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シリーズ北海学園大学新聞の戦後史:第17回(1956年⑤&1957年①)“従来の私学のひがみを打破して私学々生としての誇りを持って前進しよう”

今回はぶっちゃけ取り上げる2本のうち後発の方(23号)ばっかり取り上げている。けど気にせずいってみよう。ちなみにこの頃の学生新聞には小さな見出しのお知らせが多い。

北海学園大学新聞第22号(1956年11月20日(火))発行 見出し一覧

一面

・戸津高知先生に道文化賞/本学名誉学園長
 →私学振興に功労/本学園の発展に努力
・順調な決定数/求人社は百件突破
・(論説)今後の自治活動のために
・委員長に蜂谷君/前途多難な学生会
 ・蜂谷委員長談
・学園の問題(寮の現状)
 →定員に充たない寮生
・全国で反対運動を展開(国鉄料金値上げ)
 →本学も共闘会議に参加
・文部省案に不賛成/健保問題私大側
・執行部役員/決る
・本度度(ママ)奨学生決る
・定期戦続行/に決定
・本学で経営学会
・死刑廃止めぐり/法律討論会開かる
・応援団指導部決定
・アルバム調製/飯田写真館
・三大学ダンス対/抗戦
・同窓会だより
・晴好雨奇


二面

・手のひらのうた(青年詩集より)
・農地改革への一つの理解―「半封建的土地所有」の諸見解をめぐってー(阿部吉夫)
・国語国文学学会雑感=セクショナリズム的雰囲気=(名生望)
・北海道への郷愁(田中修)
・文部省の出方に注目/学生健保問題解説


北海学園大学新聞第23号(1957年2月15日(金)発行) 見出し一覧

一面

・四学科設置を計画中
 →=第二学生寮も有望=
・放り出された会則改正
 ・二年目一学生談
・(論解)従来の私学のひがみを打破して/私学々生としての誇りを持って/前進しよう
・文教私学予算決る
・入試要項決定
・沖縄問題で全学連抗議
・砂川平和祭/行う
・学園問題(4)/ホールの現状
 →望まれる充実した売店
・体育会役員決定
・囲碁同好会発足す
・函館商短大再び/学園民主化に起つ
・記者クラブ例会/行われる
・応援合戦に参加
・学生写真展に入選
・道学新結成準備会/本学にて開催
・共闘会議参加
・定期戦日程内定
・晴好雨奇

二面

・卅一年度学内をふりかえって
 ・道私学間の/結びつきを
 ・必要な練習量の増加
  →定期戦は有意義
 ・欲しい学問的サークル
・(友への手紙(その一))友情について(毛利陽)
・卒論テーマ/(その一)
 ・南助教授の巻
・(映画評)『蜘蛛巣城』に思う(高橋吉郎)

①戸津高知先生に道文化賞(22号)

 ご本人のコメントだけ抜粋しよう。よかったね!

受賞なんか予期していなかった。まぁいってみれば金仏にハクをつけたようなものでもないですか、私が五十五年間の長い間学園をやってきましたが他からみるほどらくではなかった、今から三十五・六年前だと思うが、創立者の浅羽先生一族の方より校長をだして経営をやりたいといって応援者の検事のおぜんだてで私を排斥しようとしたが各新聞が不当を抗議し、又卒業生が裁判ざたまでして無事だった。あとは順調にいったが、一族の人々があまり事情がわからなかったらしい。戦後は雑誌に一寸したことを、発表したが追放解除になってからは学園のかげの力として苗邨(※苗邨は浅羽靖の号)学園を北海学園としたり大学のほうでは上原博士外諸教授の就任に対して財団に協力しただけだが、長い間の生活で私は市政二期半十年、道政と卒業生におされて職についたが文化賞を受賞するのは自分自身非常に光栄であるが、卒業生が社会的に活躍してくれたことが私の大きな受賞に決定する力ではないかと思う。教育というものは精神的、無形的なよろこびが大きいものである。一生私が教育という地位におれ又このたびはその功労に対して受賞されるというので感謝していますが、私の生活の真情は“もの三分にいい、はなしは半分にきく、はら八分にくって、十二分にはたらく”“おのれをむなしくして、他人につくすを徳とする、徳をつむことによって家もたつ、身をもたつ、ひいては幸福の生涯をきずき、社会、国家の平和にも期するをえん”

