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漫画現代史、武蔵の遺りたるを語る

漫画劇画を描く作家クリエイターは、「これだけは云わせてほしい」(古語拾遺)という根源的なリテラシーがあればこそ、人気作家であり社会に与えるインパクトも大きい。また観ている側は、それに共感して生きる糧にする。そこに同じ漫画に書かれた「宮本武蔵」があった。

原作は、吉川英治、朝日新聞社1935年の8月23日から、4年後の1939年7月11日まで続いた連載小説。吉川英治の創作であり、仮想武蔵を描いた読物として人気を誇った時代小説。

「武蔵五輪書」自筆本である原本は焼失したと伝えられる。写本は細川家本を始め、楠家旧蔵本・九州大学本・丸岡家本・狩野文庫本、底本不明の『劍道祕要』収録などがある。
自筆本が現存せず写本間での相違も多いことや、武蔵の時代よりも後の価値観に基づく記述が多いこと、さらに同時代の文献に武蔵が五輪書を書いたと傍証できるものがない。


「SLAM DUNK」井上雄彦、1年半にわたる「バガボンド」休載を語る…「マンガ家として一回死んでいるような気がするんです」 2012年5月10日 21時11分


井上雄彦「空白」表紙
 「SLAM DUNK」で知られる井上雄彦が、2010年4月から2012年3月までに行ったインタビューなどをまとめた書籍「空白」で、およそ1年半にわたった「バガボンド」休載について語っている。自ら「マンガ家として一回死んでいるような気がするんです」と評した休載期間中もさまざまな活動を行ってきた井上が「いかに『バガボンド』を描かなかったか」に迫った異色のインタビュー集だ。

 井上が体調不良を訴え、「バガボンド」が長期休載に突入することになったのは2010年10月ごろ。まだ休載前の2008年から2010年にかけて行われた「井上雄彦・最後のマンガ展」で主人公・宮本武蔵の最期を描いていた井上は、2010年の初めに自身のブログで「『バガボンド』は今年中に終わる」と連載終了を意識し始めたことを明かしていたが、そのことが逆に井上を追い詰めることになった。
体調不良は「最後のマンガ展」が終了した直後の2010年7月ごろから始まり、それからしばらく連載開始は白紙のままだった。

 その、終わりを意識した発言は、意外にも代表作「SLAM DUNK」のイメージをいまだに引きずっていたことが一因だったという。「読者がどう思っているかはわからないですし、受けとめ方は人それぞれだと思いますが、僕にとって『スラムダンク』のラストは『ああ、こんなに良い終わり方はないな』というものでした」と振り返った井上は、一方で「バガボンド」について「一番いい終わりどきを逃したのかな」という気持ちがあったと明かす。

 それだけが原因ではないものの、そうしたことの積み重ねが井上を消耗させていったのは事実のようだ。だが、1年半にわたる休載中も井上は精力的に活動していた。車いすバスケットボールを題材にした「リアル」の連載があり、東本願寺から依頼を受けた屏風「親鸞」があった。そして何より、同作品を仕上げた翌日には東日本大震災が起こった。物語そのものに地震や津波は出てこなくとも「自分の変化が作品に反映されるのは間違いない」と明言した井上は「またそうでなかったら僕は描く意味を感じられないですから」と断言する。

 「バガボンド」の連載は基本的には週1回だったが、今年3月の再開からは月1回というペースになった。そのことで「じっくり時間はかけましたね」という再開第1回は、休載前からの直接の続きではなく、仕切り直しとなるエピソード。それは「初めて」という井上の中でのキーワードを再確認させるものだ。休載前の展開、そして「最後のマンガ展」で描いた武蔵の最期との整合性についての「いつでも壊せる準備はしつつ、それでもうまいこと繋がる道はないか探ろうと思います」という言葉は、休載前と後の井上の心境の変化を如実に表したものだろう。

 本書に収録されたインタビューは休載期間を含む2年に、実に8度にわたって行われたもの。その中で井上は「バガボンド」のことだけでなく、ほかのマンガのことや震災のこと、鑑賞した『ツリー・オブ・ライフ』についてなど、さまざまな話題を取り上げている。それでも、その内容が雑多に感じないのは、心境の変化はあれど、井上の芯がぶれていないからに違いない。(編集部・福田麗)


