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令和元年色丹島訪問雑感

北方四島交流事業
令和元年第3回ビザなし交流
活動報告書

(まずは2日目と3日目の画像をどうぞ)

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 北方領土は日本固有の領土である。道民として義務教育を受け、そのことを知らずに生きてきたほど私は無知ではなかった。しかし、北方領土にもまた「隣町」が海を隔てて存在することを肌で実感した経験は今回の事業まで一度もなかった。それを最初に実感したのは根室駅に降り立ってすぐ、空にまっすぐ延ばされた白雲の反物の上にたたずむ澄んだ空の下で冷たく青く存在する海を見下ろす坂の上でふと立ち止まったときであった。海の向こうに確かな質感をもった国後島が見えたのだ。その山容は水蒸気に隠れて明瞭には見えなかったが、それが却って私に国後島の近さを実感させた。なにせ私の住む石狩平野からいつも眺めている手稲山もまた時折このように山麓を除いてすべて水蒸気に覆われてしまったり、山容が単なるシルエットにしか見えないことがあるからだ。私にとっての手稲山の身近さと根室の人にとっての国後島の身近さは同質のものだったのだ。
 近場のスナックの二階の店に入り、根室名物のエスカロップを食べているときでも窓外に少しだけ映る山脈を眺めていた。何もこれから自分が赴く北方領土の一部だから眺めていたわけでもなかった。もしかしたらそれは知床半島だったかもしれない。何せ根室半島から北の海を眺めたときに国後島が知床半島の前で視線を通せん坊をしているのだ。知床半島はふつう北海道という美しく愛すべき自然豊かな島の一番端にあり、そしてその気高く神々しい美しさの粋を神が吸い上げたようにまっすぐまっすぐ雄々しく、ときに嫋やかにオホーツクの氷海へ突き出している、そう思われている。あるいは北海道から滴る美のつららかもしれない。実際そうだろう。しかし人々がその特性に目を奪われるあまり、その横にしれっといる国後島の存在を忘れがちだ。もしも日本が今でも国後島を実効支配していてたのなら、知床島と同じく国後島の一部も世界自然遺産となっていたかもしれない。これは後に得能さんから聞いた色丹島の観光地化の可能性と似ている。
 まさか後にこんな大げさなことを考えるとは思いもよらずに私はどこまでが知床半島で、どこから国後島かもわからない窓外の景色に少しばかり不満を抱きつつエスカロップを平らげた。食べている途中でふと近くに泳いでいるらしいクジラを捕ってそれを材料にエスカロップを作ってしまえばいいのに、とすら思ったがいざ満腹になるとそんな欲望は忘れてしまった。満たされた腹の重さを引きずりながら国道へと至る坂を上り終えた私は坂の向こうに雲しかないことに気が付いた。つまり私はついうっかり根室半島の相当標高の高いところに至ってしまったのだ。後に地図を調べてはっきりとわかったことだが、根室半島に入ってからのJR花咲線は一度も川を跨いでいない。根室半島の河川はおおよそ花咲線の脇に源を発するものと相場が決まっていた。私は遠く根室の冷たい空気を肌に感じつつ、根室に至るまで通ってきた花咲線に思いを馳せた。
 花咲線は花のごとく儚い印象を与える。何も経営上の話をしているのではない。誰も刈らないのか繁茂した雑草の上になんとか敷いたようなただ一本の吹けば飛んでしまいそうですらある鉄路の上をところどころ錆びたワンマンの汽車が走る。それが儚くて愛おしい。その風景がなぜか入道雲の下で吹く風に素足をさらして夏の線路歩く子供たちを連想させた。そうだ、これはあの名作「Air」の主題歌である「鳥の詩」の情景と似ているではないか!
 だが私たちは決して千年前より続く因果に囚われているわけではない。たかだか八十年弱だ。かつての色丹島を知る人が訪問団に参加し、元気に話しかけておられる。あの空を回る風力発電機の羽たちだって「届かない場所」を見つめているわけではない。色丹島にも歯舞群島にも根室と同じ風が吹いている。ならば同じような風車を築いてしまえば互いに見つめあえるではないか。
 生まれ変わったら詩と共に生きる鳥になりたい。柄にもなくそう思った。何も道東以東に棲むエトピリカになりたいだなんて言わない。むしろ日本中に、そして色丹島にも住むであろうカラスになりたい。ただ島々を自由に渡って生きていきたい。きっとカラスならおおよそ人の住むところならどこでも住めるだろう。いつか色丹島と根室のゴミの味が近づく日が来るのだろう。その島の「味」の過程、そして歴史を毎日ゴミを啄みながら味わいたい。
 はたして色丹島にカラスはいるのだろうか―――

(ここからしばらく4日目の画像をお楽しみください)