 ちなみに1956年11月22日付の道新朝刊第8面の記事によれば、市内の『北野家』(?)で催された戸津先生文化賞受賞祝賀会には約250人が出席し、知事代理や父兄会代表、理事長によるあいさつがあったという。

②委員長に蜂谷君(22号)

めんどいから全文引用でいいよね。

前学生会の会則改正によって今年より十月に改選されることになった。十月二十七日に中央評議委員会で選挙管理委員会が承認され、十月三十日の常任委員会の解散の日を締切日とし、選挙は立候補者アルバイト委員会委員長蜂谷君、学生会書記長山崎晋一君の間で行われた、推薦団体、有志その他ポスター、ビラなどの氾濫する本学はじまっていらいの選挙戦となったが、両君ともスローガンが学園の民主化、対東北学院定期戦続行、教授陣容の強化、学生会会則改正などに集中したため革新的な蜂谷君がわずかの差で山崎君を破って当選した新委員長蜂谷君は目前にある三十二年度予算、同じく定期戦続行、私学協、全学連問題について次のような抱負を語った。

蜂谷委員長談

 自由と平和を脅す勢力が動いている現今われわれの学園にもその手がのびてこないとは断言できない、今後の学園の民主的発展、住み良い社会を創ること、それはわれわれ学生の任務と思います。
 学生の一人一人の正しい理性の自治精神が、自治会をもりたて、そこに初めてわれわれ学生の主張がとり入れられると思います。
 そのために先づ本会の規約の改正を図りたい、特に中央評議委員会の性格を変えて、一般学生のみの議決機関としたい。各会代表、執行部による連合協議会を設け諮問機関として学生代表の下に設置したい。
 その他学生ホールの充実、医療施設の完備、図書館問題、教授陣容の強化、学割の問題等は諸君と共に力を入れて取組んで行きたい東北学院との定期戦問題は早坂前委員長、中村体育会幹事長が代表して、続行交渉のため東北におもむいている。
 他校との交流面は横のつながりを強化し密接な連絡を保って行きたい、とくに道私学の連絡を強化して中小私学の地位をかためたい。

 蜂谷委員長の話のうち、前半部はこの時代によくある台詞なので措いておく。
肝心なのは中ほどの中央評議委員会を一般学生のみの議決機関とするという案で、私の記憶の限りではついぞ一度として達成されなかった制度である。しかし、現在の本学に必要なのはこの制度なのではないだろうか。そう、我々本学学生が自治会の活動を実質的にジャッジしうるのは年に一度の自治会執行部委員長選挙か、これまた年に一度の学生大会くらいで、どちらも参加してもしなくてもよい上に自分一人の発揮しうる存在感はあまりにも小さいのだ。しかし、中央評議委員ともなれば主体的に責任のある判断をくだすことが出来るのではないか。裁判員裁判制のようなものだと言えば一部の学生が就任してくれるだろう。この方策によってクラブ員中心の学生自治を覆すことが出来るのではないだろうか。

 流石は本学初の選挙戦の勝者と言うべきだろうか。以前の自治会の自治は新疆ウイグル自治区のあまり代わらなかったのだろう、きっと。

③(論説)今後の自治活動のために(22号)

 学生会がクラブの利益に利用されるという構図は令和の今まで温存されている。

④死刑廃止をめぐり法律討論会開かる(22号)

さる十七日午後北大法学部六演習室で開かれた“死刑廃止”をめぐる法律討論会に多数の各大学講師が参加、本学からは三A三森佐智子さんが出場熱弁をふるった。

 この三森佐智子さん、どうやらこのシリーズ北海学園大学新聞の戦後史でも名前が頻出している三森定男教授の令嬢らしい。2005年7月15日発行の本学学報第62号掲載の北海学園大学草創記(筆者はあの宮崎文彦氏である。このシリーズの愛読者であればイヤというほど名前を見ただろう。大丈夫。これからも見続けることになるから)には「空手の道衣を着た裸足の女子学生が廊下の中央を胸を張ってやって来た。“誰だあれは”筆者は驚きの眼差しを向けた。軽く会釈をして通り過ぎていった。2年の三森佐智子(昭33経卒)だった。三森定男教授のお嬢さんで本学に入学したことは聞いていたが、空手部に入部したとは知らなかった。当時、本学の女子学生は10人前後だったので誰かが何をやっても目立っていた。“女子学生が格闘技をやるのか”が、いつわらざる心境だった。」とある。相当気の強い女性だったのだろうか。文武両道の鑑としか言いようがない。

