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大切な存在がいる人に読んでもらいたいお話『Your Song』(第6回)

あなたにとって「大切な存在」って何ですか?

家族・友人・恩師・恋人…
(あ、個人的にペットは家族の一員だと思っている人です!飼ったことないけど…)

もしくは、
好きな芸能人・有名人・アイドル・アーティスト…

はたまた、
昔から使っていたぬいぐるみ・おもちゃ・本・絵…


挙げていけばキリがないですね。

何故ならこれらは

「誰にも干渉されないものだから」

自分だけが共感できるものこそ「大切な存在」なのではないでしょうか。


目に見えるものだけでなく、価値観などの「概念」が大切な存在になっている人も少なくないと思います。

何だって良いんです。
ちょっと言い方悪いかもしれないけど。


誰に共感されなくとも、自分だけがただ主張し続けていれば。

周りの人が離れていくかもしれない。
けれど、その強い想いに感銘を受けて歩み寄ってくる人もいるかもしれない。


大切な存在ってそんな簡単に自分から切り離せないでしょう?

愛情のないフリをしたり
嫌いになる努力をしたり

自分の心に嘘をつくことは思っている以上に苦しいです。




「大切な存在」がある人・いる人
もしくは、あった人・いた人に聞いて貰いたい曲。

それが前回(第5回)で少し紹介した
Mr.Children『Your Song』です。



では『Your Song』の個人的な解釈を書いていきますね。

歌詞全文は↓から

http://j-lyric.net/artist/a001c7a/l048e4d.html


僕はこの曲を
「現在」と「過去」の2つの視点で捉えられると思っています。

では早速一つずつ見ていきましょう!


花吹雪が舞うような
きらめく夏の陽射しのような 時は過ぎ
華やいでいた想い出も
少しだけ落ち着きを取り戻した

「花吹雪」と「きらめく夏の陽射し」。
花吹雪は春の季語とされています。

春〜夏という季節は、気温も上がり、陽射しも強くなることから開放的な気分になりますよね。
色々な想い出が出来る季節です。
そんな季節が過ぎ去った頃のお話です。

春〜夏の時期に作った楽しい想い出。
季節など関係なくできた楽しい想い出。
何度も写真フォルダを見返しては
「あぁ楽しかったな…戻りたいな…」
と思い返すことは少なくないと思います。

そうやって振り返ることも徐々になくなり、
落ち着き始めた頃です。


君と僕が重ねてきた 歩んできた
たくさんの日々は
今となれば
この命よりも 失い難い宝物

遂に出てきました。「君」。
この「君」は「自分にとっての大切な存在」として考えてみましょう。

「恋人」や「家族」など自分自身と直接的に接する機会が多い場合は簡単に想像できると思います。
一緒に行ったあの場所。
「喜んで貰えるかな?」と不安になりながらも探し回った「君」へのプレゼント。
想いが食い違って喧嘩した日々。

喜怒哀楽の全てを曝け出すということは、
楽しくもあり、辛くもあります。

でもそうやって過ごしてきた日々は、
良い所も悪い所も全てひっくるめて
「宝物」なのかと。


では、この「君」をアーティストやアイドル、アニメ、言葉など、
直接的に接することができなかったものに置き換えてみましょう。
なんて言いますかね…
「抽象的な存在」とでも言いましょうか。

僕であれば第6回の記事でも言ったように
「Mr.Children」ですね。

楽しい時間も苦しい時間も全てひっくるめて
「華やいでた想い出」「宝物」です。
特に辛かった時期に自分を変えてくれた、支えてくれた人や物って
人生において「大切な存在」ですよね。

「抽象的な存在」は、一方的ではありますが、自分の日々を彩ってくれた「大切な存在」です。
自分の人生を語る上では欠かせない存在が「大切な存在」。
この曲で言えば
「君」なわけです。


ふとした瞬間に同じこと考えてたりして
また時には同じ歌を口ずさんでいたりして
そんな偶然が今日の僕には何よりも大きな意味を持ってる
そう君じゃなきゃ
君じゃなきゃ

皆さん一度は「君の為を思って…」などと考えたことありませんか?
相手に合わせることはそこまで難しいことじゃないですよね。
「こうしたら楽しんで貰えるかな?」なんて考えることすら楽しい瞬間ですから。

でもそれらって「意識的」ですよね。
意識的に相手に合わせることは、自分だけがしていることでしょうか?
どんなに我が強い相手でも、多少は自分に合わせてくれてませんか?

