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いつの間にか、巣立って行きました。私も、誰の意見にも左右されず、自分の意思で自由に飛び回ろう!と思います。

 我が家のバルコニーには、ミカンの木があります。コロナ禍でのストレスを軽減できるかなと思い立ち、ホームセンターで買ってきたものです。まだまだ小さいミカンの木ですが、気づけばアゲハチョウの幼虫が5匹ほどおりました。そのうち1匹だけがやけに成長が早く、茶色くてイガイガした形態からあっという間にむちむちとした緑色の可愛い幼虫になりました。毎日毎日観察しては、指で撫でて可愛がっていました。小学校の理科の授業で学んだので既にご存じかと思いますが、アゲハチョウの幼虫は触られると、それを攻撃だと察知し、撃退するために黄色の臭い角を出します。けれど、そのむちむちとした幼虫は全くそれをせず、むしろ喜んでくれているのではないか?と思うくらい、触ることを許してくれました。だから、私も愛着が沸き、【キャタピーちゃん】と名付けて可愛がっていたのですが・・・。

 一昨日から昨日にかけて雨が降り、キャピーちゃんにも会えずにおりました。昨日の夕刻、やっと雨が上がったのでバルコニーへ出てみると、そこにはキャタピーちゃんの姿はなく、ただ脱け殻だけが空しく残っているだけでした。この悪天候の合間をぬって、必死に羽を乾かし、大きく羽を広げて巣立って行ったかと思うと、立ち会えなかったことが無念で仕方ありません。けれど、1つの生命が力強く生きていこうとするその様に、私自身、勇気をもらったのも事実です。「私も、私の人生という名の空を、自分の意思で、自由に飛び回りたい!」と、そう強く思ったのです。

 なぜそのように思ったのか。そこには、幼少期から続く私と母との親子関係(しつけ?)が深くかかわっているのです。

 昨日のお昼頃、久しぶりに母親に対して激しい怒りを覚えました。昔からそうだったのですが、私が何かをやろうと決意し、「〇〇しようと思ってるんだ」と言葉にすると、決まって言われるのが、「できっこないでしょ、そんなの」という否定的な言葉でした。「何考えてんの」とか「馬鹿じゃないの」とか「そんな夢みたいな話・・・」とか、書き出すと止まりませんが、とにかく出ばなをくじく言葉を浴びせられるのです。それでも「やってやる!」と頑張った時期もありました。けれど、上手くいかなくなった時には必ずこれらの言葉が脳裏を横切り、「やっぱり私には無理だったんだ」と諦めてしまい、結果、自信喪失、自己嫌悪等に苛まれる日々を送ってきたのです。

 そんな言葉くらいでへこたれるようじゃ、それまでなんだよ・・・と言われたこともありますし、自分自身もそう思って生きてきました。けれど、違うんですって。「あなたは犯罪者です」と3か月程度毎日言われ続けると、その人は本当に犯罪を犯してしまうようになるのだそうです。言葉が脳に与える影響って怖いと思いました。だから、人に浴びせる言葉、投げかける言葉は、絶対にポジティブなものでなければならないと強く思いました。

 「自分がされて嫌なことはしない」ということを念頭に生きてきた私は、母親(父親もそうでしたが)に浴びせられたこれらの言葉を、決して我が子には投げかけたことはありません。が、ふと不安になって、昨夜3人の息子に確認しました。「お母さんは、どんな無茶なことでも『やってごらん、できるよ!』って言う。」という答えが返ってきました。正直、ほっとしました。なぜなら、無意識下では「自分が受けてきたしつけ」を我が子に対してしてしまうことがあると思っているからです。(現に私はげんこつをされて育ち、その影響から我が子にげんこつをしていた時期があったのです。)

 母には、育ててくれたこと、家事を手伝ってくれていること等、毎日感謝しています。「ありがとう」を伝えない日はありません。しかし今、感謝する気持ちと、そんな言葉ばかり投げかける母を憎む気持ちが重なり合って、何とも表現できない感情が生まれているのです。きっと、私は自他ともに認める「いい人」として生きてきて、「いい人は人を憎んではいけない」などと思い込んで生きているのだと思います。それを思った時、気づきました。

 「いい人」でも「人を憎む時はある」わけです。何がいけないのかと考えた時、「ずっとその感情に固執し、その人自身を憎むこと」が悪いことなのであって、抱いた感情そのものを「悪」とする必要はないと思ったのです。

 人は、過ちを犯す生き物だと思っています。過ちを犯し、反省し、成長する・・・だから、母が過ちを犯すことも、自然なことなのです。そしてまた、私が抱いた感情を悪とするならば、それもまた過ちであり、それを反省することで私も成長していけるわけです。母は、しっかりもので、優しくて、世話好きで、頼りがいがある人です。ただちょっとだけ、祖父の育て方の影響が残っていて?、否定的な言葉を発してしまうところがあるのです。ただそれだけ。

 それが分かっていながらも、私も人間なので母のことを憎たらしく思ってしまった。ただそれだけ。母の否定的な言葉が悪いのであって、母が悪いわけではないし、私の抱いた感情が悪いものなのであって、私が悪いわけではない。だって、私達はそれぞれに良い所があり、それぞれに頑張って生きているんですもの。

 だから、私はもう母の言葉に囚われることをやめようと思います。母に何と言われようと、自分が思うように、自分のしたいことを、生きている限り続けていこうと思います。もう、母の保護下にいるわけではないので、言うことを聴く必要もないですし(笑)。

 昨夜、この件で一人涙しました。久しぶりに悔しかったんですよね、母からの言葉が突き刺さったというか。けれど、今日、改めてこうやって書いてみて、感情の整理をすることができて良かったです。また一歩成長できた!

 そうそう、私は書くことで自分が癒されていると感じています。ある人から言われたのですが、まず自分を癒すことが大切。そして、私が自分を癒せる方法=私が他者を癒すことができる方法なのだそうです。だから、私は書くことで自分を癒しながら、誰かの心を癒すお手伝いが出来たら良いなと思います。新しい生き方を見つけられました。noteさん、ありがとうございます。そして、気づかせてくれた母にも、やっぱり感謝です。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。