映画は世につれ~ない話
時代にヒットしない映画とは
「こんにちは、母さん」作山田洋次、のNHKリポートがあったので、たまたま観た感想です。
映像(動画)とか、ブログとかSNSなど、メディア媒体は、多くの人に意味を伝えるための手段で、それが多ければ多いほど由とされます。
特に自分の書いたサイト記事など高いPVがあれば優越感に浸れますね。いってみれば、それに自分たちは一喜一憂していると断言してもいいでしよう。
文字リテラシーは、その相手に伝える手段ですから、意味もなく羅列した字、数行の雑文駄文の「あいうえお」とかA・B・Cの英字でも、それだけで、一人歩きするのが文字の発信力です。
では、書いた文字が誰に宛てたものか、はたまた意図しなかったその文字が、読んだ人にどうした影響をもたらすかは、書かれた筆記によって異なります。1人称2人称など、スタイルは異なりますが基本的に、文は、最大公約数的にプロパガンダするものです。
昨今の不幸な出来事にしても、ネット上のリテラシーによって、最悪事態に及んだ、そんな結果に至ってしまった、という事例でした。
映画にしても、日常断片を映像化したものですから、その影響は大きいでしよう。
その「こんにちは、母さん」(山田監督)は、平凡な家庭の母親(吉永小百合役)がいい年して恋をする、という設定でした。
(黒澤映画「生きる」で志村喬が演じた主人公もそれに似る)
ちよっと恥ずかしくて秘密裡にしたい話しだけど、判ってほしい、というのを山田監督は映画で表現したかった(詳細は本文)
その映画とは別に、とあるダイジェストで、是枝裕和監督に対して、本人が映画批評で、最近の映画は暗くて救われない、見たいな感じてよくないと意見したのが印象的で、その裏には、「時代にヒットしない映画」など批判的意見を敢えて反論したような、秘めたる居丈高な心を発散させた心情を垣間見せたものがありました。
それは同様に、ボクシングタイトルマッチ(井上尚弥対フルトンで見せた勝ち負けの壮絶)のような抗えない現実は肯定しないといけない、という世評でした。
「こんにちは、母さん」
仕事と誠実に立ち向かわなきゃいけないんだけれど。俺もこんな仕事すればよかったなっていう、あのときの大泉洋君の言い方の悲しさっていうかな。言ってみただけで、できるわけないんだよな。子どものころなんかは、むしろ『せんべい屋なんて』ってバカにしてるわけだろ。あの言葉は自分を批判してる言葉であるわけだな。
下町の仕事から抜け出そうと思って、昭夫はいい大学を出て、いい会社に入った。そしていま、『俺は本当に人のためになる仕事をしているのだろうか』と悩んでいる。
その昔、渥美清さんは浅草の舞台で芝居をしていた人なんだけど、彼が言うには観客はみんな、手を伸ばして握手を求めているっていうんだね。
『俺たち役者の仕事はね、そのひとりひとりと握手を交わしていくことなんだよ』という。つまり芝居をするとはそういうことなんだよ。握手を返す、その手の温もりが伝わったときにみんな満足する。そういう意味で俺たちの芝居がある。喜劇ですからね、みんな、うわーっと笑って喜ぶ、拍手喝采するわけだね。 部分抜粋
そこには、渥美清がいった社会に対する金科玉条が、よく語られているとおもいます。
文章もまったく同じでそれが数千万稼ぐプロ作家でも、まったくうだつの上がらないゴースト、そして趣味一辺倒ライターなど、アプローチ方法はいろいろありますが、「いろはにほ」と書くか「イロハニホ」と書くかによって、読み手は、それによって動揺するか、安心するか、の差が出ることは心得ていることでしょう。
ですから私などあえて、「イロハニホ」と書いたりしますので、よからぬ誤解を招くこともママあります。むしろそのリアクションを狙っている天邪鬼心理もある。
文中「せんべいや」の話しなんか、山田監督の真骨頂で、「時代昭和」駄菓子屋そのものを描いた話しです。
おそらくそのことは、今の時世をもっともよく具現しており、失われた30年とか、昭和レトロ喪失の年代とか、受けの好い標語を羅列してみせますが、その時代、海外(特にChina)に出ることが経済発展要素だし、コスト削減には、それしかないと、国内設備の全部を唐草風呂敷に全部詰め込み、さらに社員重鎮まで引き連れて、その外地に広げて、全部を伝授したのは自分達であって、その30年間の足跡を、そこに残したのは紛れもない事実であり、失われたものは、そこに化石のように残っているのです。
