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迷い迷いはヱンドレス

「源義経」の女(妾)静御前(白拍子)と「ヤタガラスドローン(「鞠茄子マリアンデー」)の使者

ヤタガラスドローン(「鞠茄子マリアンデー」)の飛来の話、はいよいよ仮想ファンタシー世界です。

■ヤマトタケルの東征物語は大和朝廷の東国への勢力拡大を象徴する四世紀頃の、ある程度事実を反映した物語である。『古事記』が和銅五年(712年)、『日本書紀』が養老四年(720年)に編纂され、ヤマトタケル伝承はそれより四百年もさかのぼる遠い昔の話であり、それも大和の側の視点で書かれた物語とした伝記である。ヤマトタケルは第12代景行天皇の子供であり天皇の命により、南九州の熊曾建(くまそたけるや)出雲の出雲建(いずもたける)を討つ西征をした後、東国の蝦夷(えみし)征服の東征を行った。なお、ヤマトタケルは古事記では倭建命であり、日本書紀では日本武尊である。ヤマトタケルの東征軍路は古事記と日本書紀で相違があり日本書記のほうが陸奥、日高見(北上川流域の国)へとより北の方に侵攻していったように書かれている。

ヤマトタケルの東征軍路は古事記と日本書紀で相違があり日本書記のほうが陸奥、日高見(北上川流域の国)へとより北の方に侵攻していったように書かれています。全コースを図式的に示すと次のとおりである。

古事記(712代)~にしめした図
倭(やまと)―伊勢―尾張―駿河―相模走水(はしりみず)
―上総(かみつふさ)―常陸新冶(にいばり)―筑波―相模足柄―甲斐―科野(しなの)―尾張―近江伊吹山―伊勢能煩野(のぼの)

※江古田原・沼袋合戦(伊藤)www2u.biglobe.ne.jp

上総(かみつふさ、大化改新 房総地方)、は現「上総国一之宮」(玉前神社)で、私の住む町。常陸新冶は、同様に蝦夷征伐の為の制覇で、云いかえると、東征によって政権拡大を狙った「朝廷」図式というのがよく現れている。東国蝦夷(伊甚えみし)は、現(千葉県夷隅いすみ市)のことをさす。(注 筆者)

その古事記、とか日本書紀については、読者の皆さんも理解(という前提)で進みますが、歴史時間スパンは、せいぜい百年程度で、「明治維新」くらいしか把握できない。
今時、江戸江戸と、云いますが映画テレビの図柄で想像しているだけで実際の「江戸」を全く知らない。ですから歴史を語るとき、それを読むときは、そうした後付けメディアセット図が、正しい歴史だと錯覚しないのが肝心かと思われます。

旧い紀元前の話で、ギリシア哲学者アリストテレスが夜空星座図を考えていて井戸に落ちた、という逸話が、今でも"実話"のように流布してますが、それはある時代の創作話であって、それを実際観察し、記録したものではいない、ということなんです。
そうやって歴史話は、手を変え品を変え、そして写筆コピーを繰り返して今に継承しているということを知っておく必要があります。

その観点から、「ヤマトタケル」というキャラクターは、どのようにして歴史に登場し、なぜ、「東を征服」しなければならなかったのか、それを検証するのがまず、最初の仕事だと考えました。
また、ヨーロッパに伝わる伝記「(ヘロドトス) (ホメロス)」そしてギリシア「アレキサンダー」東征と、それらは、いま語る関連事項なのか、検証したいと思いました。以下は、その論証です。

日本の古事記 記録分析

「古事記」では、父親が凶暴な息子を追い出すというところから始まって、最後まで全然理想的じゃない。修復できない親子関係が主題になっています。二つの書物では、登場人物の性格もかなり異なる部分が多いのです。読み物としての面白さが「古事記」にはあるということですね。