⑥四学科設置を計画中(23号)

 学長兼理事長のおじいちゃんとの定例会見である。

記者 三十一年度も終りに近ずき(ママ)ましたが、来年度の大学の構想などを

学長 来年度には本学の創立五周年に当るので、名実共に充実せねばならぬので、内容の充実に主眼を置きたい。それには、教授陣の充実を始めとして、講義室の拡充、研究室の設置などがあげられる

記者 具体的な教育陣容などは。

学長 本学に欠けていると云われた経済(原論を中心とした)語学法律などの新任が決っている。講義室については十一番教室を改築して小講堂とする計画などがある。

記者 開発研究所はどうなっていますか。

学長 開発研究所は四月早々に図書館二階に設置して池田教授を始めとし、若年の研究所を入れて、学術的立場から第一線に立って行くつもりである。

記者 学部増設の声がありましたが、それはどうでしょう

学長 社会科学系統に属する法学、文学などを考えているが、速急には実現しないだろう、その前に、現在の経済学科を、細分して経済政策、経済理論、商品学、経営学の四科に分けたいと思っている。各科の中心になる教授が出来私大実施したいと思っている。

記者 厚生の面についてはどうでしょう。

学長 百五十人収容出来ような(ママ)学生寮を作りたいと思う来年度は無理だが、三十三年度は実現出来るだろう。

記者 体育施設の問題については

学長 統合グランドと、体育館設置の案があるが、場所の問題が解決されないので何ともいえぬ。

記者 私学の振興が叫ばれていますがそれについてはどうですか。

学長 本学は本道私学の中心となって、本道の私学の振興に努力するとともに、本学の精神であるパイオニア精神をすべての文化の開拓と解して本道開発また日本国土の発展の推進力になるよう努力する。

記者 では最後に学生に一言

学長 今年は就職率も昨年よりよくなった。今後は勉強して来年はもっと良くなるように努力して欲しい。

⑦(論解)従来の私学のひがみを打破して私学々生としての誇りを持って前進しよう(23号)


 今回からは何故か論説が論解となっている。内容はどうしても論説のまんまなのだが、「解」の字を挿入したのは北海大生の自意識を解体しようとしたからであろうか。

 記事内容については「いやぁ見事私学のひがみは打破されて早慶マーチはそこいらの地方国立大より地位が上がりましたよ!まー弊学はひがんだままなんですけどねっw」で済ませるわけにもいかないし、例のごとく全文引用する。タイトルが強い記事は全文引用するのがこのシリーズのならわしだ。