2023.04.07 SAISHINKAN.

バガボンドが連載再開しない理由は?
バガボンドの連載再開が待ち遠しいですが、休載しているのには理由があると思われます。
休載理由の一つとして考えられるのが、作者である井上雄彦先生の体調です。
現在の長期休載になる前も、バガボンドは休載期間がありました。
そのときは体調不良が原因であったようですが、その後は連載ペースを落としてバガボンドは再開されました。
ただ、今もなお休載が続くのは、体調だけでなく他の仕事で忙しいからなのかもしれません。
井上雄彦先生の連載はバガボンドだけでなく、週刊ヤングジャンプで車いすバスケ漫画「リアル」も描いています。
こちらも休載が続いていましたが、2019年5月23日発売のヤングジャンプ25号で連載再開となり、最新刊の15巻も発売となりました。

【リアル】16巻の発売日は?最新刊15巻までの発売日から予想してみた

「リアル」は週刊ヤングジャンプで連載中の井上雄彦による漫画ですが、現在15巻まで発売されています。コミックス「リアル」の最新刊がいつ発売されるのかを調べてみたところ、次に発売される16巻の発売日は未定とのことです。そこで、16巻の発売日がい... saishinkan.work 2023.07.11

おそらく、連載を2つ同時に進めていくのは難しいのではないでしょうか。
「バガボンド」と「リアル」、どっちの連載を優先するかを考えた上で、現在の状況になっている可能性もあります。
そう考えると、リアルが完結して連載終了となればバガボンドの連載が再開するのかもしれませんね。
スラムダンクの映画化でバガボンドの休載はまだ続く?映画公開により井上雄彦先生の仕事が忙しくなると、バガボンドの休載がさらに伸びてしまうのではないかと気になるところです。

井上雄彦先生の代表作といえばスラムダンクだし、スラムダンクが好きな人も多いと思うので、やはりバガボンドの優先度は下がってしまうのかもしれませんね。

いずれにせよ、井上雄彦作品を楽しめるので個人的にはうれしいです。今後は、バカボンドだけでなく「スラムダンク」など井上雄彦作品の情報も更新していけたらと思っています。

というわけで、今後もバガボンド最新刊38巻の発売日がいつになるのか、連載再開に関する情報などを分かり次第お知らせしていきたいと思います。

バガボンドが連載再開するまでは、他の井上雄彦作品や画集などを見るのはいかがでしょうか。

【井上雄彦作品おすすめ一覧】連載中・完結済みのマンガは?
「バガボンド」や「スラムダンク」など人気作品を生み出してきた、井上雄彦先生のおすすめ漫画を紹介します。ここでは漫画だけでなく、イラスト集・画集などの本も紹介していきます。井上雄彦先生の連載マンガ一覧まずは連載中の井上雄彦作品を紹介します。バ...

saishinkan.work 2022.04.12


YouTube親鸞 井上雄彦

 



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休載関連記事を集め載せましたが、主題はそれではない。本旨は「はだしのゲン」であり、それが教科書から削除された、その問題でした。

内容は戦争が残した禍根話ですから、簡単な終結とはならない。それを総括的な「敗戦国」として括ることで、見えない糸口を明らかにしてしまうという刹那的方法論でした。

そして話は宮本武蔵に移ったのでした。その明確な企みは在りませんが、どこか、下の奥底で繋がっている、そう感じたからです。

いずれも「漫画」であり、文字より「絵」の訴求力が勝っていて、理屈じゃなくて実際どうだ、という定番の論法です。

このところ映画や動画アニメにしても、古典をアニメ化すると云うのが流行っていて、その武蔵にしても、その流れでした。

なにしろ判りやすい、というのが最大の武器で、理屈がいらない。「はだしのゲン」にしても、原爆炸裂のヒトと動物の破壊シーンの一瞬にして炭化するリアル描写(目が飛び出すのは内圧膨脹を観察した)が劇的で、実写よりも数倍破壊力があるように見えたのです。書いてる作家であっても、それにボットウしてしまう怖さは、あったでしょう。

