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3行日記のつづき【3行日記 2023.10.16】


タイのカンチャナブリにある「死の鉄道博物館」へ行った。

「死の鉄道博物館」と書いたけれど
Googleマップに表示される日本語は
「タイ ビルマ鉄道博物館」


「死の鉄道」とは
日本が第二次世界大戦中にタイ・ミャンマー間物資流通のために建設した「泰緬鉄道」のことで、その建設には多くの犠牲者となった外国人捕虜がいたため海外では “Death Railway”(=死の鉄道)とも呼ばれている。

そして、それにまつわる博物館の名称が “Death Railway Museum”(=死の鉄道博物館)である。

この博物館をつくったのはオーストラリア人だそう。
当時、たくさんのオーストラリア人も捕虜として強制労働させられていた。

2フロアにまたがる展示はすべて「日本がしたこと」
無知な日本人である私は目を塞ぎたくなった、そんな内容だった。

あたりを見回すと日本人はおろかアジア人の姿はなく、当時の「連合国」と思われる人たちばかり。それが私の恐怖をさらに増長し、軽い気持ちでここを訪れたことを後悔しそうになった。

日本人として目を逸らしたくなるような内容ばかりだった。
でも、だからこそ、展示のひとつひとつに日本語の注釈があればいいのに、と思った。

「日本がしたこと」にかんする博物館なのに、注釈や説明は現地のタイ語と英語のみ。
私はかろうじて英語を読むことができるからなんとなく理解できるけれど、そうではない日本人には伝わらない。果たしてそれでいいのだろうか、と思った。

日陰がなく、照りつける太陽のもと
歩きながら考えてみた。


ーーもし、タイ語と英語の横に日本語があったら。

しばらく考えて、
やっぱり日本語はない方がいい、私はそう思った。

そもそも、この博物館はタイにある。
だから、ここにあるタイ語は、言うまでもなくタイで生活している人たちのためのもの。
そして英語は、タイ語が理解できない人たちのための、世界共通語としての注釈。
実質、これらふたつの言語で世界の訪問客を受け入れていることになるので、理論上これら以外の言語は不要。

つまり、そこに日本語訳が置かれるとしたら
それはプラスアルファの働きになってしまい
当たり前だけど、日本語訳は、日本人へ向けたものになるのかもしれない、と。

それでいいじゃん、だって日本人が知るべきことでしょ、とも思うけれど
その博物館をつくったのは日本人ではなくオーストラリア人。

もしそこに日本語があれば
ただの日本語訳以上にメッセージが込められてしまうような気がした。
ネガティブな意味で。

そんな意図はなくても
受け手がそこに意味を探してしまうかもしれない。

だから、そこに日本語がなくてよかったんだろうな、と私は思った。



先日、とある駅構内を歩いていたら
置いてある自動販売機に
「欢来到日本」と書いてあった。

「中華圏からの人たち、日本たくさん楽しんでね!」
と思いながら、私は友人との待ち合わせに向かった。









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