またその映画媒体、さらにテレビ、書籍、デパート、諸々がそこに盛り込まれており、八方塞り出口なし、といった経済国に誰がした、といったら政治であるし、それを選んだのは国民でなく、統一教会とか創価学会公明党とか、今さらそれを云ったところで覆水はもどりません。
はたしてわれわれ書き手は渥美清のいった「観客はみんな、手を伸ばして握手を求めているっ」に応えることができるのだろうかと云う問いに対してです。
それが山田監督の想いメッセージのようにとれました。
山田洋次監督(91)新作映画「こんにちは、母さん」で描く 幸せとはなにか
2023年7月28日 NHK 首都圏ナビ 山田さんにとって90本目となる監督作。悩みが多い現代社会で、人の幸せとはなにかを問う作品となっています。
閑話休題 「マルクス」~
そろそろ、マルクス続編を書かなくてはいけないタイミングです。この暑いさなか、それを読む御仁がはたしているかという杞憂もありますが、挿入予感として、さわりだけ書いておきましょう。
いやいや、その前にとっておきの対談集(坂本龍一)が見つかったので、当座、それを披露しますので、ご了承願います。
坂本龍一 対談 福岡伸一
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「坂本龍一×福岡伸一」 2017.06.03 Facebook TwitterGoogle+共有 Mediacrit
ニューヨークの街を行く…手にしているのは高性能マイクをつけたスマートフォン。画像
一体何をしているのか?実は坂本街の雑踏や雨風の音など身の回りにある音を採取している。
今最も気になるのはこうしたノイズだ。
坂本は音楽の第一線を走り続けてきた。
一世を風靡した…30年以上前に作曲した「戦場のメリークリスマス」のテーマは今なお聴き継がれている。
2014年咽頭がんを患い一時は音楽活動を休止。
闘病生活を余儀なくされた。
そして今年3月復帰後初めてのオリジナルアルバムを発表。
タイトルは「async」。
同期しないズレるという意味だ。
これまで生み出してきた音楽と違う新たな境地に踏み出した。
誰でもそうですけど…今改めて音楽と向き合う教授こと坂本龍一が指名したのは…。
虫取りをしているこの男生物学者のハカセこと…「生物と無生物のあいだ」は科学書として異例のベストセラー。
細胞や遺伝子の難しい話を分かりやすく解説する。
福岡は今ニューヨークのロックフェラー大学で生命の動的平衡について研究を続けている。
同じニューヨークに暮らす教授とハカセ。
共通の知人を通じて知り合った。
大変…4月末坂本の新しいアルバムのコンサートが開かれ福岡も招かれた。
会場は南北戦争の時代に将校が集ったホール。
坂本が挑む新たな音楽世界が披露された。
このアルバムで提示しようとした事っていうのが…彼に向かって問いかけてみて…こんにちは。
おっどうもどうもどうも。
どうもこんにちは。
昨日はありがとうございました。
いえいえすばらしいコンサートでした。
コンサートで使われた楽器が並んでいる。
しかしこれは…?こう…こういうふうに…。
(楽器の音)ああ…。
するので作ったんですけど僕はそれだけでは面白くないのでこの辺をたたいたり…。
(楽器の音)こうなる訳ですね。
当然…これは…。
(楽器の音)変わりますね。
(楽器の音)ウフフフ。
ああこういう…。
しばらく震え続けるんですね。
そういう事ですね。
(楽器の音)あっまた何かこう…これ…これは単なるガラスなんですけど。
触っていいですか?はい。
こすったりビュ〜ッと何かゴムのようなものでやると全くたたいたのとは違う音になる。
客席にはあのアーティストもいたようで…。
すいません。
すいません。
音楽の真実を探究する坂本と生命の謎を研究する福岡。
2人が究めたい世界とは?ずっと作りながら思ってたんです。
人間はある秩序がどうやってできるかって事ばっかり研究してきた。
