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新生活、31日目

新生活が始まって1か月が経過しました。良い意味でも悪い意味でも大きな変化がなく、強いて言うならコロナ禍が深刻になった、くらいだと思います。

この世界は誰が作ったのか。誰かが作った世界を私は生きているのか。その世界の仕組みを知ることはできるのか。私は今、何週目の人生なのか。そんなイデア論チックな印象を覚えたのが、今日見た映画『HELLO WORLD』です。(今回のnoteは若干のネタバレを含みます。)ソードアートオンラインシリーズの監督を務める伊藤智彦氏の作品。もちろん作品の存在は知っていましたし、主題歌の1つがOfficial髭男dismの『イエスタデイ』ということで、当時ヒゲダン大好き一家の一員だった私は見に行きたいなと思っていた作品でもありました。

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まだ一回しか見ていません。全くわからない、この作品が全く分かりません。見終わって発した最初の言葉は「わっけわからん」でした笑。伝えたいことが分からないというより、何が起こったのか分からない、という感覚でしょうか。早く答えを求めすぎてしまう悪いところが出ているなと感じました。

私が知っている、思い描いている「物語」、特に「フィクション」の特徴に「End」があること、というものがあります。読んでいる私たちはすべての始まりから終わりを想像という物質的に存在しない場所で展開し、いつでも収束させることができる。

これはいま私が生きている世界では私自身ができることではありません。私は誰かに読まれている物語の主人公なのかもしれないし、エキストラなのかもしれないけど、それが真実なのかを知ることは一生できない。物語はそれを私たちに実現させている「非日常の極地」なのです。『HELLO WORLD』という作品はこの「真実なのかを知ることは一生できない」にフォーカスを置いた作品なのかなと感じました。見終わったあとに感じた「わっけわからん」という感覚は正解なのかもしれません。

最後の数秒ですべてがひっくり返る。

という文句は色々な映画で用いられている印象で、ありきたりな表現方法だと思い、どこかで距離を置いていました。どうせ最後にどんでん返しが起こったり、姿を消したはずのヒーローが復活したり、死んだはずのラスボスが息を吹き返すんでしょ、と。『HELLO WORLD』はその逆で、最後の最後で余計「わっけわからん」となってしまいました。すべてがひっくり返ったわけではないんですけど、1つ1つ扉を開けていき、最後の扉をだと思って開けたらようと思ったらそこには3つも扉があった。みたいな。え、どうすんのこっから、みたいな感覚です。

「End」がない作品でした。落着できない一件でした。そもそも一件じゃないか。

閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて
きっと きっとって 僕を動かしてる
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしたい
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
『終わりなき旅』/ Mr.Children



おやすみなさい。

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