 毎年いまごろになると私学が人の世で注目の的となり、いろいろの点でやり玉にあげられ、非難や攻撃を浴びせられる。
 私学に対する世人の非難攻撃はさけられぬものであろうか、世人の非難攻撃は入学に関するものとである。これは学校当局へ対するものであって学生そのものには何んの関係もないといってよいものである。
 本紙が過日座談会を行ったがその席上でどうも本学の学生は団結心がない、その理由として私学の学生としてのひがみを持っているということであった。
 本学の創立当時を思うと、いわゆる「お二階さん」時代には、札幌市民はいうまでもなく、学校の近郊の豊平住民でさえも北海学園大学という名を知らぬ状態だった。学生そのものは、どこか悪いところへでも通うようにすごすごとし学生の大半が角帽などかぶらなかった。どちらの大学ですかと訪ねられると(ママ)、小さな声で「北海学園です」とボソリと答えていた。そして「お二階さん」は下の高校生の目にも小さくなっていなければならぬ程であった。
 ある学生が某映画支社に行ったとき北海学園という名を出すと、そんな大学どこにあるんだといって笑われたこともあった。こんな状態だからいつもオドオドしていたようである。こんな毎日を送っているとひがみのできてくるのも当然といえるだろう。だが考えて見るとこんなみじめさに会ってきた学生は、今では四年目と三年目の学生である。現在の大半はそんなみじめさは受けなかったはずである(多少の問題はあっただろうが)だが学生は私学生としてのひがみがある。同じ札幌にある官学の学生に対しての劣等感が支配しているのであろう。
 私学の学生(本学の場合)は確かに官学に入学する能力を持っていなかったであろう。だが人間を評価する時に、その人間の過去を見て云々することは必要であろうが、学生生活を云々する場合は、そんな観念は取り去らなくてはいけないものである。高校時代の勉強状態が云々で官学入学ができなかったのであるが、それが現在のその学生を云々できるものではない。現在のその学生を見て云々しなければならね(ママ)。過去の勉学の足らなさや勉学条件の不利だったことについて現在努力する学生こそが真の良い学生生活を送っているといえるのである。官学の学生の現在が、われわれ私学学生の現在とどんなに異なるだろう。全く異ならないといいても過言ではない。中にはむしろ立派なものが多数ある。われわれの現在は官学の学生と異なるところがないことを認識すべきである。
 われわれは私学の良さを知るべきである。私学には官学と異なった空気がある。官学の中にはいわゆる官僚的な堅い空気がいまだに支配している。それに対してわれわれの私学には私学としての自由な空気があるのである。われわれはそんな自由な空気の中に気楽に勉学できる好条件を持っている。残念であるが、その自由な空気を誤解して、誤った学生生活をしている学生も少なくない。だが私学にも私学の良さに比して私学としての欠点もある。われわれは私学学生としてのプライドを持って私学の欠点を補わなければならぬ。
 われわれはいつまでも私学学生としてのひがみを持っているならば、永年私学いわゆる私学であってその偉容を誇ることはできぬのである。
 今年は本学も創立五年目であるもう全学生が、私学の学生としての誇りを持って生活を送らなければならぬ。われわれは私学学生の誇りを持って前進しよう。

ハッキリ言ってこのような受験の敗者を慰めるような論説は好まない。確かに入試時だけで人間は測れないだろう、正論だ。しかし、正論を吐いたところで、受験の敗北とそもそもの能力の優劣の差が帳消しにされることなど無い。敗北を噛み締めて、努力を重ねた果てにようやくリベンジの可能性が見えてくる程度だろう。
 しかし本記事を単なる駄文たらしめなかったのは、「だが私学にも私学の良さに比して私学としての欠点もある。われわれは私学学生としてのプライドを持って私学の欠点を補わなければならぬ。」のくだりであろう。

⑧放り出された会則改正(23号)

学生会執行部は、蜂谷委員長の公約の一つである、現行学生会会則改正を実現しようと、去る十二月七日学生大会を開いたが、学生への通達不備もあって、七十名程度の学生しか集らず、学生大会を有志大会に変えて、執行部の方針案の説明、国鉄運賃値上反対共闘会議報告を行った後、規約改正案の説明を行いたいと委員長がのべたが却下された。後大会は委員長に望む学生の声の応答があって散会した執行部では学生会会則改正について改正案を創り、改正要点の説明及び改正理由の説明を、各クラス単位に行う方針を決定した。しかし執行部は現行規約を充分消化しておらぬために、執行部常任委員会が執行委員(委員長、副委員長、総務、渉外、会計)と、各会代表とによって構成されることを無視していたために、体育、新聞両会などから反対されている。
各クラスへの改正に対する呼びかけについても執行部内の意見が統一出来ず行き悩んでいる。
現在執行部は、来年度予算についての検当(ママ)国鉄運賃値上反対に対する運動及び会議参加。函館商科短大救援対策に追れている状態であって、会則改正は当分行われる見込がなくなった。

