スマホに支配された子供時代の世界的脅威
米国を揺るがした社会心理学者がいま訴えること
ジョナサン・ハイト「スマホに支配された子供時代を終わらせるべきだ」
アトランティック(米国) Text by Jonathan Haidt
クーリエ・ジャポン 5min2024.6.18
「子供のスマホ依存」による影響が国内外で深刻になっている。若年層のうつ病や不安症は急増し、計算力や読解力のスコアは低下の一途を辿る。
Z世代に当てはまりやすい特徴として、「内気」で「リスク回避的」であることが挙げられる。OpenAI共同創業者のサム・アルトマンは「1970年代以来初めて、シリコンバレーで傑出した起業家のなかに30歳以下がいない」と漏らした。
これらの傾向はSNSが普及してから顕著になったと、社会心理学者のジョナサン・ハイトは『不安な世代』(未邦訳)で述べている。
ジョナサン・ハイトはニューヨーク大学教授で社会心理学を研究する。2022年、同氏が米誌「アトランティック」に寄稿した記事「アメリカ社会がこの10年で桁外れにバカになった理由」は米国内で大きな反響を呼び、バラク・オバマやジェフ・ベゾスは人々に一読を促した。
遊びと自立の衰退
脳に「爆発的な成長期」がある理由
ヒトの脳は、ほかの霊長類のそれに比べて格段に大きく、ヒトの子供時代もまた、極端に長い。大きな脳が特定の文化のなかで順応するには、充分な時間が必要だからだ。
ヒトの子供の脳の大きさは6歳くらいまでにすでに大人の脳の90%くらいに達する。そして、続く10~15年間で、規範やさまざまな社会的スキルを習得していく。
脳の発達はときに「経験期待型」だといわれる。特定の経験をすると期待される時期には、脳の可塑性が増すからだ。
この現象は、ガチョウのヒナに認められる。ガチョウのヒナは生まれてすぐ、自分のそばで動く母親サイズのものを、それが何であれ、母親だと思い込む。
同じことが言語の習得が早いヒトの子供にも認められる。子供は耳に入るアクセントもすぐに自分のものにする。
だがそれは思春期初期までのことで、それ以降は異言語を学習してネイティブ話者のようになるのは難しい。
あなたは米国人? 日本人?
さらに脳には文化的な帰属感に対して敏感な時期もある。たとえば、1970年代にカリフォルニアで何年か生活した日本人のうち、アイデンティティにおいて自分のことを米国人のように感じるようになったのは、9~15歳の間に現地校に何年か通った者だけだった。
9歳より前に帰国した場合、アイデンティティへの影響が永続的に及ぶことはなく、また15歳より後に米国にやってきた場合は遅すぎで、自分のことを米国人と感じるようにはならなかった。
ヒトの子供時代というのは長期に及ぶ文化的な学びの期間であり、思春期までの異なる年頃に異なるスキルを習得していく。
子供時代をこのように捉えると、各年齢で正しい学習が何か、あるいはそれを妨げる要素が何かを見極められるようになる。
哺乳類の子は皆「遊ぶ」
すべての年齢の子供にとって学習の強力な推進力となるのが、遊びたいという強い思いである。哺乳類の子供は皆、遊ぶことが仕事だ。よく遊ぶことで脳神経のつながりを良くし、大人になったときに必要な動きやスキルを習得できる。
子ネコは、ネズミの尻尾に見えるあらゆるものに飛びついて遊ぶ。ヒトの子供は、鬼ごっこのような遊びをして獲物を追うスキルや、敵から逃れるスキルを学ぶ。
思春期の若者はより激しいスポーツをする。そして異性の気を引いたり、からかったり、仲間意識を高める内輪の冗談を言ったりして、人付き合いに遊び心を取り入れるようになる。
ラットやサル、ヒトの子供を対象にした何百もの研究が、哺乳類の子供は遊ぶのが好きで、遊ぶことを必要としており、遊びが不足すると情緒的な障がいを負うリスクも示されている。
リスクがなければ成長できない
遊びの重要な要素の一つに、身体的なリスクをとる行動がある。子供や若者は、失敗がさほど大きな痛手とならない環境で、リスクをとってしばしば失敗する必要がある。
その経験を通して彼らはできることを増やし、恐怖心を克服し、リスクを推し量る術を身につけ、のちにより大きな挑戦に挑むため協力し合うことを学ぶ。