40年を超えるキャリアの中で坂本は常に変わり続けてきた。
26歳アルバム「千のナイフ」でソロデビュー。
同じ年YMOに参加。
シンセサイザーとコンピューターを駆使したテクノポップという新しい音楽ジャンルを築き一世を風靡する。
映画「戦場のメリークリスマス」では俳優として出演。
音楽も担当しあのメロディーを生み出した。
映画「ラストエンペラー」の音楽で日本人初のアカデミー賞作曲賞を受賞。
クラシックテクノ映画音楽に現代オペラまでジャンルを超えて世界的な活躍を続けている。
そして今アルバム「async」で新たな境地に行き着いた。
楽器の音に環境音や自然音が混在する。
それぞれの音が固有のテンポを刻む。
ノイズと音楽の境目を曖昧にし音とは…音楽とは何なのかと坂本は問いかける。
ありがとうございます。
あの〜やはり福岡先生はね…とてもじゃないけど一直線の時間の流れの中に乗っかった何かの美しい曲線などは描いてない訳なんですよね。
直線的に進んできた訳じゃないとおっしゃいましたけれども今西錦司という生物学者がいて彼は山がとても好きで…。
そうですね。
生涯に2,000近い山を登ってきた。
「なぜ山に登るのですか?」って彼は聞かれたそうなんですね。
そこに次の山が見えると。
だからまたその山に登りたくなるんだっていう事を繰り返しながら自分は直線的ではなくてジグザグに進んできた。
山のようにジグザグにこっち行ったりこっち行ったり。
でもこの話の中で大事だなと思う事は…今回の坂本さんの「async」というアルバム。
ここまでのさまざまな営みの結果見えてきた風景というか情景なんじゃないかなっていうふうに思いました。
実はね去年アルバムを作っていてですねまるで山に登ってるようだな山登りしてるようだなとね実感したんですよ。
ああそうですか。
僕の場合はね地図のない登山なんですね。
だからまさに…一歩踏み出してみないとどういう景色かも分からない。
その1曲を作るって…その「async」の中のある曲を作るという事は僕にとってはそういう事でだから作り出してみないとどこがゴールか分かんないんです。
ある日…あ〜なるほど。
「これは終わりじゃないんだ。
ここに行かなきゃいけないんだ」っていう。
でも登ってみないと向こうは見えない訳ですよね。
それをねとても強く実感したんです。
アルバム制作期間は8か月。
このプライベートスタジオでほぼ一人で行った。
坂本自身が聴きたい音を集めたという。
外で採取した街の喧騒や自然音はコンピューターに取り込んで織り交ぜた。
自然が奏でる音は秩序立っていない。
ズレている。
だからアシンク非同期と名付けた。
ピアノもあえて普通の弾き方からはズラして演奏した。
こんな金属でガリガリこうやってやるもんだから…。
これは内部奏法と呼ばれるもの。
これは何?鉄箸ですか?鉄箸ですね。
これは別に僕はアジア人である事強調してやってる訳ではなくて単に音のためなんですけど。
こういう…こういうね。
こういう…楽しい。
これがね…何て言うんですか?力点をどこに置くかにもよりますけど…当たる場所も違うし強さも少しずつ変わってくる。
だからこれが…弾くよりもはるかに予測不可能になる。
それで使ってるんですよ。
だから音楽・音っていうのは一回性のもんだっていう事ですよね?科学の…あの何て言うんですか?価値観…。
反対ですよね?それと反対で…一点しかないからよいとかね。
そういうところにアウラがあるという…。
ベンヤミンに言わせればアウラという言葉オーラですけどね。
そこに価値がある。
そうすると毎回同じ事が必ず起こるとか劣化しないとかたくさん同じものがある。
複製技術時代ますますそれが高まっている訳ですけど今の時代はね。
その時に…印象的な一文があって今回「async」を作られた時に「誰にも聴かせたくない自分だけで聴いていたい」というふうに書かれてるんですよ。
これっていうのはCDに焼いてみんなに共有してもらうというところで同一性というものにとらわれてしまうんでそうならないままの…どうですか?極端に言うと生まれて初めてそう感じた事なので自分でも不思議だなと思っていたし…地図がないしゴールも分からないからどこで終わるかも分からない訳ですね。