ええ。「古事記」神話の3~4割を占めているのが出雲神話ですが、「日本書紀」の中にはそれがほとんど出てこない。
出雲神話とは何かというと、日本を統一したオホクニヌシノカミ(※1)の一族が、天皇家の祖先神であるアマテラスオホミカミの一軍に国を奪い取られてしまう物語です。
敗れていった者たち、死んだ者たちに共感を込めて語られている。712年と720年、ほぼ同時に成立したとされる二つの歴史書が全く違う視点で描かれているという問題についてはこれまで様々に議論されていて、諸説ありますが、僕は「古事記」の序文は後から付け足されたものだろうと考えています。解明されていない謎が多いのも、古代文学の面白いところでもある。そして「古事記」のほうが読み物として圧倒的に支持を受けているというのは、やっぱり内容の面白さでしょうね。

「古事記」にはいくつもの話が登場します
上巻はイザナキノミコトとイザナミノミコトという男女が大地と神を生んで世界を形作ると、高天(たかま)の原(はら)という天空世界に神々が繁栄し、地上には出雲の神々が繁栄する。
やがて高天の原から降りてきたアマテラスの孫が地上をも支配することになり、それが初代の天皇に結びついていく……という長編の話になっています。
しかし中巻(なかつまき) と下巻(しもつまき)は、天皇たちの物語が短編小説集のようにたくさんつながっているから、一部分だけを読んでも楽しめます。そして3巻全体が一つの長編物語として成り立っている。
現代にも通じる、物語の基本的なつくりのようですね。
その原型が「古事記」にあるといってもいいでしょう。一人の少年の成長物語とか、お姫様を手に入れる物語などは、今でもテレビドラマや映画の主題になっています。それは神話の頃からずっとあるパターンなんですよね。「古事記」には物語の基本的なエキスがいろんな形で入っているから、今でも楽しめるのだと思います。 

※三浦佑之著 1946年、三重県生まれ。成城大学文芸学部卒業後、同大学院博士課程修了。古代文学、伝承文学研究専攻。2002年に『口語訳 古事記』
部分引用記事 (原文ママ引用です。他方諸説ありますので、むやみやたらといじれない。それを尊重します)

ギルガメシュ叙事詩

ギルガメシュ叙事詩』は、古代メソポタミアの文学作品。実在していた可能性のある古代メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュを巡る物語。人間の知られている歴史の中で最も古い作品である。

ギルガメシュを主人公とする物語は古くから存在するが、現在『ギルガメシュ叙事詩』として知られているのは前1300~1200年頃にまとめられた「標準版」(「標準バビロニア語」で記されているため)と呼ばれるもので、新アッシリア時代のアッシュルバニパルの図書館から出土した。12枚の書版から成る。『ギルガメシュ叙事詩』というタイトルは近代学者により付けられたもので、古来は作品の出だしの言葉を取って題名とする習わしがあったことから、原題は『深淵を覗き見た人』もしくは『すべてを見たるひと』となる。

『ギルガメシュ叙事詩』は古代オリエント最大の文学作品であり、これを英雄譚(たん)(英雄物語)と称する場合、古代ギリシアの『オデュッセイア』や中世ヨーロッパの『ニーベルンゲンの歌』『ローランの歌』『アーサー王と円卓の騎士』などに肩を並べる世界的な物語と云えるでしょう。

一方、古代オリエント文学とりわけ古代メソポタミア文学界の多くが持つ宗教性と政治性という点は出張っておらず、むしろ世俗的でヒューマニズム的な芸術的感覚が見られるのが特徴とされ、日本文学としての相性も悪くない。
口伝を含めてギルガメシュ叙事詩より古い物語はあるが、人間が主人公となり、人間味溢れる物語としては記録に残っている最も古い物語の一つといってよい。多くの人に読み継がれる文学作品として、また、死すべき定めの人間が、また2人1組の関係がテーマになっているという意味では、ギルガメシュ叙事詩は最古の物語なのです。

