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接する世界は呼応する

初めて会った日にはすでに、思考が行動的ですよね、と指摘されていたっけ。思いは行動で示す。私の指針であり、彼の指針でもある。経緯は結構違う。卒論(当時の私の魂そのもの)で研究の題材にしていた人の墓詣りがしたくてはるばるウィーンまで行った話をしたら、仰け反って笑ってた。案外豪快に笑うんだ。その顔が好きだなと思って見ていた。8日後に付き合った。

愛のこと考えるのに費やしてきた時間はひとよりずっと多いと思うけど、ひとりきりで学ぶには限度があるんだろう。それでも毎度学んでいる。ズタズタに傷ついた恋愛からでさえ、多くのものを学び取っている(そんな勉強はしなくていいって、別れた時に母親から言われた)。けれどフロムのベストセラーが書店に平積みにされていたって私はちっとも読む気になれない。一度は手に取ったけど、最初の数ページだけ読んで古本に出してしまった。うるさいのは嫌い。己の経験から編み出した答えよりも信じられるものなんてこの世にないから。精神的に潔癖なので、自分と、好きな人間の言うことしか信じられない。愛に関しては特に、知らん人からとやかく言われたくない。学ぶぞと意気込み、専門家による論説を聞き齧り、記憶に定着させ、然るべき場面でアウトプットする。馬鹿馬鹿しい。試験勉強じゃないって前にも書いた。けれど知りもしないものは人に与えることもできない。あなたは尊敬してる人の言うことしか聞かないでしょうからと友人に言われて、えー、私のことすっごいよく分かってくれてるじゃん、とおどけたけど、結構ひびいた。そうだよ。そう言うあなたのことだって尊敬してる。会う時いつもお店調べないから、同じ街の同じカフェでばっかり会ってるね。ちょっと古くて流行ってなくて土曜午後の新宿でもすぐに入れるとこ。彼女とは、対話ってより女同士のおしゃべりって感じなのに、おしゃべりって感じのまま、深いところに触れている感覚がある。愛にも色々ある。あなたから学んだことが私には確かにある。

これまでに私が愛について得た学びのほとんどは、なぐさめによるものだ。傷を舐めることで理解したものだ。なぜ悲しかったのか。本当はどうしてほしかったのか。なんと言ってほしかったのか。なんと言いたかったのか。傷口をひたすらに見つめて獲得した知見。そうした学びはひとりでは決して知り得なかったものだけど、家族や上司や当時の彼氏と結んだ関係性の下で育まれたわけではない。彼らにされたこと・言われたことを受けて、「私ひとりで」感じたことが種。だから芽吹いてない。別に被害者ぶってんじゃない。傷ついた顔だって覚えてる。それも種。だけど「私ひとりで」感じたことだから、芽吹いてない。集めた種を見つめて、どうしたら花が咲くかなあ、どんな花かなあ、水はこのくらいかなあ、と思いを馳せて、鬼の想像力で拵えてきたもの。いつか自分が書いた言葉を思い出す。あなたを守るのは、今あなたの目の前の戦いを知り、理解しようとし、一緒に戦ってくれるひと。そうでなければ一生さみしいまま。過去の自分が教えてくれることは、存外真理に近かったりもする。自分にばっか死ぬほど向き合ってきたから分かること。けれど、発芽しない種をひとり観察し続けているだけでは、これが単に私の妄想じゃないってこと到底分からなかった。答え合わせには二人要る。夏には言っていたものね。これ以上自分の内面見つめる必要ないって。自分とは向き合いきったから、もう私は大丈夫だから、次は自分以外の人間と向き合いたいって。私にはそれができるし、その方法を知っているって。いつ現れてくれてもいいって。生きていく上で、私が諦めていたことを彼は諦めていなくて、彼が諦めていたことを私は諦めていなくて、そこに確かに救われている。守り、守られている。Googleマップで調べたら757キロあった。距離は感じない。孤独も感じない。ただ、こんなに近くに彼の存在を感じるのに、なんで体はここにないんだろって思う。

本当は少し怖かった。共有する時間が長くなればなるほど、「ふたり」が当たり前になればなるほど、境界が希薄になって、私という人間が失われていくのではないかと。自分一人の力で立てなくなってしまわないかと。私は誰かに寄りかかることで自身を支えていたいのではない、自分の脚で立ち、地面を踏み締めて、その感触とか、身体の重量とか、感じていたい。そういうの感じながら生きたい。必死に築いてきた城が波に溶けるのが怖かった。だけど違う。なにも怖くなんてない。さらってく波じゃない。なにも奪わない。もともと私の城はあまり頑丈じゃなくって、構造上どうしても崩れやすいところがある。たとえ波が引いてたって時々は危うい。そこを一緒に補強してくれるひと。一緒に作り直してくれるひと。私しかいないはずだった海に現れたひと。話のできない二人にできることなんか一つもない、あるはずないって言い切る私に、だとしたら、こんなに話ができてる二人には、できないことなんて何もないんじゃないの、と言った。この世で彼だけが私にとってほんとうだと思った。note書けなくなるはずだ。思考が内に向く時、内は過去、過去は理由、「なぜ私はこうなのか」の問い、見つけなくていい答え探し。今、内向いてない。内が記憶で、過去が言い訳なら、私が今見ているものは何。

まだ四季も一緒に過ごしていないのに、一生かけても返しきれないものを、すでに私は貰っている。愛してもらえるから好きなんじゃない、愛する人が与えてくれるからこれほどにひびくのだ。大好きなドラマ観たくなった。人の孤独を埋めるのは、愛されることじゃない、愛することだよ。ブックオフで見つけたらDVD買おうかな。愛は行動のことだと頑なに信じてきたのに、そこへ人が口挟む余地なんてなかったのに。そうじゃないのかもって思い始めた。めくり忘れたカレンダーのこと思い出す。もう少しで何かが分かりそう。何か開きそう。

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