走ったり、冒険したり、格闘ごっこをしたり、別の集団と本当にケンカしたりしているあいだに怪我をする可能性が常にあることはそこにスリルをもたらす。子供が不安感を克服し、社会的、感情的、身体的能力を身につけるもっとも効果的な方法は、スリルのある遊びをすることだ。
子供は失敗がより深刻な結果につながるかもしれない10代になると、それまで以上にスリルを求めるようになる。どの年齢の子供もその時々でとる用意があるリスクを選ぶ必要がある。リスクを取る機会や自分たちだけでの冒険をした経験が少ない若者は、不安でリスクを嫌がる大人になりがちだ。
ヒトの子供は、危険やさまざまな機会が豊富な野外のリアルな世界で成長してきた。そこでの中心的な活動は、遊び、冒険、仲間との密接な交流で、大人不在であることが多い。
このため子供は自分たちで判断し、自分たちで仲間内のケンカを解決し、互いを気づかうことを学ぶ。
ともに冒険し、困難に立ち向かう経験は、若者を強い友情で結ぶ。その友情の輪の中で彼らは小さな集団における社会動学を学び、のちにより大きな集団でより大きな挑戦に挑むための準備をしていく。
インターネット登場前からの変化
ところが私たちは、子供時代のあり方を変えてしまった。変化はインターネットが普及する1970年代後半から1980年代にかけて、ゆっくりと始まっていた。
当時の親たちは、もし子供たちが大人に見守られることなく彼らだけでいたら、誰かに傷つけられたり、誘拐されたりするのではないかと恐れた。
こうした犯罪は昔から極めて稀だったが、路上犯罪が増加し、さらにケーブルテレビが普及すると親たちの心配は膨らんでいく。というのもケーブルテレビには、行方不明の子供の情報が一日中流れていたからだ。
隣人や公の機関をどの程度知っていて、どの程度信頼しているかを示す「社会関係資本」が全般的に低下したことによって、親たちの不安は募っていく。
同時に、大学進学をめぐる競争の激化は、より熱心な子育てを促す。
1990年代、米国の親は子供を室内で過ごさせたり、放課後に大人主導の教育的な活動に参加させたりするようになる。自由な遊びや、子供たちだけでの冒険は減った。
ここ数十年間は、大人の付き添いなく外にいる子供を目にすることがめっきり減ったため、そのような場面に遭遇した場合は警察に通報すべきだと考える大人もいるくらいだ。
過保護、そしてデジタル娯楽の到来
米調査機関ピュー・リサーチ・センターが2015年に実施した調査で、親は次のように考えていることが判明した。
・大人の付き添いなく自宅の前で遊ぶには、子供は最低10歳でなくてはならない。
・また、大人の付き添いなく公園で遊ぶには最低14歳でなくてはならない。
だが調査に参加した親の大半は、自身が子供のときは7、8歳ごろには子供たちだけで外で楽しく遊んでいた。
とはいえ「過保護」は、このような変化の理由の一つでしかない。自立した子供時代は、デジタル技術の着実な進歩によってどんどん過去のものになっていく。デジタル技術は、子供がより多くの時間を家の中、屋内、あるいは自室で一人で過ごすのを容易で楽しいものにしたからだ。
こうして、テック企業は最終的には1日24時間、365日、子供たちと接触できるようになった──そして子供の脳が期待するリアルな経験とはまったく異なる“刺激的な仮想活動”を開発し、提供するようになった。
だが彼らが目的とするのは、あくまで「エンゲージメント*」の獲得だ(続く)。
※エンゲージメント:自社の製品やサービスに対してユーザーが愛着を持ち、自らの生活に浸透させること
【続編記事より】 忙しい親にとってタッチスクリーンは、神からの贈り物のようでもあった。多くの親が、子供に彼らが一番欲しがっているスマホやタブレットを与えさえすれば、邪魔されないことを知った。
誰もが子供にスクリーンを手渡すのを見て、その行動に問題はないものと親たちは考えた──私たちは、自分たちのしていることが、まるでわかっていなかったのだ。
本稿は [ジョナサン・ハイト ]の『The Anxious Generation(不安な世代)』からの抜粋(全5編)である。
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