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幕開け[第5話]

〈第1話〜4話〉


・・・



「東京の今日の最高気温は三十四度です」
 今朝のニュースを、ふと思い出す。まだ七月に入ったばかりなのに、夏を絵に描いたような快晴だ。久しぶりの現場で、私は全身から汗が噴き出るほど慌ただしく走り回っていた。
「こちら高橋です。深山さん、取れますか?」
 いつも冷静な高橋主任の声が、今日はどことなく高揚している。外れかけたイヤモニを、 慌ててセットし直した。
「深山です。どうぞ」
「昨日の会議で出た特攻の火薬について、担当者に最終確認できそう?」
「はい。さっき消防担当と打合せして、解決済みです。そちらはどうですか?」
「ありがとう。ミーティングが終わったら、そっち向かいます。メンバーたちも、あと十五分くらいでそっちに着くと思う。装飾の件も、お願いね」
「了解です」

 今日は、私が初めてメイン担当を任された公演の初日だ。関係各社と細かな調整を重ね、小さなものも含めれば、恐らく百回以上打合せをしてきた。心臓がそわそわするようなこの緊張感と高揚感は、何年経っても慣れそうにない。よし、と心の中で気合を入れてから、 後輩の山下ちゃんにマイクを飛ばす。
「山下ちゃん、今そっちの状況はどう?」
「深山さーん! こっち来られますか? あと少しなんです」
「了解。今行くね」
 胸ポケットのピンマイクをずらしながら、早足でステージへ向かう。身をかがめて鉄骨をくぐると、いつもの赤い豹柄カーディガンが手招きしているのが見えた。
「仕上げと確認、お願いしまーす!」
 昨日誕生日を迎えたメンバー、大賀くんの待機場をチームカラーの青色で装飾しよう、と提案したのは私だった。三日前、衣装チームとの打合せで、青い造花が大量に余っているという話を聞き、企画チームからのサプライズプレゼントとしてやらせてほしいと頼んだのだ。ステージ下にある鉄骨だらけの簡易休憩所は、すごく殺風景だ。狭いスペースには、姿見とメイク道具など必要最低限の物しか置かれていない。でもここは、メンバーたちが本番中、何度も戻ってくる場所だ。これから大勢の人にパワーを与える主役の休憩場を、どうにかして華やかにできないものかと、ずっと考えていた。舞台セットは前日に完成するし、予算もギリギリ。準備は、リハーサルが終わってメンバーが楽屋に戻る数時間しかない。初めは反対されたけれど、先輩が後押ししてくれ、せっかくだからいいじゃないか、と監督も最後は乗ってくれた。
 STARSは、あれからオンラインコンサートやデジタル音源の配信、更にはバラエティ番組にも積極的に出演し、爆発的にヒットした。飛ぶ鳥を落とす勢いで、二年越しの世界ツアーも決まった。今日の公演後にファンに発表するというのだから、きっと盛り上がるだろう。大賀くんは末っ子で、まだ二十歳になったばかり。アイドルグループなんて、 裏では性格が悪かったりするんじゃないの、と疑う人も多い。私も駿介から聞くまでは、少し不安だった。しかし、初めての顔合わせの場でその疑いは完全に晴れた。あの駿介が大人しく見えるほど、四人全員、見上げるくらい良い人ばかりだった。音楽やパフォーマンスだけでなく彼らの人柄に惚れたことで、より一層企画に力を入れてここまで来られたと言っても過言ではない。
 段ボールに積まれた造花を、ジェルで丁寧に飾りつける。小指くらいの小さなものから手のひらより大きなものまで。青、水色、エメラルドグリーン。最後は衣装担当も助っ人に加わり、鉄骨の味気ない待機場が、華やかなブルーに染まった。
「なんとか、間に合いましたあっ!」
「ありがとね。山下ちゃんのおかげで完成したよ。きっと喜んでくれるはず」
 山下ちゃんは額に汗を滲ませながら、急いで写真を撮っている。マネージャーに送るよう頼まれているのだという。ファンクラブの会報に、現場の裏側として載せる画像らしい。
「おはようございまーす。あっ深山さん、ここにいたんだ。探しちゃいました」
「おはようございます! え、これ何?  わっ、大賀、はやくこっち来てよ!」
「え? うわー、どうしよう。俺、始まる前に泣いちゃいそうなんだけど……」
 先に到着した年下の三人は、黒のスタイリッシュな衣装に身を包み、スターの風格が漂っているのに、発言や仕草は素直な少年の素顔そのままだ。この愛くるしさが、きっとファンの心を掴むのだろう。
「お誕生日おめでとう。これ、スタッフからのプレゼントです」
「これ、深山さんの企画ですか? これはちょっと、ずるいですよ……」
 外国人のようなブルーのカラーコンタクトを潤ませる大賀くんを見て、あとから来た光輝くんが状況を一瞬で察し、トントンと背中をあやしている。さすが、リーダーだ。
「大賀、ちゃんとお礼言ったか? 本番はこれからだぞ。スタッフさんたちの想いに応えるためにも、頑張ろうぜ」
「うん。ありがとうございますっ。俺、頑張ってきます」
 近くでメイクさんが綿棒とティッシュを持ったまま、ヒヤヒヤしながら見つめている。ようやくきれいに整えたのに、本番前に泣かれたら元も子もない。心の中でごめんなさいと呟きながら、どうか涙が流れませんように、と小さく祈った。
 駿介の姿は、まだ見えない。きっと、最後まで身体を整えているのだろう。ギリギリまで準備して、時間ぴったりに到着する。まめの木での待ち合わせと、同じだ。