でも合わせることだけをしていると段々と崩れてくる。
それもそのはずで、これは所謂「数学」みたいなもの。
計算が合うとめちゃくちゃ嬉しい。考える時間が長いほど。
けど、計算が合わなくなってくると、徐々にイライラしてくる。

何を言いたいのかというと、

「無意識で合った時、めちゃくちゃ嬉しくないですか?」

例えば、、、
相手に合わせず、自分の食べたい物を頼んだら同じだったり。
お互いにガチガチに緊張していたり。
行きたい場所が同じだったり。
別々の場所なのに同じこと思っていたり。…

何も考えていないふとした瞬間。
言わば、直感。
言わば、無意識。
そんな瞬間に「合う」こと。
それはつまり「偶然」。

お互いが意識的に合わせて「合う」ことよりも、
お互いが無意識に「合っちゃった」ことの方が大きな意味を持つ。

「偶然」は
何よりも、最も、一番、
大きな意味を持つ。

そんな偶然があったからこそ
「君じゃなきゃ」
いけないんですね。


細かく書きすぎてとんでもない文量になりそうですね。笑
ここからが大切な2番です。


苦手意識を持ってた 
食べ物もスポーツも堅苦しい場所も
君が薦めるんなら
無理なんかせず受け入れることが出来たんだ

時に僕が 窮屈そうに囚われている考えごとに
なんてことのない一言で
この心を自由にしてしまう

自分が抱いていた悩みや苦手意識。
周りからしたら「何でそんなことで?」と思われるものかもしれません。

「君」が掛けてくれた些細な言葉のおかげで、
大きな悩みも小さな悩みも
徐々に消えていきます。

「スッ」と受け入れられるかは悩みの大きさにもよりますし、個人差があると思います。
それでも「君」が言ってくれたから
無理なんかすることなく、
“自然と”克服できるのです。


飛び込んでくる嫌なニュースに心痛めて
また時にはちっちゃなことで笑い転げて
一緒に生きていく日々のエピソードが特別に大きな意味を持ってる
そう君じゃなきゃ
君じゃなきゃ

生きていれば大小問わず様々な出来事が発生します。
プラスなこともマイナスなことも。

それでもお互いに支え合って生きていく日々は
「特別に」大きな意味を持っているのです。


1番のサビでは
”偶然“が最重要な意味を持っていました。

2番のサビでは
”一緒に生きていく日々のエピソード“が「特別な」意味を持っています。

「君」と過ごす日々は一般論では語れないのかもしれません。
代わりになる存在はいない。
他の人ではまた違った味なのかもしれません。
非日常的な感覚とでも言いましょうか。

「唯一無二」の時間なのです。

「君」だから特別な意味をもつ。

だから
「君じゃなきゃ」
いけないんですね。


僕は最初にこの曲を
「現在」と「過去」の2つの捉え方ができると言いました。

<「現在」の捉え方>
今まで色んなことがあった。
楽しいことも辛いことも。
時にはぶつかり。時には笑い合い。
そう振り返った時、
「偶然」は最も大きな意味を持ち、
「君との日々」は特別に大きな意味を持つ。
だからこれからも「君じゃなきゃ」いけない。
<「過去」の捉え方>
今まで色んなことがあった。
楽しいことも辛いことも。
時にはぶつかり。時には笑い合い。
そう振り返った時、
「偶然」は最も大きな意味を持っていた。
「君との日々」は特別に大きな意味を持っていた。
この「偶然」や「日々」は他の人には代われない。
やっぱり「君」じゃなきゃダメだった。


過去の捉え方は大切な存在とお別れして少し経った後ですかね。

どんなお別れであっても、その直後は感情的になります。
大袈裟に言えば、
大切な人を亡くした直後に冷静で居続けられる人っていないですよね。

夏が終わった秋頃。
夏の喧騒から落ち着いてきた頃。

もう冷静になったから感情的になることもない。
そんな時に振り返ってみると、
やっぱり

「君じゃなきゃ」

いけなかったのではないでしょうか。





今年のGWも今日で終わりですね。
「せっかくの連休が…」
と残念に感じている人も沢山いると思います。

でもその「行動をしないという行動」が
あなたにとっての、
誰かにとっての
「大切な存在」を守る行動に繋がっています。


「君じゃなきゃ」

という歌詞が現在に対しての意味を持つのか、
過去に対しての意味を持つのかは

一人ひとりの行動次第です。

過去の意味を持った時、それは

「永遠のさよなら」

を表すのかもしれません。


あともうひと息、頑張りましょう!



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