ギリシア「アリストテレス」録
この補助金制度は場当たり的な対応であり、それには多くの問題点が指摘できる(コラム「ガソリン価格高騰への対応で政府が補助金を導入」、2021年11月17日)。
そもそも市場価格に政府が介入することは、「自由な経済活動、市場の効率性を妨げる異例の措置」である。
また、ガソリン以外にも輸入を通じた価格高騰は、エネルギー関連、食品関連など既に幅広く及んでいる。電力・ガス料金の値上げも同様だ。他の業界からも同様な補助金の導入を求める声が高まり、収拾がつかなくなることはないか。(エコミスト.木内登英)
石油備蓄タンク市場放出を異例の速さ(日本)で決めたばかりのその矢先、直後に南アフリカ発の新株発生が世界を激震した。すでにヨーロッパ主要国では、従前のルートを追うように、2.3の報告がされている。ということは、既にその10倍以上の感染が在っても不思議はない。
昨日の記事では「忘年会」シーズンを迎えた日本事情に、南アの発生感染、そこに合わせたかのような、冬季北京オリンピック、さらにテニスアスリートのセクハラ問題が、中国政治中枢を大きく揺さぶり、輪をかけてIOCのたたみかけるような、隠蔽工作?がさらに疑惑を生み出すという、まったく「魑魅魍魎」(ちみもうりょう)とした人間世界の醜聞を遺憾なく露呈した。
いや、終わったのではなく、これからそれが始まる、というオープニングセレモニーの序幕式だった。
これで一番困っているのは誰だろうか、と皆思うし、各メディアにおいても、その筆頭者を探すのに必死になっている、ことが想定された。
それが中国「習近平」・総書記なのか、中国共産党中央政治局常務委員 「張高麗」であるという連想は、ネット記事のあちこちに出ているので、思い出すのに好都合だ。とすれば、意図的作為的にそれをした、とも考えられるがその確かな根拠はない。始まったのは2021年11月5日の記事~だった。
日刊ゲンダイDIGITAL 2021年11月29日 9時26分では、
中国の女子プロテニス選手の彭帥さん(35)が「チャイナ7」といわれる中国共産党の最高権力者の1人だった張高麗元副首相(75)から「性的暴行を受け、不倫関係にあった」と自身のアカウントで中国版ツイッター・ウェイボーに投稿した後、所在不明になっている問題。来年2月に北京五輪開催を控える中国政府は事態の火消しに躍起で、疑惑は深まる一方。米国や欧州など国際社会による五輪ボイコットも現実味を帯びてきた。あらためて、この問題のギモンをまとめた。全国に約9500万人以上の党員を持つ中国共産党。そのトップに君臨する総書記をはじめとする7人の政治局常務委員のことだ。序列1位は「紅い皇帝」とも呼ばれる国家主席の習近平・総書記(68)。ほかに首相や中国の国会にあたる全国人民代表大会常務委員長などがいる。
彭帥さん問題どうなる? IOCバッハ会長と“渦中”の張高麗元副首相は仲良し
この問題を解析するのは「メディア」の力しかない、それを放棄してはならない
それら関連する記事を収集して、いつものように私用ブログ(ライブドア)に蓄えた。今のところ分析に至ってないが、後、ニ週間経過すれば、その全体像が、うっすら判るはずだ。そのカギはロシアにあると想定しているが、いまのところ、その予兆はまったくない。もしあったとしても、サイバー工作で不透明にするというのは、いつもの常套手段だ。
その犯人捜しだが、これだけ広範囲、全世界を巻き込んだ複合的ハイブリットニュースは、世紀単位で、そうそうあるものではない。
かつて、ブログを一心不乱にしたためて居たころ、或る本を読んで、そこから西洋世界の膨大な歴史を知るに至った。ここでその詳細は書けないが、科学のみについて言及すると、それはギリシア「アリストテレス」以来の自然学、哲学、天文学を知り、また当時の易学と政治を学んだ。
時代が下ると、それは1900年代初頭の科学の時代を知るに至った。近代科学の基礎は、その当時の叡智遺産で出来上がっている。その筆頭がアインシュタインだった。(1915年相対性理論発表)
いま、それとは別のイノベーションが進行して、猫も杓子もスマホ片手に、だが、そこに「アリストテレスの哲学」はない。
