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幕開け[第2話]

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「ところで、今日はなんで参加したの? 暇だから、だけじゃないでしょ。あんたの性格からすると」
「うわー、そんなことまでわかんのか。さすがだね、キャリアウーマンさん」
「もう。そんなこと言うなら、この先ずーっとスーパースター様って呼ぶからね?」
「お願いだから、それだけはやめてくれ」
 くだらない話を続けていたら、いつの間にか緊張はほぐれていた。それと同時に、どんなに頑張っても駿介に敵わないという事実を思い出してしまった。私の高校時代の成績は、 万年学年二位。勉強時間を増やして点数が上がっても、一位になったことは一度もない。 一位は、いつも駿介だった。十分も話せば、駿介の成績を思い出さない人はいないだろう。 間の取り方や言い回し、ボキャブラリー、表現力、こちらを飽きさせない会話術、全部私より上だ。もうどうにでもなれ、と思い、諦めてさきいかの袋を拾い直した。
「そういえば、さっきの質問だけど」
 駿介が言った。いつの間にか、ウイスキーグラスは缶ビールに持ち替えられていた。
「ん?」
「なんで同窓会に参加したのかって聞いただろ?」
「うん。やっぱり、理由があるの?」
 数秒の沈黙に、緊張感が増す。
「なんつーか、そんな大したことじゃないんだけど。ちょっとカッコよく言うと、俺の将来のため、ってとこかな」
 駿介はそう言いながら頬杖をつくと、一瞬で表情を変えた。右の眉をキッと上げて、唇を一文字に結ぶ。あの時と、同じだ。

 高校三年の七月、全国高等学校野球選手権埼玉大会、県営大宮球場。駿介は、エースピッチャーだった。埼玉の強豪校は、私立校が多い。うちは予算もない県立高で、実力は中の下くらいだ。それなのに、駿介たちのチームは、数年ぶりに四回戦まで進んでいた。派手なマーチングバンドやチアリーダーを率いる反対側のアルプススタンドに比べ、こちらは情けなくなるくらい地味だ。そもそも、県立の進学校だからという理由で、平日の試合は保護者と必要最低限の生徒だけしか観戦を許されていない。
「かっとばせー!」
「粘れ粘れー! あと一球!」
「ナイスバッチー!」
 彩綾と二人でタオルを振り回しながら叫ぶと、遠慮がちに観戦していた保護者も少しずつ声を出してくれるようになった。高校野球好きの近所のおじちゃんたちは「姉ちゃんたちも頑張れ!」と、うちわで扇ぎながら声援を送ってくれた。
 スコアは四対三、九回裏、ツーアウト二塁。あと一人抑えれば、念願の五回戦に進める。次の試合は日曜日だ。学校も休みだから、全校生徒での応援も許される。横断幕を掲げながら、私たちは叫び続けた。
「ふんばれー!」
「あと一人! あと一人!」
 これ以上できないと思うほど、全力で応援した。汗が額からこめかみを通って、つう、と顎まで流れていく。声を出しすぎて、喉はカラカラだ。水分補給のためにグラウンドに背を向けた、ほんの一瞬だった。
 ーーカン。
 相手チームの四番が打ったボールは大きな弧を描き、ライトスタンドに吸い込まれていく。逆転サヨナラホームラン。その瞬間スクリーンに映ったのは、相手チームの選手ではなく、 駿介だった。右の眉をキッと上げ、唇を一文字に結ぶ。見ているだけで、苦しい。
 私はそれ以上周りの音を聞くこともグラウンドを見ることもできず、その場に崩れ落ちた。

「おーい。おーい、深山」
 画面から聞こえた低い声に、びくりとした。
「ああ……ごめん。少しぼうっとしてた」
「疲れてるよな、悪い。じゃ、端折って話すけど。明日は仕事休みか?」
「う、うん。休みだけど……」
「よし。じゃあ、大宮駅に十三時集合な」
「んっ? えっ、な、なんで?」
「理由はさっき話したのに聞いてなかったのが悪い、ということで。詳しいことは、また明日」
 白い歯を出してニッと笑う駿介を見て、これは断れないやつだ、と察した。休日とはいえ、まだ外出も頻繁にできない状況で、特に予定は入れていない。半ば反射的に、頷いてしまった。
「それじゃ、明日。いつもんところに十三時な。気をつけて来いよ」
 右手でひらひらと手を振ると、ぱっと画面が切り替わり、私の顔だけが大きく映る。数秒してからようやく、駿介が退出したことを理解する。
 頭の中だけでは整理できず、声に出してみた。
「十三時、大宮駅、いつものところ」
 最後に待ち合わせたのはもう十年も前のことなのに、いつものところ、という表現で伝わると思っているのが駿介らしい。現実を理解し始めてから、どっと疲れを感じた。今朝は五時起きで仕事をしてきたからだ。いや、慣れない同窓会で自分を繕ったからかもしれないし、その両方かもしれない。更に明日駿介に会うことを考えると、緊張で余計疲れそうだ。
 赤い退出ボタンを押し、そっとパソコンを閉じる。電池残量の少ないスマホで彩綾に簡単に報告したあと、 私は急にやってきた静けさから逃げるように歯磨きと着替えを済ませ、するりとベッドに潜り込んだ。