だけどその瞬間というのがあるはずなんだよね。
うっかりしていると自分でも気が付かないで過ぎてしまう。
…で余計な事を足していってしまうっていう。
とてもそれを恐れていて今か今かと自分で…ちょっと変わった状態なんですけども。
なるほど。
う〜ん面白い。
アルバム発表前坂本はその内容について一切語らなかった。
唯一出したヒントは数式のようなこれ。
その比率が五分五分という事だ。
別に星座って平面に張り付いてる星の点じゃなくて…それは今そう見えているだけでその光だって何万光年も前から来ているものなんで今はもうない光なのかもしれないしそういったものを…そうです。
ついついそういう事は忘れてシグナルが本当のものだと思ってしまう訳ですけれども音楽の分野でもそういった考えというか感じっていうのはありますか?大いにありますね。
そのように何百年も変化進化というか発達してきた訳ですけども面白い事にちょうど僕が生まれる頃ですかね20世紀の後半に入った頃にアメリカの作曲家のジョン・ケージっていう大変すばらしい人がですねもう一回地の方に耳を傾けようと。
図ばっかり取り出すのではなくて地を見てみよう。
多分そういう事だと思うんですがそういう挑戦をした。
これは本当に大事な事でいまだに…あるいはもうますます今大事だなと僕は感じていて。
坂本は1952年生まれ。
3歳でピアノを始め10歳で既に作曲していた。
そんな坂本がジョン・ケージの音楽と出会ったのは10代半ば。
ケージは音を人間のコントロールから解放する事を提起した音楽家だ。
こちらはケージの代表作…実はこの作品4分33秒の間演奏が行われない。
そのため聴き手の意識が身の回りの音ノイズへと向かう。
ケージは…この出会いから後坂本は音とは何か考え続けてきた。
我々人間のね脳の特性としか言いようがないんですけども…病み難くありますね人間にはね。
人間の場合は特に…言葉による分ける力分節の力っていうのはすごくてその事によって本来…あまりにもロゴスの力によって切り取られ過ぎるとやっぱり本来の自然というものが非常に変形するというか人工的になってしまってもともと物理学のフィジックスあるいは生理学のフィジオロジーの最初のPhysisフィシスっていうのが本来の自然という意味でプラトンとかソクラテスが出るよりももっと前のヘラクレイトスの時代に…まあプラトンやソクラテスがイデアみたいなものを言いだして。
まあロゴスの人ですからね。
そうですね。
ありますねありますね。
そうなんですね。
その事にいつも考えさせられるところが多くてですね。
一度…これはほとんど不可能。
生活できないというか。
もちろん話もできないし考える事すら難しい。
できないええ。
でもね僕はこれ大事な事なんじゃないかなとやりながら。
名付けない。
(2人)名付けない。
名付けるっていう事は星座を抽出するっていう事ですからね。
まさにそのとおりなんですね。
シグナルとして取り出されたものじゃない…客観的な観察者である事を一旦やめてフィシスのノイズの中に内部観察者として入っていかないとそのノイズの中に入れない訳ですよね。
はい。
だから自分と外にあるいはその観察対象自然に何か差があるとかですね…そうなんですよね。
自分自身は木と同じ自然。
自然なんです。
生命体自然物ですよね。
ところが果たしてどれだけの人がそれに気が付いているだろうか。
僕らが扱っている楽器もそうですもちろん。
そうですね。
この大きなずうたいのピアノなんていうものはよく見ると木だし中は。
鉄だし。
鉄だし。
もともとは…図のように取り出してきてですね。
こう構成した…。
加工してですね音階まで人工的に考えて。
なるほど。
という欲望が最近強くてね。
それで実はたたいたりしてるんですこすったり。
これはね元のフィシス側の自然物としてモノが発している音を取り出してあげたいという気持ちがとっても強いのね。
今のお話で私がふと思ったのは音楽の起源という事なんですよね。
とても難しい問題ですね。
楽器の起源という事を考えると実は音楽の起源と楽器の起源は近い…あるいはもしかしたら同じ事なのかもしれませんが。