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 船が穴潤湾の静けさの上をまっすぐなぞりながら島に近づいたとき、まっさきに見えたのはカモメだった。船を降り、最新式の水産工場へ向かうと無造作に積み上げられたコンテナの上にカモメが群がっていた。工場の中に入るとそこには簡体字にハングルにアルファベットにキリル文字ととにかく多種多様な言語がちりばめられていた。日本語だけがそこに存在しなかった。
 この工場で加工されたものはロシアやその他の国に輸出されるという。かつて日本人がこの島に住んでいたころ、この島で捕れたクジラの肉片を子供たちはもらったという。得能さんの語る昔話には確かに一つの自然豊かな島の中で「食」がつながり、くるくると廻る様子がうかがえた。だが今はどうだろうか。遥か遠くの国の資本を受け入れて、その収益は遥か遠くモスクワの半国営企業のものとなる。かつて共産主義の旗の下に生きていたロシア人は今、この島においてどこか「疎外」されて生きているのだ。その証拠なのか色丹島ではその辺に打ち捨てられたゴミの山が自然発火していたのだ。何もこの経済システム自体に非があるわけではない。日本本土でも似たようなことはあるだろう。しかし地域経済というのはそればかりではないはずだ。それには「隣町」との細々として、それでいて途切れることのないやり取りがあって然るべきだ。ひるがえって、現状はどうだろう。歯舞群島に定住人口はなく、国後・択捉との交通もやや乏しい。さらに色丹島の住民は国後・択捉の住民にどこか「田舎もの」として馬鹿にされているという話すら聞いた。なんと悲しむべき現状であろう。すぐ近くに五百万人超の大人口を有する島があるのにほとんど交流することができない。この現状も悲しく思われた。
 その後私たちはアニメ・オタク文化青年交流サミットに参加した。そのときの熱気を今でも思い出す。そもそも色丹島の大気は少し冷たかった。札幌から特急にパックされたまま釧路まで運ばれ、その後わずかな乗換時間を経て根室に初めて降り立った、あのときの冷たさと同質のものがあった。やはり色丹島と根室の空気は似ている。その熱気の中で私はバックダンサーを務めた。誰よりも熱く踊った自信がある。そのときの跳ねる様はどこか2日目の船上より撮影した跳ねるクジラに似ていたかもしれない。最後の交流の食事会でもとにかく踊った。やはり通訳の方々の努力の如何によらず、どこか日本人とロシア人では「通じない」ところがある。通じないことで疑心暗鬼になってはならない。だからせめてもと私は心を空っぽに、ただ踊った。その踊る様にはきっと何らの理性もなかただろう。ただ「楽しさ」の熱だけを伝えたかった。あのサミットの交流と友情の熱がいくらか増幅したことを祈るばかりだ。色丹島を去るとき、あのジャンプするオタ芸を船上から披露したところ、数人がこれに呼応してくれた。それが心に宿った同質の「熱」のさせた行動だと信じたい。
 距離はこんなにも近いのにどこか遠くにあると思ってしまう北方四島。行けばその心も思いのほか近いことに気が付けるだろう。
 私は帰路、ああ札幌の丘珠空港からせめて国後島までひとっとび出来たら間に合ったのになといったことばかり考え、悔いても仕方のないことを悔いていた。私はこの交流事業の4日目の夜に曾祖母を亡くした。色丹島と札幌の交通網がために通夜に参列することが出来なかった。そのとき、札幌中標津間の空路はあるのに札幌国後間の空路がない現状を呪った。いわば八つ当たりだ。考えても詮方ないことだ。だがそれに似た事例はあるように感じられた。元島民の方々はその交通のあまりの難易さに幾度泣かされただろうか。私などの悲しみの比ではないだろう。両地域を往復したいと強く思う「心」をもった人が簡単に行きたいところに行ける状況。これを整備することもまた「心の返還」であるかもしれない。
 同じ大気の下にいながら悠々と海を渡る鳥たち。彼らを眺めて立ち止まっているわけにはいかないのだ。日露双方の心が変われば行き来はできる。ただそれを最後に痛感した。札幌に駆けつけられない私をよそに、釧路のカラスはのんきに空を舞っていた。

まえがき(HP掲載版に寄せて)


  ※この文章は学芸員課程の講義「博物館情報メディア論」の自作HPに報告書を掲載した際のものである。HPの雰囲気をそのままにするため、あえて数字の表記は改めなかった。
 
私は去る本年6月の6日から10日にかけて今年度3回目となる北方領土へのビザなし訪問事業に参加した。今回の事業では色丹島に上陸、「第4回アニメ・オタク文化青年交流サミット in色丹」を7日に行い、翌8日は島内に点在する日本人墓地に悪路を乗り越え参じた。今回の事業では原則として40歳以下の人間が参加し、北方領土返還運動の「後継者」たることを期待されたのだ。

