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Vice 9.11

リチャード・ブルース・チェイニー(: Richard Bruce Cheney、1941年1月30日 - )アメリカ合衆国の政治家、実業家。アメリカ合衆国第46代副大統領(在任: 2001年1月20日 - 2009年1月20日)。
ワイオミング州選出連邦下院議員、第17代国防長官を歴任した。公的な場においても自ら進んで愛称のディックを名乗り、書面にもそのように記載しており、本稿も愛称を記事名として立項している。ジョージ・W・ブッシュ政権


画像 皇居にて明仁天皇と (2007年2月21日)ウイキペディア


ウイキペディア

総理大臣官邸にて安倍晋三首相と (2007年2月21日)

2000年アメリカ合衆国大統領選挙前に当時テキサス州知事であったジョージ・W・ブッシュから副大統領候補を検討する委員長に任じられるも、自らを推薦して次期副大統領となり、政権移行チームでも責任者となって閣僚人事を掌握した。

同年の大統領選挙の討論会では論争に強くないブッシュがアル・ゴアを前に劣勢を強いられたが、チェイニーは反対にケンタッキー州で行われた10月の討論会でジョー・リーバーマン上院議員を論破。

また、同選挙戦の際にユーゴスラビアではブルドーザー革命が勃発し、スロボダン・ミロシェビッチ政権が崩壊に至ったが、ブッシュ・チェイニーは両名ともアメリカは基本的に静観の構えを採るべきであり、影響力を有するロシアの仲介を重視すべきだとしており、後の介入主義的な姿勢は見せなかった。

2001年1月20日のジョージ・W・ブッシュ大統領の就任により、第46代アメリカ合衆国副大統領となる。アメリカ同時多発テロ事件直後は政府存続計画を実行して大統領危機管理センターなどの政府施設に避難し、アメリカ史上初とされる「影の政府」を組織した。小泉純一郎首相との会談をこなし、フロリダ州立大学の卒業式に参加したりと多忙な日々を送る。

フォード、ジョージ・W・ブッシュ両政権で国防長官であったドナルド・ラムズフェルドと30年以上もの師弟関係にある。
2005年10月から側近中の側近である副大統領首席補佐官兼大統領補佐官のルイス・リビーがイラク戦争に批判的だったジョゼフ・ウィルソンの妻であるヴァレリー・プレイムが中央情報局(CIA)工作員であると身元を漏洩したとしてアメリカの連邦大陪審が起訴し、更に副大統領も情報漏洩に関与されている疑いが持たれている。

2007年2月20日に訪日し、当時の首相である安倍晋三首相・麻生太郎外相と会談した(当時第1次安倍内閣)。外交・国防政策に関して意見を交わすが、久間章生防衛大臣との会談は行わず、在日アメリカ軍横須賀海軍施設で自衛官(制服組)トップの齋藤隆統合幕僚長を始めとする自衛官幹部と会談した。

自衛隊は「日程の都合」と説明した。また、横須賀港では空母キティホークにアメリカ軍の兵士を集め、「アメリカ国民は(イラクからの)撤退を支持しない」と演説した。

また、ジャーナリストの青木直人や須田慎一郎の取材によると、同会談の際、チェイニーは拉致問題に対する落とし所(つまりは、同問題の解明・解決と核開発の放棄を包括的に解決すべきとする日本政府の政策転換を要求したもの)を安倍に迫ったという。
しかし北朝鮮は2009年5月25日に2度目の実験を実施した。時折心臓発作で入院することもあるが、精力的に活動する。そのため在任中は「史上最強の副大統領」と呼ばれ、あるいはカール・ローヴとともに「影の大統領」ともあだ名された。

