆頭でしたが、いまは次世代「カセット」が主流というトレンドですから、新聞とかテレビ屋は、当然、柳の下のドゼウを狙っているのでしょう。

昨日予告の、「仮想通貨」譚は、停戦以後の動向見極めが必要で、しばらくお待ちください。

■「モダン・ジャズ・カルテット 」(Modern Jazz Quartet) は、アメリカ合衆国のジャズバンドで1952年にミルト・ジャクソンらによって結成された。結成前の1951年にはミルト・ジャクソン・カルテット(Milt Jackson Quartet)と名乗っていた。略称は両方とも「MJQ」である。
ミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス、ケニー・クラークの3人はもともとディジー・ガレスピーのビッグ・バンドで、1946年から1950年の間一緒に演奏していた。また、その楽団でウッドベース奏者のレイ・ブラウンも一緒だった。1951年にミルト・ジャクソン・カルテットを結成するが、翌年にはモダン・ジャズ・カルテットと名前を変える(ミルト・ジャクソン・カルテットの略称であった「MJQ」の「MJ」を、「モダン・ジャズ」の略称として置き換えたもの)。当初、音楽監督をミルト・ジャクソンとジョン・ルイスが担当していたが、のちにジョン・ルイスがすべての仕事を引き継ぐようになった。このことがMJQの音楽性を決定的なものにした。ジョン・ルイス(妻がクラシックのピアニスト)はクラシックの研究とジャズの精神を融合させることに情熱を注ぎ込み、これまでの黒人音楽には希少なサウンドを展開した(もっともそれがミルト・ジャクソンとの決別の原因にもなった)。
彼らの主なレパートリーはビバップやスウィング時代のスタンダード・ナンバーだった。管楽器は使わず、ミルト・ジャクソンのビブラフォンを中心にした一貫してクールで室内音楽的なジャズで人気を博した。オリジナルの楽曲には、ジョン・ルイスによる「Django」(ベルギーのジャズ・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトに捧げられた)と、ミルト・ジャクソンによる「Bags' Groove」(Bagsはミルト・ジャクソンのニックネーム)がある。後年はジョン・ルイスによるジャズの範疇に収まらない曲も数多い。

ミルト・ジャクソンが1974年にグループを去るとすぐに解散したが、1981年に再結成している。モダン・ジャズ・カルテットの最後の録音は1994年に発売されている。メンバーの中で最後まで生きていたパーシー・ヒースも2005年に死去した。
1984年に来日した際、フジテレビ系バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』に出演。会場のスタジオアルタで司会の森田一義(以下タモリ)とのコラボで「Night In Tunisia」を生演奏した。タモリは緊張のため額には大汗をかいていたものの、猛練習の末、得意なトランペットを4分間のコラボ中に披露した。
資料ウイキペディア

非代替性トークン(ひだいたいせいトークン、英: non-fungible token、略称: NFT)とは、ブロックチェーン上に記録される一意で代替不可能なデータ単位である。NFTは、画像・動画・音声、およびその他の種類のデジタルファイルなど、容易に複製可能なアイテムを一意なアイテムとして関連づけられる。代替可能性(英: fungibility)がないという点で、NFTはビットコインなどの暗号通貨とは異なる。

■NFTは、「関連づけられているファイルなどの真正性や所有権を証明する」と主張されているが、NFTによって保証・譲渡される法的権利は不明瞭な可能性が指摘されている。また、NFTには、関連づけられているファイルの共有や複製を制限する機能は存在せず、ファイルの著作権を必ず譲渡する訳でもなく、同一のファイルに関連づけられた別のNFTを無制限に発行可能である。
(NFT含め、一般的な証明書と同様に共同体など大多数の信用を得ることが出来なければ証明書として機能しない。また、複製についても共同体などの大多数による対抗がなければ防止できない。例えば紙幣は共同体から信用を得られているため財産を示す書類として通用する。複製も技術的には可能だが、共同体により罰せられる行為とされる。コピー機で現金がコピーできないのは共同体に反する行為を防止するためであり、技術的に実装できないわけではない。)

2022年現在、NFTは主に投機資産として利用されているが、ブロックチェーンのトランザクションの検証に伴う電力消費とカーボンフットプリントへの懸念、および美術品詐欺などの悪徳商法に頻繁に利用されていることから批判されており、一部には「NFT市場の構造はポンジ・スキームやネズミ講・マルチ商法と類似しており、人為的に価格が吊り上げられている」と指摘する声もある。価格操作等の目的で「NFTを所有すればアート自体を所有できる」「NFTにすることでアートの複製防止ができる」などと言ったありもしない機能が吹聴されるなど社会問題になっている。