そんなことが宮本武蔵にも同調していると私は思いました。宮本武蔵は、百戦錬磨、天下無双剣豪、負けなしの剣豪ですから、ボクシングで云う無敗の王者です。

原作は「吉川英治」小説のエンターテイメント、という娯楽本ですから、かなりの脚色はあったことでしょう。

武蔵、幼少青年期は「たけぞう」と呼ばれており、故郷の宮本村を出た後、宮本武蔵と名乗るようになりました。その頃の交友に恋人お通、そして又八がいて、物語に巾を出していたのは、当然の設定だったのでしょう。

そして宮本武蔵、タイトルマッチ戦は負けなしの殺人剣法「二天一流」(にてんいちりゅう)としての開祖であるし、また著書「五輪書」を書き残したことでも広く知られている人でした。

昔から銀幕時代劇といった宮本武蔵であったし、主役ヒーローは中村錦之助(萬屋)と決まっていた。

それで井上雄彦がキャンパスに書た宮本武蔵は、現代プロボクサー「井上尚弥」の時代アバターであるし、無敵の王者、そのもので、現実にマットで戦う剣士として、大衆の視覚に彷徨えたのでしよう。

どこを探したって、どこにもいない仮想にき生きる無敗の剣豪「二天一流」の使い手「武蔵」はまさに現代ヒーローとして甦るのでした。

それを漫画媒体として、見事描いたのがクリエイター井上雄彦、その人でした。

長期に渡る休載、その理由

多分、理由なんてないと思います。いや、かたる理由は五マンとあって、1万字の10倍くらいの原稿は、頭の中で渦巻いて、いると思います。

それをボソッ、ボソッと寝言のように語り始めると、それはまるで黄泉の国の世界で、釈迦を相手に問答している自分を想像してしまうので、何も語らない、多分、そんなことでしょう。

なぜ、そう思ったか?

古代歴史書「古語拾遺」には、果たせなかった仕事の整理と、本来、執権の要となるべき我が血統が、それから外された疎外感は、耐えがたい屈辱であり、そのことを、此れにしたため後世に申し送る書として「古語拾遺」は、現代の今も燦然と輝いているのです。

■『古語拾遺』(こごしゅうい)は、平安時代の神道資料。官人・斎部広成が大同2年(807年)に編纂したもの。
大同2年(807年)2月13日に書かれたとされている。大同元年(806年)とする写本もある。だが、跋(あとがき)に「方今、聖運初めて啓け…宝暦惟新に」とある。このことから、平城天皇即位による改元の806年(延暦25年・大同元年)5月18日以降であることがわかり、「大同元年」説は誤りということが分かる。『日本後紀』の大同元年8月10日の条に、「以前から続いていた『中臣・忌部相訴』に対する勅裁があった」とある。この条文から、「大同元年」論者は『古語拾遺』をこの勅裁に先立つ証拠書類だと考えた。しかし、本文はこの8月10日の出来事を前提に書かれているので矛盾することとなる。

斎部氏は天太玉命の子孫とされていることから、天太玉命ら斎部氏の祖神の活躍が記紀よりも多く記されている。造化三神については『古事記』と共通するものの、神名については全て『日本書紀』に沿っている。歴代天皇の呼称については神武天皇のみ当時としては珍しく漢風諡号が用いられ、以後は在位当時の宮の所在地をもって示している。しかし祝詞で登場するカムロキ、カムロミについて高皇産霊神と神産霊神とするのは、『古語拾遺』が最初である。さらに天璽の神器について「八咫鏡及び草薙の剣の二種の神宝」とし「矛と玉は自に従ふ」とするなど、記紀とは異なる記述があり、伊勢の神宮と大嘗祭の由紀殿、主基殿の造営に斎部氏が預かられていないこと(遺りたる四)だけではなく、鎮魂祭に猿女君が任命されていないこと(遺りたる九)など神代より祭祀を担ってきた姓氏が採用されず、大化の改新以来中臣氏が独占している弊害を記する。 ウイキペディア


あとがき
これまで随分、世界史、古代史、近現代日本史を書いてきましたが、今回の漫画を介して書かれた、歴史は、それ相応の効果と、ビジュアルとしての重さをPV数で認識しました。
いくら詳細に語った長文であっても1枚の絵で、2千字の効果があると思います。
ですから、そんなことで文字リテラシーを減らして、将来絵のタスクを広めたいと思います。 (いま進めている八咫烏白拍子画像の再考)


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