チェイニーは就任当初から自らの大統領への野心を否定し続けてきたが、そのことによりブッシュの篤い信頼を勝ち得て、政権内で絶対的なナンバー2の地位を維持し続けた。
また万が一の時に備えて自らのペースメーカーにもテロ対策を施していた。一方で民主党への政権交代が決定した後の2008年12月、CNNが行った世論調査によればチェイニーが副大統領としての能力に劣っているとの回答が41パーセントを占めた他、「史上最悪の副大統領」だとする意見が23パーセントに上った。2009年7月に極秘の対テロ作戦実行を、議会には隠すようCIAに指示していた事が発覚。
アメリカ新世紀プロジェクトのメンバーで、ブッシュ政権内では「ネオコン政治家の要石の1人」であり、湾岸戦争時にはフセイン政権転覆に反対していたことなどからネオコン第1世代のように左派からの転向ではなくて保守からの転向と評される。

アメリカ同時多発テロ以降、ブッシュ政権の強硬な武断政策は、チェイニーの意見が大きく働いているとされる。
イラク戦争については開戦前にアルカーイダとフセイン政権との関連性を示す発言を行い、「証拠もある」としていたが、開戦から5年以上経た現在でも明確な証拠は提示されていない。

バラク・オバマ大統領の外交方針については、度々オバマが「戦争を終わらせつつある」と語りながら、実際には2014年6月にイスラム教スンニ派の武装組織であるイラクとシャームのイスラーム国がイラクの首都であるバグダッドに迫っていることなどを挙げ、「オバマ大統領は過去に背き、自由を浪費した男として名前を残そうとしている」と批判した。

2021年1月3日にはバイデン政権への移行を妨害するドナルド・トランプ大統領の試みに国防総省や軍の高官が一切協力しないよう呼びかける
マーク・エスパー、
ジェームズ・マティス、
レオン・パネッタ、
ドナルド・ラムズフェルド、
ウィリアム・コーエン、
チャック・ヘーゲル、
ロバート・ゲーツ、
ウィリアム・ペリー、
アシュトン・カーターら 
歴代国防長官10人の共同声明に名を連ねた

国防長官ロナルド・レーガンの後継となったジョージ・H・W・ブッシュは国防長官に当初ジョン・タワー元上院議員を指名していた。
しかしながら、その後タワーに女性・飲酒問題が浮上し議会で同人事案が否決された。当時は民主党が上下両院で過半数を占めていたため、調整能力のあるチェイニーが代わって浮上。1989年3月に正式に第17代アメリカ合衆国国防長官に就任する。

1990年8月にイラクのクウェート侵攻(クウェートをイラクの19番目の県として併合)が行われると、イラク軍のクウェートからの撃退の為、隣国のサウジアラビアとの関係強化を図り、アメリカ中央軍・第3軍の駐留に合意。翌年1月の湾岸戦争をノーマン・シュワルツコフ、コリン・パウエルらと主導した。
チェイニーは37歳の頃から心臓病の持病があり、副大統領在任中までに5回もの心臓発作を起こしており、1988年にはバイパス手術を受けた経緯がある。2010年6月にワシントンD.Cの病院で冠動脈疾患の治療を受け、同年7月にバージニア州内の病院で心臓に補助ポンプを埋め込む手術を受けた。経過は良好で8月の第1週に退院した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


バイス (映画) Vice 監督 アダム・マッケイ脚本 アダム
・マッケイ製作 ブラッド・ピット
『バイス』(原題:Vice)とは、2018年のアメリカ合衆国の伝記映画。第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュの下で副大統領を務め、「アメリカ史上最強で最凶の副大統領」と呼ばれたディック・チェイニーを描いている。監督はアダム・マッケイ、主演はクリスチャン・ベールが務めた。
概説ディック・チェイニーはジョージ・W・ブッシュの下で副大統領を務め、心臓の持病を抱えながらも、「史上最強の副大統領」「影の大統領」と評されるほどの影響力を発揮した。チェイニーの影響は今日の国際秩序にも及んでいる。その一方で、チェイニーは「史上最悪の副大統領」と指弾されることもあり、毀誉褒貶が著しい人物であると言える。本作はそんなチェイニーの実像を描き出す一つの試みである。
原題の「VICE」は、単独では「悪」「悪習」「悪徳」などの意味であるが、接頭語として「VICE」を用い、「vice-president(vice president、ヴァイスプレジデント)」とすると「副社長」「副理事長」および「副大統領」の意味となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

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