蜂谷執行部の会則改正要点は次の通りである。

組織面で現在の常任委員会がなくなり、代議員会も無くなる、代って連合協議会が出来る、そのメンバーは各会代表十六名で構成される、また中央評議委員会は各クラス代表一名、各会代表七名より構成される。
予算決定については、現行は常任委員会が立案し、中央評議委員会が審議決定するものが、執行部が立案(この草案規約では執行部メンバーに各会代表が入らぬ、現行規約では常任委員会であるから各会代表が入る)し、中央評議委員会が審議決定するとなる。
会計検査の点については、現行規約では監査委員長は本学職員となっている点が、だ(ママ)中央評議委員の中から若干名選出するとなっている。
規約草案を通して現行規約と異る大きな点は、執行部の権力に巾が持たされていることと、各会代表の会議における決定権が少なくなっていることであろう。

中村体育会幹事長談

 あの草案を見て驚ろいた(ママ)ことはわれわれ各会代表者の意見の場が全くといって良い程せばめられている。もっと各会の事状を考えてもらわなくてはこまる。各会の利益とか、利益団体といわれるが、しいては全学生の利益のためにわれわれはやっているのだ。

二年目一学生談

現行規約は早坂委員長が利益団体から出たことを物語るものだあれでは一般学生の利益は全く防がれている。新規約草案は一般学生の意見聞入れの場が広く開かれていので(ママ)全面的に賛成出来る。

 ここで一般学生の意見を強く強く学生会運営に反映させられるような制度を採用できなかったのが本学学生自治の“敗北”の遠因みたいなところあるよね。

⑨応援合戦に参加(23号)

第八回札幌“雪まつり”はさる二月三、四日の二日間大通り(ママ)会場で行われた。北海道新聞社主催、学生応援合戦に本学応援団が参加した。会場には約二千人の観衆が集まり、大学で唯一の出場をした本学応援団の勇美な応援は観衆の血をわかした。

⑩学園問題(4)ホールの現状(23号)

 このシリーズ、タイトルの表記ブレブレじゃない?

 さて、一号館完成後に学生が講義の合間にいる場所が無いというので広く要望されたために開設された学生ホール。「今ではその需要は大学校舎が大きくなったためにアッサリ満たされるようになり、かつての学生ホールに対する情熱は我々にとって理解の難しいものとなっている」と書こうとしたが、思い起こしてみると、現在の本学にもホールは存在するし、欲望も要望もあるっちゃある。そう、文化棟(文化系サークルと学生部事務室の入居する4階建ての建物)の1階に。

 現代(正確にはコロナ禍の直前まで)の学生ホールは学生の心理的には「大学の片隅」のようなものである。そのため文化棟にこもりっきりで、かつ地下の練習室などを頻繁に利用する軽音系サークルがそれぞれテーブルごとに縄張りのようなものを暗に主張していた。私はその状況に抗議する(という体でサークル間での言及戦を起こす)ために、1限前から複数の同志(テーブルの各席を交代制で占領し続けられるように)と共に、軽音系サークルの連中がその席を使えなくするために、一日中占領し続けること企てをしていたこともあった。結局同志を集められないうちにコロナ禍を迎えてしまったのだけれども。

 閑話休題。この学生ホールでは軽食の販売をしていたようだが、この頃から短大夜間部生の需要が大きく取り上げられるなど、学食的存在は夜間学生にこそ強く望まれているものなのだろう。現在の北海学園生協は昼間学生(食事する学生の多い時間帯に開いている学外の店がまん防等の下でも多い)を主要客として捉えているようだが、この際夜間学生の学食に対する要望をしっかり取り入れ、昼はG’conを開店し、夜はG’caféを開店するというような柔軟な措置を講ずるべきではないだろうか。

⑪卅一年度学内をふりかえって(23号)

三十一年度もあと数ヶ月で終りである。今年度は本学の学生活動にも種々の問題があった。いわゆる対外的問題を除いても、従来の自治会が、早坂執行部の手によって、学生会と大きく改組され、執行部だけを見ても大きな変化が見られる。また従来の大学祭も私学としてのカラーを生かして“十月祭”と改名された。体育関係を見ると、対東北学院大との定期戦は、仙台遠征をしたが、一勝七敗というみじめな敗戦ぶりをした。だが北海道地区大学体育祭は三年目にして、その宿望が叶い優勝をなした。停滞しているといわれながらも文化会各サークルは地道な精進をつづけていた。質向上を云々にされた応援団も全国応援団連盟に加盟して期待されている。厚生委員会を見るなら、アルバイト大学との一部汚名もあるが、学生の経済好転のために努力した。こんな学内の各サークルの今年度の状況について語ってもらった。