張 高麗(ちょう こうらい、漢族、1946年11月1日 - )中華人民共和国の政治家。国務院常務副総理(第一副首相)、第18期中国共産党中央政治局常務委員を歴任。貧しい農家の家に生まれた。父は張が幼少の時に死没し、母と兄の稼ぎで苦労して1965年に厦門大学経済学部計画統計学科に入学。
文化大革命期の1970年に卒業し、石油工業部広東省茂名石油工業公司の労働者として就職。その後、同公司の生産指揮部弁公室秘書、政治部共産主義青年団(共青団)総支部書記、同公司共青団委員会副書記を歴任。1973年12月、中国共産党に入党。1977年、石油工業部茂名石油工業公司製油工場第1職場党総支部書記・教導員となる。
その後、工場党委員会副書記や書記を歴任。1980年より石油工業部茂名石油工業公司党委常務委員・計画処処長を務め、副総経理(副社長)にまで昇進する。1984年、広東省茂名市党委副書記に任命され、中国石化総公司茂名石油工業公司総経理(社長)に就任。
1985年、広東省経済委員会主任に任命され、官僚としての道を歩み始める。1988年、広東省副省長に就任し、1998年まで務める。
この間の1990年4月から7月にかけて中央党校省部幹部進修班で研修を受けた。1992年からは同省計画委員会主任を兼任する。
1993年、広東省党委常務委員に選出。1994年、兼任していた広東省計画委員会主任を退く。1997年9月の第15回党大会で党中央候補委員に選出された張は、同年、経済特区の一つである広東省深圳市の市党委書記に任命される。
翌年には広東省党委副書記兼深圳市党委書記に昇進。かくして張は改革開放の最前線で奮闘することになる。
2000年、深圳市人民代表大会常務委員会主任に選出される。当時、深圳市では習仲勲元国務院副総理が引退生活を送っており、張は習仲勲とその息子で後に党総書記となる習近平と知遇を得た。
2001年、張は山東省党委副書記に転出し、12月6日、山東省省長代理に任命される。2002年3月28日、正式に山東省長に就任。
同年11月の第16回党大会で党中央委員に昇格し、11月23日、山東省党委書記に任命される。翌年1月12日、山東省長を辞任。同年、山東省人代常務委主任を兼務。山東省党委書記を2007年まで務めた張は、同省を広東省に次ぎ、江蘇省と並ぶ経済大省に発展させた。
2007年3月、張は天津市党委書記に転任。同年10月の第17回党大会で党中央委員に再選され、10月22日の第17回党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)において党中央政治局委員に選出される。天津市党委書記在職中は同市の1人あたりの域内総生産(GDP)を国内トップに引き上げた。
張は、最高指導者の地位を胡錦濤に譲った後も「上海閥」の総帥として中国政界に影響力を振るう江沢民(前党総書記・国家主席)から厚い信頼を受け、江沢民の側近である曽慶紅(前国家副主席・第16期党中央政治局常務委員)や周永康(第17期党中央政治局常務委員・党中央政法委員会書記)とは「石油閥」でつながるなど、当時の中国共産党中央委員会総書記である胡錦濤とは政治的に対立する派閥に属していた。
張と同時に政治局入りした薄熙来が、市党委書記を務める重慶市で文化大革命を想起させる政治運動を展開し、上海閥の呉邦国(政治局常務委員・全国人民代表大会常務委員長)や太子党の習近平(政治局常務委員・国家副主席)など党中央の幹部の中から好意的に評価されると、張もその手法に倣って天津市でも革命歌を歌う活動を展開した。
しかし、薄熙来が胡錦濤派との政治闘争に敗れて失脚すると、張はすぐさま方針転換し、胡錦濤に忠誠を誓っている。
2012年11月15日、第18期1中全会で習近平・李克強指導部が発足すると、張は党中央政治局常務委員に選出され、最高指導部入りを果たした。
11月21日、天津市党委書記を退任。2013年3月16日、第12期全国人民代表大会第1回会議において国務院副総理に選出される、正式に李克強内閣が発足した。2018年引退。 以下割愛
※ウィキペディア部分引用
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