まあどの時点か分かりませんけどもそこに落っこっていた鹿の骨か何かを乾かしてみてそこで人工的に穴を開けようと。
これはもう完全に自然の改変ですよね。
穴をここに開けた方が自分は好きだ。
気持ちいい。
洞窟に行って吹いてみるとよりいい感じだと。
みんなでやってみようか。
やりだすという事はまあ容易に想像できる訳ですね。
なぜそうするか。
そこがフィシスとロゴス…人間のロゴスの始まりでもあるのかもしれませんけど。
なぜそういう欲動を持つのか。
ここがもう僕には分からないところなんですね。
生物学的には音楽の起源って例えば鳥の求愛行動みたいに鳴く事によってコミュニケーションする。
それが歌になり音楽になったっていうふうに語られる事は多いんですけれども私は必ずしもそうじゃないんじゃないかと思うんですよ。
この自然物に囲まれてる私たちの中で絶えず音を発してるものがあるじゃないか。
それは我々の生命体ですよね。
心臓は一定のリズムで打ってるし呼吸も一定のリズムで吐いたり吸ったりしてるし脳波だって40ヘルツぐらいで振動してるしまあその…セックスにだって律動がある訳ですよね。
だから外部に音楽を作って内部の生命と共振するような…。
非常にロマンティックですねそれはね。
面白い発想ですね。
仮にそうだとしてもそれなのにやる事はやはりロゴス的な事しかできない。
そうなんですよね。
そっちの方に持っていってしまう。
よりコントローラブルなというかコントロールしやすい。
で楽譜に書くっていう。
秩序立って。
オーガナイズされたものにしていく。
正確にやりたいんでコンピューターを使ったりとかっていうふうにどんどんそっちの方に行く。
面白い発想です。
坂本さんが今回行おうとした「async」というのもそういったフィシスの回復運動であると同時に本来音楽が持ってる一回性のリズムというのは…再認識みたいな…そうですね。
あの〜まあ…やってこなかったら「async」も見えなかった。
「async」という山も登ろうとは思わなかった。
でもせっかく「async」という山まで登ったのでですね登ったからこそ見える…つまりまた無差別に思いつきでどっか違うとこに違う山に行っちゃうっていうのも自分ではもったいなくてね。
この認識というんですかね。
今慎重に…いくつか山は見えるんですよ。
…でどこに行くべきか。
そんな間違いでもないんですねもったいないからね。
山登るの大変ですからね。
そうですよね。
時間もかかりますし労力もかかるので。
どの山に登るべきかというのを今…内観といいますか自分の中で観察するしかない事でもあるんですけど。
今じっくり観察しているところです。
後半は舞台をスイッチ。
どうも。
ようこそお越し頂きました。
ここはロックフェラー大学という所で…大学としてはそんなに古くないんですけれどもアメリカがドイツから科学のイニシアチブをなんとか取ろうと作った訳なんですけども。
第1次大戦第2次大戦で…そりゃそうですよね。
今もそうですから。
そうですね。
確実に下がりますよね。
福岡伸一が客員教授を務めるロックフェラー大学。
生命科学の最前線の一つ。
世界中から研究者が集まる大学院大学だ。
かつて福岡は博士研究員ポスドクを務めていた。
ちなみにあの野口英世もここで黄熱病の研究をしていた。
大学の創設は1906年。
これまでに25人のノーベル賞受賞者を輩出している。
福岡は4年前に出来た研究棟へ坂本を案内した。
らせんを行く訳ですね。
トークはイーストリバーが見渡せる会議室で始まった。
一度も詳しくは聞いた事ないので今日は是非そこも教えて頂きたいと思います。
もともとこのロックフェラー大学と私の関わりは遡る事30年ぐらい前に理科系は修業というか一人前になるのがなかなか長くてですね。
大学に4年行って大学院に5年行って…でもう20代も後半なんですけどまだまだ食えずにですねそのあとポスドクっていうまあ修業期間があって。
その当時は日本にいても駄目だから…柳行李ですね。
まあスーツケース2つぐらいで。
戦前みたいですね。
でもポスドク生活っていうのは本当にあの…今の言葉で言うとブラック企業でね朝から晩までぼろ雑巾のように…。
