小さい穴を覗いているだけ
それでいい、と僕は思う。
それが本人にとって一番最適で、心地よく感じられるのであれば。
例えば「好きな映画は何ですか?」と問われると、大体の人は身近なサンプルの中からしかソレを選ばない。
(音楽、美術、本、お笑い芸人、俳優、など)
カテゴリは様々だけど、この中から何か一つ「一番好きなもの」を選ぶとしたときに咄嗟に出てくる答えは、今の自分の中にある、ただパッと浮かんだだけのソレなのかもしれない。
もちろん、そうなってしまうことはダメ。間違ってるよ。と否定するつもりは全くなくて、僕も過去に何度かそういう瞬間に遭遇することがあった。
そのたびに、何度も自分に言い聞かせるように「あのとき言った、一番好きな映画って本当に好きなのか?そしてなぜ好きだと感じたのか?…」と、色々考えてしまう自分がいた。
そんな時は大体、「もう少したくさんの映画を観ていれば…」「なぜその映画が好きなのかをより深掘りしておけば…」「映画が好きな人の前では映画の知識、ワードを少し知っておけば…」なんていう使命感に変わり、それが一つのストレスになっていた。
確かに比較対象を増やして、より多くの映画を知っていたらその場は盛り上がるだろうし、映画の主人公を軸にさらに話が広がるかもしれないし。監督でも同じことが言える。
だけど、僕は映画の専門家ではないし、そもそも映画や音楽、美術といったものは娯楽の一つに過ぎない、と思う。
好きなものを、好きなように楽しむ。
まずはこの気持ちが大事だと思う。
深掘りしたければ調べれば良いし、無理にそんなことしなくても構わない。
その中でもより興味のあることは調べて、さらに具体的に深掘ることで、ようやく自分の「好きなもの」を知ることができるようになってきて、今ではパッと出たよくわからない「好きなもの」が無くなった。
そして、いろいろ物を知るうちに「食わず嫌い」がどんどん減ってきた。
(これのせいでどんどん趣味が増えていくから少し困っている。)
小さい穴を覗いているだけ。
それだけで十分。素敵なこと。
少ないサンプルだからこそできる輪もきっとあるし、その人たちと一緒に新しく幅を増やせば良いのだから。
なんとなくだけど良いなー、があることも素晴らしいこと。
そこからもっと色んなものに触れて、自分の「好き」が具体化されて新しい仲間が増えるのだから。
何かを始めるのに、何かを知るのに、早い遅いは関係ないよ。
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