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シリーズ北海学園大学新聞の戦後史:第8回 行手を照らす北辰の光さやけく輝けり(1954年⑤)


時は1954年12月15日、「毎月15日発行」を掲げて3ヶ月ぶりに発行された……え?3ヶ月ぶり??まぁよい。会告すら出さないのもどうかと思うが、ついに新校舎が完成した中でも雑多な話題を提供する北海学園大学新聞の第9号を追おう。

北海学園大学新聞(二頁五円・四頁十円)第9号(1954年12月15日)見出し一覧

一面

・新校舎遂に完成
 →移転は休暇中に
  →講義開始来春より
・就職は楽観許さず
 →確定わずか二十%
 ・バイト見込みなし
・(論壇)中国と貿易を図れ(高萩良一)
・全国一高い寮費
 →寮生値下げを決議
・東北学院と定期戦
 →第一回は来春本学で実施
・本年度奨学生決る
・不戦の誓いを
 →社研部研究誌刊行
・学生諸費で各部運営
 →執行部、学校当局と交渉
・(学園随想)学徒出陣十一周年(まえおか・みきを)
・国庫補助の増額を要求
 →私学協大会、立命館で開催
・全国学生ゼミナール
 →経済学は横浜国立大で
・防衛大学の参加拒否
・道私学協開く
 →在り方に論議集中
・田無町議会東/大総長に抗議
 →原子核研究所設置で
・晴好雨奇

二面(文化)


・今日の恋文(江川久洋)
・現代青年の風格についての私観(短大二年 安斎敏雄)
・日本のゆくえ(宮崎文彦)
・学生歌決る
・(私学協大会に出席して)平和問題に討議集中(前岡幹夫)
 ・私学国庫補助を
 ・講義内容の充実を
 ・平和の問題について
・国際学連代表招待
 →全学連十二月に
・野幌機農を私学/協で調査
・スポーツ評
・北京にアジア学生/サナトリウム完成
 →日本代表患者を招請

①新校舎遂に完成

待望の校舎建築も財団大学当局などの並々ならぬ努力と学生の結集した協力により、七月に着工して以来あと日数で完成、旬日の後にいよいよ現校舎より引越すことになった。近代建築の粋をあつめた新校舎の完成は学園発展の一歩として関係者、全学生から歓迎されている。

学園債の予想外の不振により3ヶ月遅れて着工したこの校舎も、今の単なる事務室と小教室、34番教室くらいしかない小校舎ぶりから想像できないほど多くの種類の部屋が存在し、北海学園大学そのものとなったようである。あと地下室も完成したらしい。

②東北学院と定期戦

引用!

北の早慶戦とも言うべき、本学対東北私大の雄東北学院大との定期戦が、いよいよ来年度より実現される。この定期戦の計画は以前から強く要望されていたが、各運動部間の実力の不均等、経費の関係で、今まで実現されなかったものである。しかし、今春三森教授が上仙した際に再び話が持ち上り、八月来札した東北学院大野球部との交換試合等で具体化され、本学としても、校舎は完成し、各運動部の活躍もめざましく、その実力は向上し他大学との定期戦の実現を強く要望した。

この時点で「北の早慶戦とも言うべき」とは大きく出たものだが、北海大も東北学院大も校名に方角漢字ばかりが入っているせいでオリジナル名称を用意出来ないのが悪いのである。
もしかするとそれは大日本国の中央から見た方角を地方名として冠するしかなかった北部日本の悲しき宿命のせいであるのかもしれない。

(明治の北部日本に住んでいた日本人にとって『蝦夷中学校』などのような校名はとうてい耐えられなかっただろう)

さて、本学が東北学院側に頼み込む形で開かれることと相成った定期戦、本学は果たして勝利を掴むことが出来るのだろうか!?
乞うご期待!

③学生歌決る

全文引用!

新聞会選定本年度学生歌は応募作品の中から次の作品に決定した。

北海学園大学学生歌
江川久洋作詩

①あしたに仰ぐ空高く
夕べに望む野は広し
青雲遥か海遠く
希望あふるる空の色
若葉にうすがすむ
久遠の理想胸にして
深き真理を求むなん

②あゝ黎明は近ずけり
夕べ見さくる北海の
百雷どよむ●声も
吹雪吹き捲く古枯も
ますらを何かたゆたわむ
行手を照らす北辰の
光さやけく輝けり

③あゝ黎明の鐘鳴れば
石狩の野に殿々と
強き響きを伝えつゝ
旧殿堂の奥深かく
眠れる魂を醒すべく
いず若人よ誇らかに
知識の泉くみとらむ

④よしや彼岸は遠くとも
紫雲の彼方指さして
怒涛逆巻く大洋を
乗り切る舟をも作るべし
いざ立て共に手を取りて
学と理想にいそしまん
あゝ美わしわが学園

現学生歌と比較してみても、歌詞が少々お堅いことや、ルビ振りを前提にしているとしか思われないフレーズの多用などを除けば特に差違は感じられず、歌詞の抽象性などは現学生歌そっくりである。
これでは毎年学生歌を作っても似たり寄ったりにしかならないだろう。
前々号あたりで『毎年学生歌を作れ!』という意見に賛同してみたが、どうもこの調子だと毎年作らなくなってしまったのも至極当然のことではないかと思えてきてしまう。

せっかくなので明治中期から令和の現在に至るまで寮歌を毎年作曲(これで“さっきょう”というらしい。あいの里の教育大?)している北大の恵迪寮歌と比較してみよう…としたものの、残念ながら昭和29年度のものが存在しなかったため、昭和三十年寮歌『悲歌に血吐きし』を見てみよう。
(引用元は北海道大学恵迪寮寮歌まとめ @ryoka_bot)

春夏秋冬をテーマにしたこの歌の歌詞を読むだけで情景が想像できるし、ルビの使い方も実に大胆でイカしている。やはり本学と北大の間には作詞能力に大幅な差があると言わざるを得ない。
もちろん、封建的な寮運営であればこそ高度な作詞能力の持ち主のスキルを充分に活かす(吸収する)ことが出来るのかもしれないから、単なる学生間の素養の差の問題とばかりは言えないのだけれども。

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