NFTは、ブロックチェーンと呼ばれるデジタル台帳上に記録されている売買可能なデータ単位である。NFTは、特定のデジタル資産や物理的資産(コンピュータ上のファイルや物理的な物体など)、およびその資産を特定目的で使用するためのライセンスに関連づけることができる。NFT(および原資産を使用・複製・表示するための関連ライセンス)は、デジタル市場で売買することができる。

NFTは、暗号トークンのように機能するが、ビットコインなどの暗号通貨とは異なり、相互に交換することができない。つまり、代替可能性(英: fungibility)がない。ビットコインは各々が同一であるが、NFTは各々が異なる原資産を有している可能性があり、したがって異なる価値を持つことがある。NFTは、ブロックチェーンが暗号ハッシュ(一連のデータを識別するための文字列)の記録を以前の記録に紐づけ、識別可能なデータブロックの連鎖を形成することで生まれる。この暗号化されたトランザクションプロセスは、NFTの所有権を追跡するために使用されるデジタル署名を通じて、各デジタルファイルの真正性を保証するとされる[16]。しかし、美術品の保管場所などの詳細を示すデータリンクは消滅する可能性があり、またNFTは必ずしもその作品の知的財産権の譲渡を伴うわけではない。

黎明期(2014年 - 2017年)最初のNFTである『Quantum』は、2014年5月にニューヨークのニュー・ミュージアムで開催されたカンファレンス「Seven on Seven」のライブ・プレゼンテーションにおいて、ケビン・マッコイが作成し、アニル・ダッシュ(英語版)が購入した。彼らは当時、この技術を「マネタイズされた画像」(monetized graphics)と呼んでいた。代替不可能で取引可能なブロックチェーン・マーカーは、Namecoin(英語版)によって可能となったオンチェーンのメタデータを介して、ユニークな芸術作品に明示的に紐づけられていた。これは、他のブロックチェーンやカウンターパーティーなど、マルチユニットで代替可能かつ、メタデータのない「カラードコイン」とは対照的である。

2015年10月には、最初のNFTプロジェクト「Etheria」が立ち上げられ、ロンドンで開催されたイーサリアム初のデベロッパー・カンファレンス「DEVCON 1」でデモンストレーションが行われた。Etheriaの457個の購入・取引可能な正方形のタイルのほとんどは、2021年3月13日にNFTへの関心が最熱するまで、5年以上も売れ残っていた。24時間以内に、現行バージョンと1 ETH(当時のレートでは43セント)にハードコードされた過去バージョンのすべてのタイルが、合計140万ドルで販売された。

「NFT」という言葉は、2017年にさまざまなNFTプロジェクトが立ち上がった後、同年のイーサリアムのGitHubを通じて初提案されたERC-721規格で初めて使われるようになった。それらのプロジェクトには、Curio Cards、CtyptoPunks(英語版)(米国のスタジオ「Larva Labs」がイーサリアムのブロックチェーン上で公開した、ユニークな漫画キャラクターを取引するプロジェクト)、Decentralandなどが含まれる。この3つのプロジェクトは、カエルのペペのトレーディングカードとともに、当初の提案書で参照されていた。
2019年、ナイキは、NFTを使って物理的なスニーカーの信頼性を検証し、その靴のバーチャル版を顧客に提供する「CryptoKicks」というシステムの特許を取得した。

2020年初頭、CryptoKittiesの開発元であるDapper Labsは、NBAのハイライトをトークン化したコレクターズ・アイテムを販売するプロジェクト「NBA TopShot」のベータ版を公開した。このプロジェクトは、イーサリアムと比べて新しく効率的なブロックチェーンであるFlow上に構築された。同年末、このプロジェクトは一般に公開され、2021年2月28日時点で2億3000万ドル以上の総売上高があることが報告された。

NFT市場は2020年に急速な成長を遂げ、その価値は3倍の2億5000万ドルに達した。2021年の最初の三ヶ月間では、2億ドル以上がNFTに費やされた。

デジタルアート

デジタルアートは、ブロックチェーン技術によってNFTの固有の署名とその保有の権利を保証することができるため、NFTの初期のユースケースとなった。Beeple(英語版)によるデジタルアート作品は、2021年に6930万米ドルで落札された。クリスティーズは、Beepleの『Everydays: The First 5000 Days(英語版)』をその金額で落札し、オークション業界のニュースとなった。英語版Wikipediaでは議論の結果、NFTを「アート」として扱わない決定が行われている。

デジタル資産 jack Xの短文投稿より @jack

just setting up my twttr March 21, 2006

NFTは、芸術作品の他にも画像や音声など、あらゆるデジタルデータに固有の権利を保障する事ができる。SNSへの投稿にも当てはめることが可能で、Twitter社CEOジャック・ドーシーが投稿したTwitter上最初の投稿が、292万米ドルで落札された。投稿には、just setting up my twttr(ツイッターを立ち上げているところ)と書かれている。
ウイキペディア

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