現在に残る最古の写本は、紀元前2千年紀初頭、書記学校の生徒たちによって書き写された、シュメール語版ギルガメシュ諸伝承である。シュメール語版の編纂は紀元前3千年紀に遡る可能性が極めて高いが、オリジナルは残っていない。(伝記が伝承される一般的記録スタイル、当然オリジナルは存在しないことが殆ど)
おそらく文字に書きおこされる以前から口承などで伝えられており、叙事詩を構成する個々の題材は、シュメール時代には既に流布していたとみられる。

シュメール伝承を基に、紀元前1800年頃に成立したアッカド語による古バビロニア版は、書記学校の生徒による書写により残っているが、このときすでに後述の「標準版」の筋書きがほぼ出来上がっていたことがわかる。

A.「George」によれば、アッカド語は学校のカリキュラムではなく、アッカド語版は生徒達がシュメール語の勉強の息抜きに書き写したものであり、そのためフワワ(フンババ)討伐の話が人気で最も多く残っている、という。

紀元前1300~1200年頃の中バビロニア時代(カッシート王朝時代)には、いわゆる「標準版」が成立した(「標準バビロニア語」という文学作品を書くのに使われたアッカド語で書かれているため、そう呼ばれる)。アッシュルバニパルの図書館から出土した「標準版」の奥付には「ギルガメシュシリーズ、シン・レーキ・ウニンニの言葉」と、作者の名前が記されている。

前述の通り古バビロニア版と共通する点が多いが、シン・レーキ・ウニンニのオリジナルの部分もある。
たとえば、古バビロニア版の書き出しは(奥付に記された題名によると)「他の王達にまさる者」であることが知られているが、標準版では「深淵を覗き見た人」となっている。
したがって、このプロローグの部分はシン・レーキ・ウニンニの創作であろう。また洪水伝説も標準版で挿入された。

また、前二千年紀後半、バビロニア語版がヒッタイトやシリア・パレスティナで発見されているほか、ヒッタイト語版、フルリ語版が発見されており、ギルガメシュ叙事詩が各言語に翻訳されて各地に広まっていたことがわかる。

楔形文字で粘土版に記された『ギルガメシュ叙事詩』の断片の解読が最初に発表されたのは1872年のことであった。
1853年にホルムズド・ラッサム(en)によってニネヴェのアッシュールバニパルの図書館(紀元前668年-紀元前627年)から発見されていた遺物の1つに記されていた文字を、大英博物館の修復員であるジョージ・スミスが解読を進め、『旧約聖書』の洪水物語に酷似した「(『ギルガメシュ叙事詩』第11の書版に当たる』)大洪水」部分を見つけたのが始まりである。

この発見は大きな旋風を巻き起こし、スミスは自らニネヴェ発掘を繰り返すと、次々と叙事詩を構成する書版を発見。解読が進むにつれその文学性に注目が集まり、19世紀末には更に研究が進んだ。
その後、スミス没から15年の時を経た1891年に、1人の研究者が登場人物の名を「ギルガメシュ」と初めて正しく読むことに成功する。以降1900年の独訳を嚆矢に各国語への翻訳が進み、各地の神話・民話との比較が盛んになる。1930年にはセム語を用いた『ギルガメシュ叙事詩』をカムベル・トムソン(en)が刊行し、それが後の翻訳に関する全ての基盤となるとともに、各著者によって叙事詩の改訂増補が成されていった。

和訳は「矢島文夫」により完成し、1965年に山本書店から、その33年後には文庫化に伴い、『イシュタルの冥界下り』を加えた増訂版が、ちくま学芸文庫として筑摩書房から刊行された。
和訳にあたって矢島版からは(性的表現が削除)されている。また刊行後の半世紀以上のギルガメシュ叙事詩研究で明らかになった成果は反映されていない。
現在では月本昭男訳(1996年)が一般的である。この他にも『ギルガメシュ叙事詩』とする書籍は複数に渡り出版されているが、多くは物語として成立するように各言語のテキストを充足しながら編成されているため、"史料的な翻訳書"であるとは限らない。