「よーし、円陣組むぞ。あ、監督と深山さんも入ってくださいよ。今日は特別。コロナでこれだけ我慢して、やーっとできる公演なんだから。みんなで頑張ろうの意味も込めてさ」
 私はとんでなもない、と首を振って遠慮したけれど、監督に無理やり背中を押され、気づいたら円陣に組み込まれてしまった。本番まであと十分。数えられないくらいのプロが集まるこの場所では、私なんてちっぽけな存在だけれど、今ここで働く人たちの目標は、 全員、同じだ。これが今、私にできることの一つなら、参加しない選択肢はない。
「駿介も来たな。よーし、今日は東京公演初日。チケットは完売。久しぶりのオフラインコンサートだぞ! みんな、わかってるなー?」
「っしゃー!」
「心を込めて、感謝の気持ちを込めて、俺らの最高の歌を届けよう。ワンフォー」
「オール!」
「オールフォー」
「ワン!」
「スターズイズ」
「スペシャル!!」
 テレビでしか見たことのなかった円陣にこの数年の出来事を重ねると、目頭がじわりと熱を帯びる。まだ始まっていないのだからとぐっと堪えて顔を上げると、二つの大きな瞳と目が合った。

 あの頃の駿介とは、全然違う。そこにいるのは、何倍も、何十倍も覚悟を持った熱い眼をした、プロのSYUNだった。

「あとは、頼んだよ」
「おう」
「行ってらっしゃい」
「ありがとな。行ってくる」
 登場リフトに乗る直前、誰も見ていない隙を狙って、グッと拳を合わせた。

 心を震わせるほどの大きな感動を生み出すために必要なのは、多くの人の細やかな仕事と努力の積み重ねだ、とつくづく思う。会場の裏では、今も撤収のために準備を始める人がいる。レストルームを整える人がいる。交通整備をする人がいる。このステージのために働いている人が、大勢いる。今日はどうか、その一人一人まで、笑顔になれますように。 あのとき泣いていた全ての人の心が、報われますように。
 私たちの人生をかけたエンタテインメントが、血と汗の結晶が、いよいよ始まる。どうか、届きますように。この苦しい時代を生き抜いた人たちへのエールが、彼らの音が、声が、言葉が、心が。今ここから見えている人だけじゃない、全員の想いが、パワーが、伝わりますように。私は祈るように手を合わせ、ステージ裏へ向かった。

 光輝くんの合図でステージに上がると、五万の観衆が一気に沸いた。五人の背中に、黄金のライトが降り注いでいく。
 私は確信した。これからの人生で、どんなときも、きっと死ぬ間際でさえも、目を瞑って初めに瞼の裏に映るのは、この瞬間だ、と。


 さあ、幕開けだ。




・・・

illustration by  a k i

【あとがき】

 エンタメサービス業界で働き、ここ数年、苦しかったり悔しい瞬間を何度も目にしてきました。時には唇を噛み締め、我慢できず涙が溢れ、心がぎゅっと掴まれるような気持ちでした。
 少しずつ状況は改善され、今はもう元のエンタメの形に戻れつつあるものが多いかもしれません。
 しかし、あの辛かった空白の時期、"少しでも楽しいものを、喜んでもらえるものを"と、誰かのために、前向きに、未来を見据えて試行錯誤し続けた人が確かにいたことを知っています。
その方々のお陰で、今の形があると思っています。

 これは私みたいな女の子の話であり、今日も見えないところで頑張る"あなた"の話でもありたい。
そう思いながらこの「幕開け」を書きました。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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