 今回のサミットでは神戸学院大学経済学部教授にして訪問団長である岡部芳彦先生の指導力と企画力、そして行動力と私たち団員の尽力、そして何より日露双方の邪心なき雰囲気により島民の実に2割弱の人たちが参加した。これは絶対数の少なさに隠れた歴史的な壮挙であろう。

 なお当文章は私も含めた全団員に課された活動報告レポートに拠る。1600字程度のレポート課題に対して私は1か月あった提出期間の最終日に3500字超を書いて提出するという暴挙を以て応えた。どこか小説のような文体であるのはご容赦いただきたい。なぜならこういう書き方でないとやる気が出なかったからだ

 あとがき(文学会・未界168号版)


 私にとってこの一年間はあまりに「濃い」ためか、色丹島を訪れてからまだ三か月半しか経過していないということがどこか信じられない。どうも一年半くらい前の出来事に思われて仕方ない。
 今回の訪問では初めて団員内の情報共有のためにLINEグループが作成された。そして我々返還運動後継者は「事後活動」として今回の活動をとにかく多方面に宣伝することを半ば義務付けられている。私は自ら創設したサークル「地歴・郷土研究会」のアカウントで訪問の様子を実況した(ツイッターアカウント @Gohken2019_5HGU)。その活動は継続して行うことが肝要である。次回の未界には色丹島訪問記の小説版を載せようかと考えている。
まぁ、今回の報告書が「小説みたい」なのは最初から未界掲載をある程度見込んでのことであるからようやく本来の目的を達したといえるだろうか。実はもうひとつの作品の執筆が間に合わなかった場合も見込んでこのような報告書に仕上げたのだが、なんだかんだどちらも間に合ったのでよかった。
そういえば戦争発言で有名な丸山穂高も三十五歳でアニメが好きなので今回のアニメオタク文化青年サミットに参加した可能性もあったのだ。彼のツイッターを以前からフォローしていた身としてはなんともいえない気分だ。

 色丹島にセコマが出店する日を夢見ながら 九月二十七日

ロシ研版あとがき(あとがきを書くのもう三回目だ)


 令和元年度というのはとにかく「濃かった」、としか言えない一年だった。この一年間の記憶を辿るうちに色丹島に行き着く。あの島に行ったのは六月の初旬のことであったらしいがどうもそんな気はしないのだ。あの荒涼とした風景は紛うことなき雪の降らない季節の道東のそれだった。同じ月に降り立った空中で泳げそうなほど湿度が高く、そしてとにかく暑かった成田の方がよほど札幌から見て異国であるように思われた(同じ太平洋沿岸部なのに)。
 そんな島に着いて最初に案内されたのが日本を除く諸国の資本や技術を合わせて作られた最新鋭の工場であったことは示唆に富む。道東地方と同じような地理的環境に日本とは全く異なる地域経済が形成されていることは我々にとっての可能性と不可能性を同時に実感させた。国際政治の都合によって分断された地域経済は領土問題の存在によって初めてこの地域に眼を向けることとなったモスクワと東京の都合によってより多くの投資がなされ、かつ交流特区たり得る可能性を十分に秘めている。つまり領土問題の存在こそが地域住民の利便性向上に資する可能性があるのだ。島のホームステイで訪問したある女性教師は「現状の制度のままの方が(ビザなし交流で)無料で根室の病院などに行きやすい」と現状を肯定する言葉を聞いてからこの問題についての見方が少し変わったのだ。

追記 

 本来この文章は「色丹は萌えているか」という題の実録小説として集録される予定であったが、その文章の文字数が三万近くなってしまい(恐るべきことに初期構想では六万字程度を要するはずであった)、印刷費が十万円ほど跳ね上がる可能性を提示されたため、このような短い文章となった。

note版あとがき

 訪問事業のために私が根室に旅立った日からちょうど一年が経った。あの異国のような美しい風景に魅せられている時に札幌では曾祖母が亡くなっていたのだが、なぜかそれを悲しいことだとは思わなかった。北方領土問題も拉致問題も政府は風化を待っているような節がある。「問題」があることで様々な人や金や感情が動く。もし北方領土が早々に返還されていたら私はこの美しい島に行くこともなかっただろう。

 それ自体は別に悪いこととも思わない。南千島の島々は広大かつ人の疎らな北海道のさらに東の果てにある。これほど遠い島に東京とモスクワの人々の耳目が集中することはあまりないだろう。

 今となっては四島には数万人のロシア人が暮らしており、そこを故郷だと感じている。彼らを無理矢理追い出すくらいなら日本復帰などしなくてよいのではないかとすら思えてくる。実に陳腐な話だが、この島の領有権がどうなっても、ここを日露友好の島になることを切に願う。

 2020年6月8日

(最後のおまけに5日目の帰路の画像をどうぞ)

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