叙事詩「ギルガメシュ」 このレバノンスギが人類史に登場するのは、5000年前(紀元前3000年頃)にメソポタミア地方で書かれた人類最古の叙事詩・「ギルガメシュ」である。

その主人公ギルガメシュはメソポタミア南部のウルクの王(暴君)として登場し、女神から遣わされた猛者エンキドゥを伴い、森の神フンババを退治してレバノンスギの森を征服する。ここが一つの山場である。[人間は今まで、長い間、実に長い間、自然の奴隷であった。この自然の奴隷の状態から人間を解放しなければならない](梅原猛「ギルガメシュ」新潮社 1988年)

ウルク市の王ギルガメシュは、強き英雄であると同時に暴君でもあった。その横暴ぶりを嘆いた市民たちの訴えを聞いた天神アヌは、女神アルルにギルガメシュの競争相手を造るよう命ずる。アルルは粘土からエンキドゥを造り、ウルクから離れた荒野に置いた。
エンキドゥははじめは自分の使命に気付くことなく荒野で獣たちと共に暮らしていた。しかしある時、巫女からギルガメシュのことを聞き、仲間が欲しいと思い喜び勇んでウルクに向かう。仲間を求めるエンキドゥと、近々やって来るエンキドゥという男と友人関係になることを夢で見ていたギルガメシュ。2人は顔を知る前から互いを意識していたが、ギルガメシュが国の花嫁を奪い去るという噂を耳に挟んだ瞬間エンキドゥは憤激し、出会って早々、大格闘を繰り広げる。結局のところ決着がつかず、2人は互いの力を認め合い深く抱擁を交わして親友となった。

彼らは常に行動を共にし、様々な冒険を繰り広げる。昔日の暴君とは異なるギルガメシュと、野人としての姿を忘れ去ったエンキドゥはウルクの民から讃えられる立派な英雄となっていた。だが、冒険の果てに彼らを待っていたのは決してかんばしいものではなかった──。 ウイキペディア

※注その「ギルガメシュ」においては、「ヤマトタケル」東征にあった天空の案内人「八咫ガラス」らしきものが一切、登場していない。また他のヨーロッパ伝説、神話類においても、それは類似している。そのことは以前から疑問に感じていた。
それは何故なのか、という問いは、東洋においても「奈良正倉院」例をみて判るように、シルクロードを介して交流があったことは明らかで、伝説とか神話など、多大な影響を受けている場合が多いが、その「八咫ガラス」神話については、その片鱗もうかがえない。穿った解をするなら、伝記、そのものが古くて、幾度の改ざんを経た結果と判断することもできるが、いまさら、それを再現することなど不可能な時間的スパンなのである。筆者

以下、「ヤマトタケル東征」続編はエピローグ1.2.と予定しているが、「#創作大賞2023」応募 とか、その作品記事は無料が前提とか、それでも「売れる価値のある記事」としての評価など諸事思うと、思考も散漫になってしまう。

筆者 なか書き

「旨い下手」、ではないと自身で自白しつつ、さりとて人気取り媚び文は書きたくないし、その端からPVをちらちら、けん制するというパラドックスは、どんどん進行しているような気がする。

終り章筋が、ほぼできてます。あとは推敲処理で、どうやって転決にランディングするかです。でも終わったら、どうしましょう。そっちの方が不安です。
何にしても、いつも余計なテンションハイで、中頃では夢うつつで、終わりもしないのに次省のフレーズメモを書き残している。で自虐じゃ誰も相手にはしませんので唯我独尊しか残っていない。
(迷うよっな~、とは何が(迷い)なのか、知っている方がいたら教えてください、というコメントに、「迷わないこと」と云いましたが) 
作り話しです!!!


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アスパーク「アウル」https://response.jp/article/2018/10/04/314697.html

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