言葉の壁もあるし文化の壁もあるんで自分の体でとにかく…。
ぶつかれ…。
示さないと仕事が曲がりなりにもできるというのを示さないといけないんでもう日夜働いてたんで自由の女神にもエンパイア・ステート・ビルにも行った事がなくてただただボロアパートとここを通ってた時代が30年ぐらい前にありました。
でもまあ今から思うとそれは…福岡は1959年生まれ。
幼い頃はいわゆる昆虫少年だった。
虫を通じて命の不思議に興味を抱き科学者を目指した。
京都大学で博士号を取得後ロックフェラー大学に来たのは28歳の時。
分子細胞生物学に没頭した。
新しい遺伝子を見つけようと日米の大学や研究所で実験の日々を送った。
私もずっとある意味でこの…ずっとやってきた訳ですよね。
ある意味機械論的な生物学にどっぷりハマって…。
そこを通らないとね。
そうなんですよ。
何でもね。
その先に行けないですからね。
そうそう。
この前おっしゃってたようにその山に登って初めて次の風景が見える訳なんで…。
まず登ってみないとね。
そうそう。
その基礎学力をつけるという意味でも私はそんなに大発見をした訳ではないんですけれども小発見として…それは小発見なんですけれどもでそれが一体何をしてるかっていう事を一生懸命研究する過程である意味で究極の機械論的なアプローチでそのマウスの遺伝子を操作してそのGP2遺伝子をゲノム上からこうミクロな外科手術みたいな方法で削除してしまって…。
そうすると何が起こるか。
ええ。
部品を1個外しちゃう。
そうすると当然このマウスが一体どんな異常を引き起こすのか…。
異常はあったんですか?ないんじゃないかなって僕も予想したんです…。
何事もないんですよ。
でしょうね。
元気にこの飼育箱の中を走っていてですねどこにも異常がない。
寿命を調べてみても短くなってないしちゃんとノックアウトマウス同士交配して次の世代を作り出す。
それもみんな五体満足でどこにも異常がないんです。
1つぐらい欠けても可塑性やネットワーキングでほかを補ったり大体その1つ欠ける事によって何かが一つの現象が起こるというのは1対1に対応してないんじゃないですか。
そうなんですそのとおりなんです。
でもあまりにも機械論的な頭だと…。
部品を取ったら何か故障するはずだと思って…。
そうなってしまうんですよね。
だからそこも大きな私にとってはまあ挫折体験で。
これだけ時間と…。
研究費を投入してるのに全くデータが出てこない…。
苦労して挫折という…。
でやっぱりこれはその部品を1つ欠損してるにもかかわらず何事も起こらないという事の方に…。
発見がすごい。
もう三浦梅園ですよ。
そこに花が咲いてる事の方が驚きなんだという事を言った人がいる訳。
おんなじですね。
おんなじですよ。
だからそこでやっぱりその…それをもっとちゃんと…。
だってそうしなきゃさ40億年近くも生きてこれないでしょう生命は。
それは当たり前の事なんです。
すごい荒波の中で。
ええそうなんです。
遺伝子実験の挫折から福岡は動的平衡の考えに行き着いた。
生物は皆分子で構成されている。
ネズミがチーズを食べると体が反応してネズミの分子の一部がなくなりチーズの分子がネズミの体になる。
つまりネズミの分子は分解されチーズの分子に置き換えられているのだ。
人間も分子レベルでは体全体が1年ほどで全く別の分子に置き換わっている。
生き物の中身と外を分子が行き来する絶え間のない流れ。
これが福岡の唱える動的平衡の考え方なのだ。
生物学者はその細胞の中でどうやってタンパク質が構築されるかとかDNAがどうやって複製されるかっていうふうな構築の設計的なメカニズムを一生懸命研究してきた。
ところが20世紀の終わりぐらいから今世紀にかけて特に去年ノーベル賞を取られた大隅先生のオートファジーの研究っていうのは壊す方の事ですよね。
で実は細胞っていうか…どんな時でも壊し続けているし壊すやり方は何通りもある。
DNAの中にその壊す死の設計が必ず入ってますよね。
タンパク質も常に壊され続けてるんですよね。
動的平衡にならない訳ですよね。
出ていかないと。
何かが崩壊しないと。