 言うまでもなく、全文引用。そろそろ著作権法に違反しないかどうかが気になってきた。

出席者(イロハ順)

早坂久良 四年目(引用者註:前委員長)

蜂谷良彦 二年目(引用者註:前アルバイト委員長・現執行部委員長)

中村敏朗 三年目

愛場裕作 二年目(引用者註:この名字の人は現在全国に1600人ほどいるらしい)

牧拓緒  四年目

藤野直也 三年目

(敬称略)

司会 山崎晋一(引用者註:学生会前書記長。司会にピッタリだと思う)


司会 三十一年度の学内をふりかえって、まず前早坂執行部はどうでしょう。

A(早坂?) 雑用に追われて、満足な事が出来なかったようだ、学生会というものを学生に認識してもらうために努めた。まず十月祭だけが取得というところかも知れぬ。

司会 従来の自治会が学生会に変わったわけだがどうだろう。

A 別に学生会と変えなければならぬという特別な理由はなかったが、前年度自治会の腐敗した空気を斬新なものにしたかったのだ。

B あの自治会の腐敗した空気を新鮮なものにした点では賛同出来る。

司会 ひとくちに云って、学生会に改組したことは、プラスだろうか、マイナスだろうか。

C 気分の転換と云う点から云うと確かにプラス

D 名称はともかく改組後の規約はあまり良いとは云いかねるようだ。

司会 早坂執行部は、従来の大学祭を十月祭と変えたが。

A どうも名称を変えるのが好きらしいが(笑)十月祭は私学の特色から云って、他大学と異った特色を出したかったのだ。

C 内容の点では例年と変らなかっただろう。

D 私学のP・Rという点から云うと、変えた事は良かったのではないか。

司会 ついでに十月祭の内容についてふれて下さい。

E あまり参加者がなかったようだね。

B 実施するだけでなく、形で後に残したいと思う。

A 同感だよ。

司会 展示会は今年初めてだがどうだろう。

E 展示会に参加した者は非常によくやった。会計研、社研等が特によかったと思う。

D 見物者は少なかったが、やったことは大いにプラスだった。

E 参加者各個に大変勉強になった。

司会 他の催しはどうだろう

A 例年と同じだね。

道私学間の結びつきを

司会 学生会の対外活動については何かありませんか。

A うちの大学は私学という特殊事情もあるが、もう少こし対外的折衝があってよいと思うネ

E 早坂執行部はどんな行き方でしたか。

A 何かしようと思っていたんだが雑用に追われたりしてね、だが書記長の山崎君が私学協へ行って、対外折衝に努力してくれた。

B 今は私学協にしろ、私学連にしろ、中央がぐらついているんだろう。

D うちの場合、全学連加盟は無理だろう。

A 学校の問題もあるが、学生全体が全学連加盟というところまでは行かないだろう。

E いや、うちの学生は対外的折衝ということについて全く知らぬ学生の方が大半だろう。

C それが一番問題なんだ。

F 執行部が学生に対してP・Rしないことも問題なんだ。

A それも考えなくてはならぬが対外的な問題をP・Rするよりも学内の問題についてのP・Rの方が先なんだネ。

B そうだね、学内の問題についてのP・Rさえやっていないんだからナ。

A だが、私学協のようなものに加盟して全国の学生について知ることは欠くことは出来ないからネ

B 道私学の横のつながりはぜひ必要だよ、身近の学生の事情を知らなくてはネ。

A 全くだ、道私学は必要だネ。

E 全くだ。バイバイ・ゲームでP・Rしたのは良かったよ。

A 熱意の点では例年より大きかったと思う。

B ファイヤー・ストームをやって札幌名物にしたかった。

A ストームもやりたかったのだが費用の問題で出来なかった。

B ストームで学生の団結をしたかった。

F ストームをやっても、一定の者しか参加しないのでね。

C それはどこの大学でもあるのだが、遣る方が意義があると思う。

A 結果的に云うと、浮いたね。もっと時間が欲しかった。丁度試験もあったしね。時間をかけて下からもり上がるものにしたかった

C 時間をかけても、下からもり上ってくることは望めないと思う前年度の執行部は大学祭で失敗しているんだからね。(引用者註:確かに55年度の大学祭の話はまったく紙面に登場していない)