 最後尾の八号車には、サラリーマンが一人、女子高生が二人。オレンジ色のライン、十分間隔の時刻表、のどかな車窓風景。毎日乗っているメトロに比べて遙かに高い場所を走っている武蔵野線は、ガタゴトと大きな音を鳴らして揺れている。高校時代、通学時間を課題の時間に充てていたのは、あまりに激しく揺れるせいで寝過ごす心配もなく、ちょうど良かったからだ。武蔵浦和駅で埼京線に乗り換えると、十分で大宮駅に着いた。
 埼玉の本当の県庁所在地は浦和だ、大宮だ、と一時期クラスで議論したことがあった。 そこに、埼玉のルーツは埼玉古墳群だと自慢する行田市民も加わると、さらに白熱した。私はどちらにも住んでいなかったし、正直どうでも良かったが、浦和に住んでいた駿介が威張っていたのはよく覚えている。それなのに、いつも待ち合わせ場所に指定するのは、大宮駅の中央改札前にある「まめの木」だった。数年前、駅の改修工事で一時撤去されるという記事を見かけたが、仕事でほとんど東京にしか出ない私には関係ない出来事だった。上へ上へと伸びる銀色のモニュメントを久しぶりに見上げると、この木が十年間ずっと同じ場所で私を待っていてくれたような気がしてならなかった。

 右肩にぽん、と懐かしい重みを感じた。
「待たせたな」
 シンプルな白シャツに、ラフなジーンズスタイル。変装のためか、黒いバケツハットと大きなマスクをつけている。見える範囲は少ないのに、それが確かに駿介だとわかるのは、どうしてだろう。
「ひ、久しぶり」
「おう。なあ、まめの木って、ずっとここにあるんだな」
 駿介はほお、とため息をつきながら、さっきの私と同じようにまめの木を見上げている。あの頃とは少し雰囲気が違う。百八十センチというだけでも目立つのに、どこか私たちと違う空気を纏う駿介は、知らない人が見ても芸能人だとわかってしまうのではないだろうか。そう思った途端、背中がじわりと汗ばんだ。
「ねえ。もしパパラッチに撮られたらどうしよう。私、やっぱり男装してきたほうが良かったかな……」
 駿介は二重の目を更に丸くして、数秒してからぷっと吹き出した。
「ははっ、相変わらず面白いな。深山がもし嫌なら、やめてもいいけど?」
 私と駿介では、目線が二十五センチも違う。首をかしげながら、まるで小さな子どもをあやすように見つめられると、少し困る。
「まあ、埼玉だし。さすがにここまでは追っかけて来ないか」
「お前は昔から、埼玉をなめてるな。俺は今でも埼玉ラブだぜ」
 肩を揺らしながらケラケラと笑う姿は、まるで子どもみたいだ。
「んじゃ、早速行くぞ」
「ちょ、ちょっと! これからどこ行くの? 私、まだ何も聞いてないんだけど!」
 駿介は返事もせず、東口方面にぐんぐん進んでいく。あの頃よりもっと広く厚くなった背中。置いて行かれないように、私は急いで着いて行く。スラリと長い指は、やっぱり駿介だ。目の前の懐かしさをふいに掴もうとして、慌てて引っ込めた。


「一つ目の場所は、やっぱここだろ」
 晴れ男の駿介を象徴するかのような青天の下、どっしりと構える二の鳥居が見えてきた。
「うわあ」
 思わず、ため息が漏れる。
「懐かしいだろ?」
「うん。すっごく久しぶりに来たよ」
 大宮氷川神社は、東京と埼玉を中心に二百以上ある氷川神社の総本社なんですよ、と鈴木先生が授業で話してくれたのを思い出した。鳥居をくぐると途端に肩の力が抜け、不思議と気持ちが落ち着く。さすが、関東屈指のパワースポットと紹介されるだけある。さっきまで温かかった風の温度まで、少し変わった気がする。
 駿介は背筋をしゃんと伸ばすと、とりあえずお詣りしようぜ、と言いながら長い参道をゆっくりと進んでいった。
「あの日、初詣で人がすごく多かったよね」
「ああ。後ろから投げられた賽銭が、全部俺のフードに入ってたもんな」
 本殿を眺めていると、あの日の出来事が急に甦ってくる。あの後、フードに入ったお賽銭を全部まとめて丁寧にお参りしていた駿介を見て、こういう人には、将来絶対に良いことが起こるだろうな、と思ったのだ。
 本殿の隣にある摂社の門客人神社や、神池の中島にある宗像神社など、私たちは時間をかけて境内を丁寧に、ゆっくりと回った。
「なんだか、気持ちがすうっと落ち着いた気がする」
「ようやく笑ったな、千秋」
 心臓がトクっと震えた。下の名前で呼ばれるのは、卒業式以来だ。駿介が意図的にそうしたのか無意識なのかはわからなかった。
「えっ、私、笑えてなかったかな」
「昨日から、ずっと顔強張ってたぞ」
 少しずつ増えてきた参拝客を横目でちらりと確認すると、駿介は大きな目を隠すかのように帽子を深く被り直した。
「それじゃ、次のとこ行こうぜ」
 参道を戻り始めた駿介がくるりと振り返ると、三日月の目がきらりと光った。その時私は、直感的に次の場所がわかった気がした。


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