だから…今のところその壊すっていうのはとにかく作ったから壊す。
ゴミがたまらないように壊すみたいに考えられてきた訳ですけれども壊す事の積極的な意味をもっと考えなきゃいけない。
なんとかこの要素に名前を与えるんじゃなくて…それをもうちょっと…ずっと考えるっていう事を実際やってきたんです。
それをですねこのロゴスに囲まれたアメリカの研究者にも分からせるようにやりたいというふうに一つはまあ…福岡は今動的平衡の数理モデルを打ち立てようとしている。
福岡のモデルを説明すると…。
あらゆるものには時間とともに坂を転がり落ちるという絶対的な法則がある。
私たちの細胞もこのままだと転がり落ちてしまう。
しかし細胞は一部が壊れるとバランスをとろうとして合成が起こる。
その分解と合成が坂を上る力を発生させ細胞つまり生命は転がり落ちずにとどまる。
この絶妙なバランス絶え間のない流れが動的平衡だ。
実際生命というのは常に合成と分解が成り立ってますんでそういうモデルをこの円のこの部分とこの部分に与えるっていう事を考えてみたんですね。
なるほどね。
ただ常にその分解をちょっとだけ多くしない事にはあの…合成が増すとこっちが伸びてしまいますからこう下向きのモーメントが強まってしまって…。
そうなんです。
ちょっとだけ。
そうすると壊れる事が常にちょっとずつ多いんでこの全体の円周は少しずつ…。
短くなっていく。
それが生命の…。
寿命だ。
有限性になるんじゃないかなっていうふうに思ってですね。
生まれて死ぬっていうのは納得できますよね。
これが全部なくなったら死ぬ訳ですけれど。
途中で病気になるっていうのはどういう…どの辺で考えたらいいですかね?そうですね多分その合成と分解のバランスがその合成の方が少し勝ってしまって分解が追いつかなくなってこの上り返してたものがこう下向きに下がりそうなったり…。
エントロピー増大の方向に向かってしまって…。
とか静止してしまってるというか…動的平衡の滞りが病気であるとしたら近代的な医学のようにある反応を止めたり邪魔したり…。
部品を取り替えたり。
とかじゃなくて何か全体をこう…とにかく揺すってやった方が平衡を取り戻せるという意味でいろんな多方向に反応するものがいっしょくたになってる漢方薬みたいなものの方が動的平衡を揺らしてやるっていう事においては優れているっていうふうに読み替える事もできるかもしれない。
かもしれないですね。
見えてきますね。
音楽と科学。
トークは2つの共通性へ。
どうやって38億年前のこの地球のある一瞬局所的に起きたのかっていうのは生命科学の最大の謎なんですけれども太陽系の出発点が46億年ぐらい前で最初の生命が現れたの38億年ぐらい前なのでたった8億年しか余裕がなかった。
だからこの時に数限りない試行錯誤が起きたとしてもそういった…本当に奇跡的な事で。
でもどこかに痕跡があればいいですよね。
仲間たちのね。
それはねそんなに昔の事ではないんですけれども僕が音楽的に感じているのはね僕たちの先祖っていうのは7万年ぐらい前に東アフリカから歩いて出てきた。
その時の家族アフリカ人の家族はもちろん一つの言語があって歌も持っていただろう。
もしかしたら楽器はなかったかもしれないけども…。
歌は持っていたはずだと。
重力波の痕跡じゃないですけどね。
そんな事は夢想してますよ僕も。
ああお聞きしようと思ってたのは楽譜の起源ってフェルメールの絵の中にも楽譜はありますしそれから100年前のダビンチの絵の中にも楽譜が描いてありますよね。
楽譜っていつぐらいから出来たんですかね。
中世ですね。
それからギリシャ時代にも楽譜らしきものは残ってますけどそれはああいう記号というよりかは何でしょうねあの…多分楽器の奏法そしてその長い短いぐらいが書いてあるんだろうと。
でもそれは推測なんでねその音は消えてしまうので。
いやなぜこれをお聞きしたかっていうと…つまり楽譜ってどこまでいっても音楽じゃないですよね。
音そのものじゃないですよね。
遺伝子も音符のようにいくつかの塩基配列が書いてあってそれがズレれば当然突然変異が起きたり変調が起きる訳ですけれども。
でも全く同じ遺伝子がどのように演奏されるかっていうのはそれぞれその遺伝子を持った細胞や個体に委ねられてる訳ですよ。