E 一般学生は、早坂執行部が大学祭をどうやって行くか注目していたと思う。

C たしかにそれがある。僕なんかもそう思っていたし(笑)

D そんな事からもあまり積極的に協力してこなかったのではないだろうか。

A だが下級学年はよくやってくれた。

F だが早坂執行部に対しては割合信頼していたと思う。早坂は人気あったからナー(笑)

司会 体育の方へ移りましょう、定期戦についてどうだろう。

F 今年は結果が一勝七敗と惨敗だった、うちの選手は練習期間が少ないという問題がある。期間が少ないというより、どういうのか選手自体がセッパつまらなくては練習しないという妙な傾向があるんだね。

A 定期戦に疑問を持っている学生がうちにもいるようだが、僕は絶対やるべきだと思う。あれは単に運動選手の向上、学校のP・Rだけでなく、東北学院大と交渉したために文化の面においても吸収するものがあった。学校全体があれでプラスになっているんだよ。

E 同感だね。

B 体育会の功績は大きいよ。

A だが体育会も、もっと勇気と団結が必要だと思う。

C とも角定期戦は永続すべきだと思う。

F 北国の早慶戦といわれているんだからな(笑)実質的にそうなりたいね。

司会 体育会の話の出ついでに、地区大会の話にふれてください。

A 優勝はしたが定期戦より感激は少ないね。最初から優勝すると思っていたからね。

F 今年で大会は三回目だが、二回目は二点の差で北大に優勝を取られていたので、精神的にも楽だった。

A もう、うちの大学では、道内で負けるようだったら駄目だね。

B そうだね、もう全国を目標にしなければ駄目だよ。

司会 レベルはは(ママ。母親の意ではない)全国的にはどうだろう。

A 駄目だ、まだ選手自体が目標を道内優勝に持っている。

F やはりそうだ、もう道外に目を向けて、目標を全国にすべきだ

C 選手そのものが、全国大会に出場して、一回でも勝ったら大変な喜び方だ、あれでは、進歩出来ぬ。

F 全国大会に出場しても歯が立たぬと、最初からあきらめているんだ。

A そんな気持が定期戦を惨敗させた一因かも知れぬ。

欲しい学問的サークル

司会 このへんで文化会について話して下さい。

E ひとくちにいうと、停滞しているというのかナ

A 文化会の場合は、個々の部が積極的に研究してほしいね、対外的な発展はあまり見られないようだ。

E 対外的にやっている中で写真部が成巧しているよ芝浦工大と交換会をしている、今度両大学で東京で作品発表会をするようだ。

A それは大いに奨励すべきだ。

E 映研や、英語も対外的にやっている、各部とも、良いリーダーに欠けているようだ。

A 研究というより、趣味程度に終っているようだ。

E 会計研が最も良くやっているようだ。

A 会計研は、もう研究というより学問的になってきている。

F うちにはその学問的サークルが全くないのは、大学として恥ずる(ママ)べきだよ。

A 札短大の経営学会のような全国的なものがほしいネ。

E ゼミがもっと変った形で発展して学問的サークルになると良いと思う。

C 今のうちのゼミでは一寸無理ではないだろうか。

E やはり人材、良い指導者のいる所は発展するよ、経済学部らしいサークルが発展すべきだ。

一同、全く賛成だ。

C ところで開発研究所はどうなったのだろう。

司会 四月早早開店するとのことだが、学長の言葉でネ。

B 有名無実に終らせたくないねパイオニア、スピリットだからね

A 若手を入れで(ママ)ドシドシやって欲しい、池田教授なんかもっと対外的に出ると良いのだがね。

B あの人に就職係をさせているのが良くない。といってあの人に変る人材も一寸ないしね。

C 話はもどるが、文化サークルは体育サークルと異って冬季でもやっていけるのだから、もっと伸びても良いと思うよ。

A 珠算部を作って欲しいね

C あれは絶対必要だ。

A 経済学部に珠算部がないのは一寸へんだ。

E 前にあったのだが、つぶれたんだよ。

司会 こんどは応援団といこう。

F あれは、体育会には絶対必要だよ。

A もっとスケールの大きいものになってほしいね、オスといったらオスと答えるようにね(笑)

C 残念だがうちうの(ママ)応援団は全学生から離れている感がある、今の指導部は指導部ではなく、実際の応援者になっている、あれは全学生の応援を指導するのが本来の姿なんだ。

F うちの学生には団結心がないね

E ほんとうに団結していないね皆んなバラバラだ。

F それでも、毎年良くなっているよ。創立当時はもっとひどい。

A 何かしら大学としてのプライドに欠けている学生が多いんだ私立というひがみを持っているんじゃないか。

C 団結心がほしいネ。

B 私立なら私立としてのプライドを持って、団結できるはずだよ

C 学生がもっと団結すれば応援団も、もっと良くなるだろう。

B 指導部員の向上も望みたいところだネ。

司会 厚生委員会は良くやっていたようだが……。

A 厚生委のバイトあっせんは好評だ。

B 今年の冬休みは、求人に応じ切れなかった。うちの学生は一般にバイト先でも好評だ、もっとも一部にはアルバイト大学という悪言もあるが(笑)

C バイト先では良く働くよ、うちが創立して浅いんで、社会の人に、北海学園大学というものを見せようとする気運があるんだネー、良いことだよ。

F ともかく良く働くよ、某大の学生はうまくサボるんだ(笑)それに対してうちの学生は馬鹿真面目な程なんだネ。

C バイトに行ったうちの学生の態度が良くて、就職ワクをうちに決めたというのを時々聞くね、出るところえ出ると、良くやるんだ

A バイトのあっせん料とか、入会金とかいうものを取ったらどうだろう。

B 計画はしたんだが、いろいろな問題があるよ。金をはらったが四年間で一度も委員会からあっせんしてもらわなかったとか、条件が悪いとか。

D あっせん方法に文句が出たことがあったネ。

B 多少の問題はあるだろうが、委員会としても、一応公平な立場でやっているのだから、委員会に一任すべきだよ。

D バイトと理髪ばかりでなく、もっと学生の厚生面をドシドシやらなければ、純粋のバイト委員会になるよ

司会 ここらで新聞会を。

A 新聞会は会の方針があるのだから、それを打ち出して、北海学園新聞の性格を出すべきだよ、学校から発行補助費をもらっているので遠慮しているようだ

F 新聞会は真実を伝えるのが使命なんだから、思い切ってやってほしいネ、学校全体がお互いに遠慮しているような空気があるんだネ

A 家庭的っていうよあつなんだ、それが良い場合と悪い場合があるんだネ、家庭的っていうやつは体外的に盲目になるんだ。それによって対外的にひけ目を感ずるんあだ新聞が対外的に盲目になったらい、ひけ目を感ずるようでは困るよ。

B いや、新聞会は盲目や、ひけ目はないが、それを学内報道する事にひけ目を感じているのにはないか、学校から発行補助が出ているというがあれは●●●●●な本学ろうから、学生会予算に入れてくれると新聞会も気楽だろう。

A 北海学園大にマッチした新聞と共に指導性を持った新聞になるべきだと思う。

司会 最後に学内一般についてはどうだろう。

F 学校当局への苦情はたくさんあるが、いい出すと切がない。笑

C 今日は学生の各会のこと中心の話しにしておいたらどうか。

A じゃ最後に来年度は今度のミスをくるかえす事がないように、お互に努力しようというところだろう。

D 全くだ。

司会 じゃあ今日はこの辺でどうもありがとうございました。

このABCDEFは喋った順に割り振っているだけらしいので、誰が喋っているのか分らない。Bは蜂谷委員長だと思う。

最後に

十月祭への改名、体育会等各団体を中心とした自治活動の固定化、独立校舎の実質的な供用開始などがあった1956年。これはもう「56年体制」とでも呼ぶべきものがこの年に出来上がったと言えるのではないだろうか。(多分この次に「76年体制」が来る)


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