だからそういう意味では…演奏されて音にならないと音楽とは言えないですよね。
誰かが弾かないとね。
ええ。
でもその楽譜が音楽だと思いがちだし遺伝子が生命だと思いがちだっていう…。
先ほどのロゴスという事とフィシスという事の対応がそこにもあるなっていうふうに思ったんですけれども。
だんだん楽譜のシステムも複雑化してきまして何世紀の間に。
五線譜だってちょっと粗すぎると。
リダンダンシーというか曖昧性が入ってきちゃうんでそれはもういかんと。
全部方眼紙に緻密に書くような人も20世紀には出てきて数字で表すというような人も出てきますよね。
だからそうなるとね数学と同じような感じでその世界の中でいかに美しく表現する事に情熱をささぐように当然なりますよね。
それはでも間違いであってそれはどこまでいっても音楽そのものではないんだけれども…それが間違いだという事に気が付いたのはあるすばらしい演奏家が僕の目の前で今作った曲を弾くとその小宇宙を作ったはずの僕が想定していた宇宙…。
…と違う。
よりまあ違うものを。
よりすばらしいものになっちゃった訳ですね。
衝撃を受けてまた数年たってこれは…という事にまた気が付いたのね。
だから作る人がいるとでも演奏をする人がいる聴く人がいる。
ないと音楽の円環は成り立たないんじゃないかなとふと気が付きましたね。
それは生命科学もおんなじでやっぱり遺伝子に書き表されない事は生命現象として現れないっていう…その遺伝子が確かに半音ズレれば何か不協和音になって異常が起きるっていう事はありますけれども一つ音があろうがなかろうが全体としては大して変わらないような事もたくさんあるし全く同じ楽譜を持っている一卵性双生児だってまるで違う人格になる訳なんで。
それは本当にやっぱり演奏者と聴き手っていうものが合わさって生命現象は成り立ってるんで。
そうするとそれは…これが音楽になった場合には一回限りの演奏で空気の振動になって消えてしまうっていう事が音楽なんです。
そうですよね。
そうするとね今言ったように空気の振動音という現象が人間がいなくても常に起こっているんで…わざわざ新しい振動を呼び起こさなくても作らなくてもいいんでね。
という事だと思うんですね。
まあそんな…随分時間がたって。
いやそれはおんなじです。
本当ですね。
教授とハカセ2人の話はいつも尽きない。
あっという間に4時間ぐらいたっちゃうんですよね。
こういう話をしてるんで。
お酒飲んでるんで次の日になると忘れちゃって。
壊れて。
何か大事な話をしたけれども何だったか。
壊れたから前に進める訳ですよ。
そうそう…。
崩壊しないといけない。
そういう感じでございます。
話をしながら崩壊していくという。
2017/06/03(土) 22:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
SWITCHインタビュー 達人達(たち)「坂本龍一×福岡伸一」[字]
今年8年ぶりのオリジナルアルバムで新たな音楽に挑戦した坂本龍一と、「動的平衡」の概念で生命の謎に挑む福岡伸一が、活動拠点のニューヨークで語り合う。
詳細情報番組内容最新アルバムで街の雑音などいわゆるノイズを取り込み、秩序だった既製の音楽像とは異なる音楽を制作した坂本。一方福岡は、「動的平衡」について考察する過程で、論理を越えた自然の力の大きさに魅せられてきた。坂本がコンサートを行ったホールと福岡が研究活動を続けるロックフェラー大学で、2人は秩序や論理の限界を知り自然を見つめ直すことの重要性や、音楽と生物学の意外な共通点についてトークを繰り広げる。
出演者【出演】音楽家…坂本龍一,生物学者…福岡伸一,OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)TransportStreamID:32721(0x7FD1)ServiceID:2056(0x0808)EventID:19664(0x4CD0)(記事引用)
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